情報過多の時代に人は何を「知りたくない」か(植田かもめ)
植田かもめの「いま世界にいる本たち」第29回
"Too Much Information: Understanding What You Don't Want to Know"(情報過多:知りたくないことを理解する)
by Cass R. Sunstein(キャス・R・サンスティーン)2020年9月発売
言うまでもなく、私たちは情報が多い時代を生きている。ベン・パーの2015年の著書『アテンション』で紹介されている研究によれば、1986年の人は一日平均で新聞約40部に相当する情報にさらされていたが、2006年の時点で既に、それが4倍以上の174部相当になっていたという。毎日誰かが玄関のドアの前に新聞を174部置いていくような状態だ。現在はもっと増えているだろう。
本書"Too Much Information"は、ハーバード大学ロースクール教授であり数々の著作を発表しているキャス・サンスティーンの新作だ。タイトルからは、個人が情報とどう付き合うかについての本に聞こえるかもしれないが、本書のテーマは、政府や公共機関や企業が、どんなときに情報を開示すべきか、である。
映画館のポップコーンが何カロリーかを伝えるべきか?
本書のテーマを象徴するエピソードとして、サンスティーンは友人から彼が受け取ったメッセージを挙げる。
オバマ政権時代に連邦政府と仕事をしていた彼は、レストランなどの施設で提供されるメニューにカロリー表示を義務付ける規制の実現を担当した。対象には、映画館も含まれている。規制の実現を半ば誇らしい気分で報告したところ、友人からは「キャスがポップコーンを台無しにしてしまった(Cass ruined popcorn)」という返信が来たという。
映画館でポップコーンを食べる人が求めているものは、娯楽だ。多くの人は、カロリーラベルを見て気分を害されたくないかもしれない。
サンスティーンは本書で、人がどんな情報を欲して、どんな情報は受け取りたくないかを行動経済学の枠組みを用いて分析する(サンスティーンには、ノーベル経済学賞受賞者であるリチャード・セイラーとの共著『実践 行動経済学』(原題は"Nudge")がある)。人は常に合理的な選択を行う生き物ではない。重要な情報であっても、または重要な情報であるからこそ、知ることを避けてしまう傾向もある。サンスティーンが簡易的に行った研究で、ある情報を知りたいか、もし知れるならいくらお金を支払うかをまとめたリストが本書に掲載されていて面白い。対象の情報は、アルツハイマー病にかかる可能性から自分が死ぬ日、天国は実在するか、にまで及ぶ。
サンスティーンはこうしたバイアスを分析した上で、「ある情報が人々の生活をより良いものに改善させる、またはより良い選択を可能にする」ならば、その情報は開示されるべきであると主張する。
不幸になるとしても情報を知りたいか?
ところが、何が「より良い生活」「より良い選択」をもたらす情報なのかを実際に定義することは簡単ではない。
なぜだろうか。ひとつの理由は、情報の価値を定量的に測定することが難しいからだ。本書では、上述したような「その情報を知れるならいくら支払うか」(WTP:Willing-To-Pay)といった行動経済学の分析手法を紹介しているが、その指標自体も様々なバイアスに左右されてしまう。
そしてもうひとつ、より本質的な理由は「人は必ずしも耳ざわりの良い情報ばかりを求めているわけではない」からだ。自分がガンになるかどうかをもし知れるとしたら、その情報を知ることは自分にとって利益(benefit)だろうか、負担(cost)だろうか。
サンスティーンは、短い本書の中で、ある情報を開示するかどうかの基準を検証しているが、その取り組みはまだ発展途上ものであることを自ら認めている。
ナッジ(Nudge)とスラッジ(Sludge)
それでも、本書が明確に主張していることがある。個人が情報にアクセスすることを阻害する「スラッジ」(Sludge)は削減すべきという主張である。最後にこの概念を簡単に紹介しよう。
スラッジは「汚泥」を意味する行動経済学の用語であるが、対概念である「ナッジ」(Nudge)とセットで理解するのがよいだろう。「小突く、そっと後押しする」を意味するナッジとは、人々がより良い行動を取れるように制度を設計しておくことだ。有名な例では、臓器移植に同意するかどうかを、デフォルトで「同意」に設定しておく方式がある(オプトイン方式と呼ばれる)。
スラッジとは、ナッジの反対で、より良い意思決定を妨げる事務的な「手間、めんどう」のことだ。民間企業は、自社の利益を維持するためにスラッジを組み込む場合がある。分かりやすい例は、解約しようとすると非常に複雑な手続きを踏まなければならないwebサービスだ。
サンスティーンは、投票のための登録手続きなど、米国の行政手続きが抱えているスラッジを列挙して、その改善を訴える。「知る権利」という言葉にかわる新たな情報アクセスの権利をサンスティーンは理論付けようとしていて、正当な権利の行使をスラッジに邪魔されないことも重要な事項のひとつであると主張する。この「スラッジ」は、民間・行政問わず、そして米国に限らずあらゆる国で検出されているものではないだろうか。
キャス・R・サンスティーン著 "Too Much Information"は2020年9月に発売された一冊。
執筆者プロフィール:植田かもめ
ブログ「未翻訳ブックレビュー」管理人。ジャンル問わず原書の書評を展開。他に、雑誌サイゾー取材協力など。ツイッターはこちら。
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