祖国と母国の狭間に揺れる「移民」の光と影(新元良一)
「新元良一のアメリカ通信」第8回
“Homeland Elegies”
by Ayad Akhtar(アヤド・アクタル) 2021年1月出版
建国の父と呼ばれる人たちが、大西洋を渡ってこの地に足を踏み入れたように、アメリカという国は移民によって成立する歴史があるのは誰もが知るところだ。そして、宗主国イギリスからの独立を果たして以来、世界の様々な国から人びとが移り住み、地域社会を形成し現在に至っている。
政治経済から文化まで幅広く国の繁栄の支柱となってきた移民だが、それが光のあたる部分だとすれば、影の部分も少なからずある。移民で特権階級となった白人たちが建国前後に、先住民から土地を奪い取ったことに始まり、最近では、トランプ前政権の厳しく執拗な排斥政策のため、メキシコとの国境沿いで新天地を求めた親子の離散と、問題はいまだ積み重ねられたままだ。
影の部分のひとつに、アラブ系移民及びアラブ系アメリカ人と社会との関係がある。20年前の出来事をきっかけに、彼らを取り巻く状況が激変した。
それが、ニューヨークとワシントンDCで起こった同時多発テロである。
この事件を境に、イスラム世界とその人びとへのアメリカでのまなざしは、以前とは異なる“特別なもの”へとなった。パキスタンにルーツを持つ、ピューリッツァー賞も獲得したアメリカ人劇作家のアヤド・アクタルが書いた長編小説『HOMELAND ELEGIES』は、異なる文化の狭間に身を置かれた状況を描きながら、そのまなざしを切実に語っている。
トランプを信奉する、アラブ系移民の父
物語は、主人公で語り手の名前がアヤド、彼の職業が劇作家と、現実とオーバーラップするいわゆるメタ・フィクション的な性格を帯びている。それを認識すると、第1章におけるそのアヤドの父親とドナルド・トランプの出会いはインパクトが増す。
描写される1990年代初頭のトランプは、まだ政界入りもしておらず、その名を一躍高めた自身のリアリティTV出演も果たしていない。80年代から地元ニューヨークを拠点に不動産やホテル、カジノ事業に乗り出し、プライベートでも派手な生活で女性たちと浮名を流し、セレブとしての地位を手にしていたものの、肝心のビジネスは、プラザ・ホテルやその名を冠した航空会社を売却するなど不調と位置づけられる時期だった。
苦悶の影響からか、物語の中では健康に不調をきたしたトランプだったが、その診療のために遠くミルウォーキー州より呼び寄せたのが、心臓病の専門医である主人公の父親アクタル医師であった。最初の診療をすっぽかし、医師の呼び名を間違える……。大統領就任後、前代未聞の言動を繰り返しただけに、そう聞けば、さもありなんという人物像が描かれる。
ただし、それは傍若無人で高圧的な態度とともに、敵愾心に満ちた振る舞いで知られる大統領在職時のイメージとはかけ離れている。アクタル医師とのコミカルなやりとりを通じ伝わってくるのは、むしろ無邪気で人懐っこく、憎めない人柄だ。
そんな彼とのつきあいから、医師はいつしかトランプの信奉者になる。そこからどう発展するのかと読み進めると、第2章以降は、物語のトーンが大きく変化する。
“煮え立つ怒り”に深まるアメリカとイスラムの軋轢
アメリカ社会で生まれ育ったアヤドが、両親の故郷であるパキスタンを2008年に訪ね、滞在中に、遠戚の青年から反米的とも思える意見を主張される。またアメリカ国内に舞台が移った場面では、運転中の車に不具合が生じ、通りかかった白人の警察官に修理工を紹介してもらい、当初は友好的な雰囲気であったが、面倒を避けようとしたアヤドのひと言から、急速に相手の態度が冷ややかになるなど、イスラム系アメリカ人として、ふたつの文化の軋轢に揺れ動く戸惑いが浮かび上がる。
前述の“気のいい”トランプと、こうした異文化の狭間で起こる苦悩との関係をどう見るか。その鍵となるアメリカの、言わば闇の部分が本作の序文にて記される。
アヤドがまだ大学生の頃、イタリアからの移民家庭で育ち、レズビアンを公言する教員から、この国が大多数の一般市民をないがしろにし、国益の名の下、富や権利の追求に明け暮れている状況を聞かされる。これが本作の大きなテーマとなり、物語の随所に出てくるのだが、先のパキスタンでの滞在について、アヤドは次のように回想する。
あの旅を振り返ると、トランプ時代までアメリカを導いた同じジレンマが見て取れる。つまり、煮え立つ怒りだ。(拙訳)
911の20年以上前、まだ冷戦時代の最中に、アメリカと旧ソ連は遠く離れたアフガニスタンの地で戦闘に深く関与し、さらなる対立を生んだ。“怒り”は超大国の両国だけにとどまらず、犠牲者を始め多くの被害を受けたアフガニスタンにも及んだのだ。
そして、アメリカが同時多発テロの報復攻撃に出て、アフガニスタンやイラクへ派兵し、軍隊ばかりでなく、自分の同胞に危害を加えることにイスラムの人びとは心を痛める様子が物語で描かれる。こうした状態が、イスラムの人びとにとってアメリカへの積年の怒りにつながるわけだが、一方のアメリカ人の中にも、911以降、政治などさまざまな理由からイスラムの人びとに敵意をもつようになり、両者の関係はさらに悪化する、それが“煮え立つ怒り”が意味するところである。
そう考えると、こうした異文化間の対立にとどまらず、国内の分断に見られるように、自分たち以外の考えを寄せつけない傾向は、多方面で影響を及ぼすアメリカの病巣とも言えるかもしれない。大統領ひとりの責任の範疇では収まりきれない問題の深刻さが、小説の中のトランプの矮小化に表れているようにも思える。
執筆者プロフィール:新元良一 Riyo Niimoto
1959年神戸市生まれ。84年に米ニューヨークに渡り、22年間暮らす。帰国後、京都造形芸術大で専任教員を務め、2016年末に再び活動拠点をニューヨークに移した。主な著作に「あの空を探して」「One author, One book」。