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俳の森-俳論風エッセイ第49週

三百三十七、軽い切れ?

以前、片山由美子氏の下記の句を取り上げ、氏が中七と下五の間に切れがあると指摘されていることを紹介しました。その上で、氏のいわれる切れは、単なる飛躍的接続ではないかという私見を述べました。
晶子より登美子親しき桔梗かな       片山由美子

後になって気づいたのですが、下五と同様に上五でも軽い切れがあるなどと指摘される場合があります。例えば、次の句はどうでしょうか。
白魚のさかなたること略しけり       中原 道夫
〈白魚の〉の助詞〈の〉は、文法的には主格を表しており、この句は、〈白魚の〉という主部と〈さかなたること略しけり〉という述部とで構成されます。〈白魚の〉がさかなに接続しているといったら、おかしなことになります。
朝妻主宰説では、切れは句点ですので、掲句の切れは末尾の一か所ということになります。それでは、この上五と中七の間には軽い切れがあるといわれるのは何故なのでしょうか。

私は、その理由は二つあると考えています。
一つ目は、俳句の読まれ方からくるもので、上五で間をとって、中七下五を一気に読み下すのが普通でしょう。その間を切れと捉えているのではないでしょうか。
二つ目は、上五が季語であるということです。季語は俳人にとって特別なことばです。〈白魚の〉といえば、私たちの脳裏には、白魚にまつわる様々な情景がたちどころに浮かんできます。いわば、〈白魚の〉といわれた途端に、その情趣に浸ってしまうともいえるでしょう。その時間が、次に続く中七下五の句文との間に、ある種の断絶(人によっては、軽い切れと称している感覚)を呼び起こすのではないでしょうか。
つまり、掲句は白魚という情趣のなかで、さかなたること略しけりという句文を味わう構造になっているのです。

これは丁度、片山氏の桔梗が、季語であることによって飛躍的接続を可能にしているのと、同じ構造のように思われます。白魚という季語の情趣が、中七下五の句文全体にかかっているとみることもできるからです。
因みに上五が季語でない場合は、次に続く語に接続することになります。以下の例句では、それぞれ、(大仏の)冬日、(くろがねの)秋の風鈴、(町空の)つばくらめに接続しているといえるでしょう。
大仏の冬日は山に移りけり         星野 立子
くろがねの秋の風鈴鳴りにけり       飯田 蛇笏
町空のつばくらめのみ新しや        中村草田男

結論をいえば、軽い切れというのは、季語の情趣が許容する飛躍的接続なのではないでしょうか。

三百三十八、俳句以前

三十年程俳句をやってきて未だに思うのは、俳句には尽きせぬ魅力があるということです。何事も続けるには相応のエネルギーが必要ですが、俳句を継続する力の源は、やはり俳句の面白さなのではないでしょうか。たった十七音に制限された文章の一体どこが面白いのでしょうか。一度突き放して考えてみるのもいいかもしれません。

俳句が自然からの刺激によって生まれるものだとするならば、俳句ができる時は、私たちが自然からの刺激を受け止めることのできる状態といっていいでしょう。私たちの自然感知センサーが、十分に働いている時は、間髪をいれずことばが降りてくるものなのです。
実際、どうにも仕事が立て込んでいるときや、忙しくて心に余裕がないときは、決して俳句モードになれないのです。それは長年の経験からいえることです。

さて、雲の峰では、「俳句は十七文字の自分詩、一日一行の自分史」を標榜しています。一日に一句とまではいかなくても、折に触れて作句することで作品が積み上がっていきます。私は雲の峰が標榜するように、自分が自然から受け止めたことを、素直に表現することが全てだと考えています。それが、後から述べるような俳句の面白さにつながっていくからです。

ところが、俳句をあまりに限定的に捉えてしまうと、折角の自分詩・自分史を台無しにしかねません。ある作家が、俳句は表現のうまさを競うものだと書いているのを見て、びっくりしたことがあります。俳句は、何をよむか、どう詠むかに尽きますが、どう詠むかということに重きを置くと、奇抜な表現を求めたりしがちです。
俳句の特性を生かして、伝えるための表現技術はもちろん必要です。しかし、私は表現のうまさというのは二次的な要素で、それを狙った俳句は、個人から離れた根無し草のように思えて仕方がないのです。その個人に相応し内容、表現こそが求められていると思うのです。

高野素十さんは、俳句以前ということをよくいわれたそうです。俳句以前に自分という俳句を生むための母胎があり、そこから自分の俳句が生まれてくるというのです。つまり、俳句を作る人の有り様、普段の暮し、自然との付き合い方などをいっているのではないかと思われます。
その母胎から生まれた俳句は、自然に私たちの有り様を反映することになりましょう。それを正しく伝えさえすればいいのです。
俳句の面白さとは結局、自分が何をどんな風に感じたのか、自然のなかに生きる自分の有り様を知ることであり、自己発見の面白さだといえるのではないでしょうか。

三百三十九、詩情ということ

私たちが俳句で本当に伝えたいのは、目の前にある事実ではなく、その背後にある詩情ということになりましょう。眼前の景からまるで合せ鏡に映るかのように、背後の詩情が立ち上がってくる、そんな句がいい句なのではないでしょうか。

例えば、次の二つの句を比べてみましょう。
鳥たちのどこかに潜むゆだちかな      金子つとむ
夕立の雀向かひの窓枠に          〃

前者は、作者の思いが中心になっているため、読者には景が立ち上がってこないのではないでしょうか。ゆだち(夕立)もどこか茫洋としており、眼前の景としての迫力に乏しいように思われます。
後者は、写生に徹することで、眼前の景をリアルに描きだしています。前者の〈どこかに潜む〉の具体例が、向かい家の窓枠という風に、実際の景に置き換わっています。

さて、掲句をもとに、詩情ということに立ち入ってみましょう。詩情が詩に現したい作者の感情だとすれば、前者の句はむしろ詩情そのものといえましょう。
後者の句では、句の面には詩情は現れていませんが、読者が、窓枠の雀から他の鳥たちへ、そして夕立に逃げ惑う鳥たちへと思いを馳せることで、どこかの軒下で、あるいは木立のなかで、思い思いに突然の激しい雨をやり過ごす鳥たちの姿が見えてくるはずです。
つまり、詩情とは作者にとっては俳句によって最も伝えたい感情であり、読者にとっては想像力によって探がしだす作者の感情だということになりましょう。すると、俳句のあるべき姿は自ずから明確になってくるのではないでしょうか。

俳句の役目は、読者の想像力を刺激し、読者を作者が最も伝えたい詩情へと導くことなのではないでしょうか。
例えば次の二つの句などは、美しいなどとは一言もいわずに、水の美しさを十分に表現し得ているのではないかと思われます。
天領を分かつ一水月涼し          小宮山 勇
深秋の藪に光れる忘れ水          渡辺 政子

さて、風天さんの句に
ゆうべの台風どこに居たちょうちょ     風   天
がありますが、眼前の蝶に向ってひとり呼びかけています。この呼びかけによって、読者は台風のなかで、必死に何かに縋っていたに違いない一匹の蝶の健気な姿を想像するのではないでしょうか。同時に思いのほかの逞しさも・・・。
風天さんは、ご存知風天の寅さんこと、渥美清さんです。寅さんのやさしさの滲みでているような句だと思います。

三百四十、擬人化と創作

今回は擬人化と創作ということについて考えてみたいと思います。まず、高野素十の次の句から始めましょう。
ひつぱれる糸まつすぐや甲虫        高野 素十
素十はなかなか自分の句集を出版しようとしなかったのですが、やっと出した初鴉の序文で、氏の高浜虚子が
磁石が鐵を吸ふ如く自然は素十君の胸に飛び込ん来る。素十君は画然としてそれを描く。文字の無駄がなく、筆を使うことが少なく、それでゐて筆意は確かである。句に光がある。これは人としての光であろう。
と、絶大な賛辞を贈っています。素十は虚子の教えを守り、客観写生に徹した人でした。

さて、掲句を仮に次のようにしてみると、どうでしょう。
甲虫糸をひつぱり逃げんとす
〈逃げんとす〉に作者の主観が入り、甲虫は擬人化されたことになります。擬人化は、自然のできごとを人間界のできごとに置き換えてしまうともいえるでしょう。その結果、自然界のできごとを矮小化してしまう危険性があるように思います。

素十の句からは、家の柱か何かに繋がれた甲虫の景がすっきりと立ってきますが、擬人化してみると、逃げるに力点が置かれることで、〈糸をひっぱり〉がやや霞んでしまうように思われます。しかし、私たちが自分でも気づかずに擬人化してしまうのは、何故なのでしょうか。
一つには、共感する力が人並み優れているからだともいえましょう。甲虫が途端に自分に置き換わってしまうのではないでしょうか。

しかし、この共感し擬人化する力は、自然への畏敬と表裏一体の関係にあるように思われます。何故なら、冷静に考えてみれば、甲虫が糸を引っ張るのは、私たちの逃げるという感覚と少し違うかもしれないからです。
だれも甲虫と話しはできないわけですから、確認しようがないともいえるでしょう。そうすると、自然を畏敬するならば、ありのままに写生する以外に方法はなくなるのではないでしょうか。
俳句では、できるだけ自分のことを詠んだ方がいいといわれますが、他人の行為を詠むとそこには想像力が働くことになります。他人の行為を何等かの解釈とともに作句することは、厳密にいえば作者の創作ということになりましょう。動物ならそれを擬人化といい、他人の行為ならそれを創作とよんでいるだけなのかもしれません。
ここには、作者の立場が典型的に表れています。つまり、自然を尊敬して写生に徹する立場と、自己を信じて創作を施す立場です。現在の俳句は、この両方の立場から作られているように思います。

三百四十一、吟行で感じたこと

秋晴れの一日を柴又に吟行しました。出句された句を見ていると、句にする材料は人それぞれで、まさに俳句は出会いであるということを強く感じました。

柴又というと、フーテンの寅さんですが、寅さんを演じた渥美清さんは、風天という俳号の俳人でもありました。
風天さんの作品をいくつかあげて見ましょう。
芋虫のポトリと落ちて庭しずか        風 天
ゆうべの台風どこに居たちょうちょ      〃
テレビ消しひとりだった大みそか       〃

なかでも、台風のあとの蝶々は、秋の蝶でしょう。そんなこともあって、風天さんのことがその日、私の意識を占めていたようです。俳句は私たちが見たものを写生して作りますが、もっと厳密にいうと見たものというよりは、見えたものではないかと思うのです。
つまり、こちら側に見る用意があって初めて見えてきたものという意味です。そのように考えると、俳句はまさに出会いではないかと思うのです。

高野素十さんは、自分の作句法について、次のようなことばを残しています。素十の研究(亀井新一著、新樹社)
ある言葉を使うのは使うだけの心の要求がある。その点で技巧とその人の主観とがぴったりと一致して居って、我々が之等の人々の句を鑑賞する場合に、心に寸分の隙を与えない。之も長い修練の結果と思う。然るにこれ等の諸君(注、秋桜子、誓子、青畝等)の句の形骸だけを学んで、本当の自分の態度というものを持たない人々がかなりあると思う。私としてはいつも句を作る場合に、先ず自分の心を静かにする正しくするということが一番焦眉の急務であって、その他のことはあまり考えたことがない。変に面白がった句を作ろうなどと思うと飛んでもない句が出来てしまうのである。」(太字筆者)
素十さんもまた、こころを空しくして、自然との出会いを待っていたのではないでしょうか。

蝶々のことが気になっていたせいか、秋蝶を何度もみかけました。帝釈天の辺りでも、矢切の渡しから野菊の墓の文学碑へ向かう畑道でも・・・
葛飾のひかりに消ゆる秋の蝶        金子つとむ
葛飾のひかりに生まる秋の蝶        〃

こんな句ができましたが、私のこころの内では、消ゆるといっても、生まれると言ってもどこかそぐわない感じがしていました。そこで、
秋の蝶かつしかの野に光充つ        〃
としてみました。こうすると秋の蝶は光のなかで勝手に動きだすのではないかと思ったのです。私のこころの要求は、野の光だけだったのかも知れません。

三百四十二、心の要求

これまでにも何度か紹介しましたが、素十の研究(亀井新一著、新樹社)のなかで、亀井氏は、高野素十の作句の心構えについて、素十本人のことばを引用されています。
「ある言葉を使うのは使うだけの心の要求がある。(中略)私としてはいつも句を作る場合に、先ず自分の心を静かにする正しくするということが一番焦眉の急務であって、その他のことはあまり考えたことがない。」
また、他の箇所では、素十の作句態度について、次のように述べています。
《物を重んずるという考えは、徂徠の学問の根本にあった。「大学」の「格物致知」の格物とは、元来、物来るの意であり、知を致す条件をなすものが格物であると解した。これを物の理を窮めて知を致すと解する通説は全く誤りだとした。せっかく物が来るのに出会いながら、物を得ず理しか得られぬとは、まことに詰まらぬ話だ、とするのが徂徠の考えだ。物来る時は、全経験を挙げてこれに応じ、これを習い、これに熟し、「我が有リト為セバ、思ハズシテ得ルナリ」という考えだ・・・・》(徂徠)
素十が「外界から纏まった景色、感じというものが出て来るのを待っている。」とは、つまりこの「物来る」の状態に似ている。だから、それは素十にとって「大へん手間がかかる。手間がかかるというより時間がかかる。」(後略)

素十のいう、心の要求ということを私なりに解釈してみると、以下のようになります。私は、俳句のなかで使われることばは、季語でもそれ以外のことばでも、全て氷山の一角のようなものだと考えています。俳句として、他者に見えているのは、氷山の一角であることばに過ぎません。その氷山の隠れている部分は、そのことばを使う、そのことばでなければならないと考える作者の思いといえるのではないでしょうか。
この思いがあって、ことばが使われるのです。俳句という短詩は、全てのことばを氷山の一角をなすことばで構成せよといっているのではないでしょうか。一つのことばも蔑ろにしない、全て背後にそのことばを使うだけの裏付け、すなわち心の要求を求めているのだと思うのです。

ことばの選択もその配置も、一字一句が心の要求のままに表出されたとき、その句は、ことばに現れなかった作者の大いなる思いを、氷山の見えない部分として抱えることになりましょう。そして、私たちが一句を鑑賞するということは、氷山の一角から作者の思いである隠れた部分に思いを馳せることではないかと思うのです。
柊の花一本の香かな            高野 素十
あをあをと春七草の売れのこり       〃
歩み来し人麦踏をはじめけり        〃
芦刈の天を仰いで梳る           〃

三百四十三、数詞のこと

飯田龍太氏が、俳句入門三十三講(講談社学術文庫)のなかで述べていたことが、ずっと気になっていました。以下に引用します。
一瞬の肉片が消ゆ梅雨の檻
この場合、獣をこの表現のなかから意識する人があったとすれば、ある意味の短詩の鑑賞力に欠陥のある人だと思う。そういうことはなにから出てくるかというと、梅雨の檻の肉片が消え去った後にも、作品のなかにまざまざと赤い色を見せておることです。湿っておる檻のセメントの床に、現れようと、投げられようと、拾われようと、食べられようと、ともかく鮮やかな肉片が供されておる。この作品に獣がいようといまいと、湿ったセメントの床がこの作品の隠された重みになっている。(太字筆者)

私なりに解釈すれば、氏はこの句のポイントは肉片と梅雨の檻であって、そこに至るストーリーではないのだということではないかと思われます。つまり、読者は肉片と梅雨の檻をそのまま感受した方がいいといっているのではないでしょうか。
このことを前置きとして、数詞のことを少し考えてみたいと思います。句会に次の句が投句されました。
リュックより八つ取り出す花梨の実     加納 聡子
私だけが特選でいただき、他には点が入りませんでした。花梨の実はどれも個性的で、生食には適さないようですが、砂糖漬や果実酒、咳止め薬にしたりします。八つというのはどこかで頂いたものでしょう。それを背負ってきて取り出したところと解釈できます。
私は、八つの花梨の実が、ごろごろと転がっている様に、思わずユーモラスなものを感じました。しかし、多くの方が八という数詞に引っかかってしまったようです。

その言い分は、何故八つでなくてはいけないのか、何故七つではダメなのか。八つにはどんな意味があるのか等々です。私は、単純に作者は貰った八つの実をリュックに入れて運んできたのだと思いました。それにつけても思いだすのは、子規の鶏頭の句です。
鶏頭の十四五本もありぬべし        正岡 子規
数詞にこだわりをもつのは致し方ないとしても、私は十四五本と捉えた作者の思いを諾うことができればそれでいいのではないかと考えています。子規はおそらく、鶏頭の花の有り様を十把一絡げに捉えて、十四五本といったのでしょう。そのような捉え方が、そこら中に生えている鶏頭には相応しいと思うのです。
先程の花梨の実も、八つの花梨の実がもたらす量感や質感、色彩感を感じ取ることができればそれでいいのではないかと思うのですが如何でしょうか。
黄熟をこばみて歪む榠樝の実        百合山羽公


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