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台湾SF小説略史-火星探検から23世紀の報道文学まで(倉本知明)

「倉本知明の台湾通信」第9回
星雲組曲』(1980年)著:張系国
星光横渡麗水街(麗水街を横切る星光)」(1995年)著:洪凌
」(1995年)著:紀大偉
虚擬街頭漂流記』(2009年)著:寵物先生 など

近年中国のSF小説が世界的にも大きな注目を集めているが、残念ながら日本では台湾のSF小説はやや存在感が薄い。台湾にもSF小説はあるのかと聞かれる度に、僕は少々むきになって「もちろんある!」と答え、「現在の台湾はある意味SF小説の伝統の上に成り立っていると言っても過言ではない」と言っては、ちょっと大げさだったかな……と反省するのだった。

しかし、同じ中国語で書かれていても、台湾のSF小説は中国のそれとはずいぶんと異なっている。再び前言撤回するわけではないが、東アジアの複雑な歴史的文脈と密接に結びついて発展してきた台湾のSF小説は、確かに現在の台湾社会に多大な影響を与えてきた。今回は台湾におけるSF小説の歴史と各時代に現れた作品を、やや駆け足で紹介してみたい。

日本植民地時代に撒かれた台湾SFの“種”

台湾におけるSF小説の創作は、早くも日本植民地時代からスタートしている。1920年代、中国語で執筆された鄭坤五の短編小説「火星界探検奇聞」は、台湾SFの嚆矢ともいえる作品で、2015年の「未来」が舞台となっている。物語では地球人と同じように争いを繰り返していた火星人たちがその愚かさに気付き、私欲による争いを避けて、火星の共通利益のために働くことでユートピア社会を作り上げた様子が紹介されている。火星を舞台にしたこうした作風は、漢詩文を得意とした伝統的知識人だった鄭坤五には一見そぐわないようにも思えるが、架空の理想社会を描くことで現実を批判するといったある種のユートピア幻想は、18世紀の古典文学『紅楼夢』の主人公賈宝玉を狂言回しに、西洋のテクノロジーを紹介した吳趼人の『新石頭記』(1905)など、清朝晩期に登場した多くの科学小説とも類似している。

一方、戦後直後に発表された葉歩月の長編小説『長生不老』(1946)は、日本語で書かれたSF小説だ。物語では、若返りの薬を発明した章国欽博士が20歳に戻って青春を謳歌するが、彼の周辺では奇蹟の妙薬の調合をめぐって様々な争いが起こる。最終的に薬の副作用から博士はすべてを忘れてしまい、不老の妙薬は泡のように消えてゆくといった結末となっている。台北帝大医学部を卒業した葉歩月は台北で小児科を開業する医者で、こうした見識を背景として作品には「科学的」な工夫が加えられている。台湾SF小説の起点となる可能性もあった『長生不老』であったが、出版翌年に日本語書籍の出版が全面的に禁止されたこともあって、その後長らく日の目を見なくなってしまった。

激動の台湾、その社会を投影するSF作品

「火星界探検奇聞」や『長生不老』が、台湾という地に撒かれたSFの種であったとすれば、それが実際に実を結び、花開いたのは1968年だった。同年台湾では、張暁風、張系国、黄海など、後年台湾SF小説の大家とみなされる作家たちが相次いで作品を発表している。

散文を中心に様々な文学領域を横断する張暁風は、短編小説「潘渡娜(パンドラ)」で、科学者である父親によって作り出された人造人間潘渡娜を主人公に、人と人ならざる者たちとの境界線とその存在意義を問うた作品を発表した。また台湾SFの始祖とも呼ばれ、数多くの海外SFを台湾に紹介してきた張系国は、短編小説「超人列伝」において、科学者である主人公がその大脳を機械に移植することで完璧な人類となろうとする物語を描き、SFと児童文学に大きな功績を残した黄海は、短編小説「航向無涯的旅程(果てない旅路)」において、8000年にわたって宇宙を旅する宇宙飛行士の孤独な精神状態を描いた。後者の二作品はどちらも宇宙と関係しているが、そこには1960年代における米ソの宇宙競争が大きく影響している(アポロ11号の月面着陸は作品発表の翌年)。

1968年を起点に起こった第一次SFブームは、台湾という土地に根差さない脱領域的な傾向を持っていたが、戒厳令体制が揺らぎはじめる1980年代に入ると、台湾のSF小説は台湾人のナショナル・アイデンティティや省籍矛盾(本省人と外省人の政治的対立)といった政治的な問題と深く関わっていくようになる。中国で生まれ、台湾で育ち、アメリカの大学で教鞭を取っていた張系国は、1980年にSF短編集『星雲組曲』を発表するなど、SF作家としての地位を盤石なものとした。その後、中国の神話とSFを組み合わせた「城」三部曲(『五玉碟』、『龍城飛将』、『一羽毛』)を発表し、積極的に中華文化とSFとの融合を試みてきたが、アメリカで暮らす台湾の外省人といった二重に疎外された位置にいた張系国にとって、SF作品内部で想像された「中国」とは、イデオロギー対立の外側にあるまさに「想像の共同体」であった。

一方、張系国よりも一回り若い外省人二世作家であった張大春は、短編小説「傷逝者(死者を悼む者)」(1984)において、未来世界における記憶と忘却の葛藤を描いた。「高索合衆国」で監査官を務める主人公アンドリューは、ある政治事件の調査で故郷ブロン自治区へと帰郷するが、そこで自治区が合衆国国民の主体意識を構築する対象として差別されてきた事実を知るなど、現実の政治状況が色濃く反映された作品内容となっている。台湾意識が急速に高揚していた当時の社会状況の下、張大春はアイデンティティ構築がもたらす排除と暴力を通じて描くことで、張系国や黄海らが抱いていたある種ロマンチックな国家アイデンティティを否定したのだった。

また、黄凡の長編小説『』(1981)や宋澤莱の長編小説『廃墟台湾』(1985)では、原発がメルトダウンした未来世界のディストピアが描かれ、当時国民党政府が国策として進めていた原子力発電政策への強烈な批判とするなど、この時期における台湾のSF小説は、現実にある社会問題の寓話として機能していた。

ナショナル・アイデンティティの揺らぎと急速に脱中心化する価値観のなかで大きく脱皮した台湾のSF小説であったが、1990年代に入ると再び大きな変化を遂げる。張啓疆、洪凌、紀大偉ら若手の作家たちは、セクシャリティの問題をSFと結びつけることで性の多様性を描き、長らく続いた戒厳令体制で抑圧されてきたその身体を解放しようとしたのだった。

例えば、洪凌は短編小説「星光横渡麗水街(麗水街を横切る星光)」(1995)において、男性を標的とした残虐な連続殺人事件を通じて、主人公非非とレズビアン吸血鬼星光の間にある同性愛関係を描いた。また、台湾のクィア小説の旗手とも呼ばれる紀大偉は、短編小説「赤い薔薇が咲くとき」(1994)において、未来における記憶の移植や性転換を描き、同じくその代表作である短編小説「」(1995)では、2100年の海底都市で暮らす主人公黙黙の性別と身体が改造されていく様子を描くことで、主体意識や肉体の境界の不確実性を描き出した。物語において黙黙はやがて大脳だけの存在となってゆくが、アイデンティティの拠り所となるはずの記憶や身体が不断に改竄・改造されていく様子は、ある意味で複数の国に植民地化されることで、その記憶と身体が書き換えられてきた台湾の歴史そのものを暗示しているといえる。

アジア初の同性婚が法制化されるなど、昨今ジェンダーをめぐる議題で常に強い存在感を示している台湾であるが、その変革の背景には1990年代のSF文学においてセクシャリティをめぐる数多くの創作が潜んでいる。

現実味を帯びる「ポスト・ヒューマン」

さて、ここまでかなり駆け足で台湾のSF小説を紹介してきたが、21世紀に入って、台湾のSF小説にはどのような変化があったのか? 2000年代以降も台湾のSF小説は常に貪欲にすそ野を広げ続けているが、その特徴のひとつがSFとミステリーの融合だ。

台湾では2008年から日台両国の出版社が共同で開催している「島田荘司推理小説賞」の募集がはじまったが、そこではネット上に構築された仮想都市で起こった殺人事件を描いた寵物先生の長編小説『虚擬街頭漂流記』(2009)やオンラインゲームとAIをテーマにした薛西斯の長編小説『H.A』(2015)など、推理小説にSFの要素が加わった作品が受賞・ノミネートされるなど、推理とSFが結びつくケースが見られる。また、現実におけるAIやクローン技術の発展に伴って、2010年以降ではポスト・ヒューマンに関するテーマも再び注目されるようになっている。かつてこのコラムでも紹介した伊格言の長編小説『噬夢人(夢喰い)』(2010)や高翊峰の長編小説『2069』(2019)などは、まさにこうしたクローンやサイボーグたちと共存する未来社会からポスト・ヒューマンのあり方を問うた作品であった。

伊格言の最新作品である短編小説集『零度分離(零度の隔たり)』(2020年11月刊行予定)においても、こうした問題は依然として顕在化されている。本書は24世紀の報道文学の体をとった作品であるが、ポスト・ヒューマンのあり方を追求しつつも、そこから外れた視点を提示しようとする試みが見て取れる。物語は年齢も国籍も不明の報道作家アデリア・サイフリッドが、2240年から2280年の間に起こった六つの事件(一件だけは2032年から2039年の出来事)を自ら取材した顛末が語られているが、AI作家疑惑もあるサイフリッドが実在する人物であるといった声明文を冒頭に掲載するなど、作品にはメタ・フィクション的な要素も取り入れられている。物語内では「作中作」として、動物たちの言語を理解するために自らの中枢神経をシャチの大脳と結びつけた生物学者の人生を描いた「セイ・アイラヴユー・アゲイン」や、反人類の罪状でシベリアの刑務所に収容されたAIと人間の自意識を問う「ドリーム・プロジェクションAIによる反人類反乱事件」など、ポスト・ヒューマンの未来(作品では現在)について語られると同時に、それまでの人類中心主義的な視点を脱却しようとする興味深いものとなっている。

以上、1920年代に萌芽した台湾のSF小説であるが、21世紀に入ってその傾向はますます多様化している。どの時代のどの作品を切りとるにしろ、台湾のSFは常に台湾の政治や社会と密接な関係を維持し、中国では書くことが憚られるような作品も含めて、数多くのSF作品を世に送り出してきた。台湾のSF小説を読むことは、とりもなおさず複雑な歴史を辿って来た台湾の過去と未来を見つめることでもあるのだ。

執筆者プロフィール:倉本知明
1982年、香川県生まれ。立命館大学先端総合学術研究科卒、学術博士。文藻外語大学准教授。2010年から台湾・高雄在住。訳書に、伊格言『グラウンド・ゼロ――台湾第四原発事故』(白水社)、蘇偉貞『沈黙の島』(あるむ)、王聡威『ここにいる』(白水社)、高村光太郎『智惠子抄』(麥田)がある。

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