俳の森-俳論風エッセイ第34週
二百三十二、ときめきの痕跡
題詠をしていると俳句は創作であると勘違いしそうですが、わたし自身は、俳句はむしろ体験に近いものだと考えています。自分史であり自分詩である俳句には、作者自身のときめきが必須なのではないでしょうか。
例えば、一輪の花を見てあっと思ったときめきが一句の始まりです。そのときめきを句にすることで、ときめいた事実が、自分自身を知るよすがともなるのです。一句のなかには、そのときめきの痕跡が自ずから現れるものだとわたしは考えています。
わたしたちの発話は、身体が、五感が、何かを感じ取って生まれてきます。そのすべてを意識することはできないでしょう。普段の会話を思い浮べてみればいいのです。目には見えないその場の雰囲気まで掴み取ったうえで、わたしたちは自然に会話をこなしています。
俳句とて同じではないでしょうか。作者が五感で感じたすべてのことが一体となって、ことばを生み出してくるのです。そうして生まれた一句のリズムには、作者のときめきが宿るのではないでしょうか。作者自身のことばであればあるほど、一句は独自性を帯びてきます。
俳句が類句・類想を嫌うのは、作者のときめきを詠えということなのではないかと思います。頭で考えて作ったものには、どこか類想が付き纏うものです。空想の匂いがしてしまうのです。作者が現場にいてときめいている感じがしないのです。それを具体的に指摘するのは難しいのですが、会話でも話ができすぎていると、どこか嘘っぽく感じてしまうのと少し似ているかもしれません。
俳句は、創作ではなく体験なのではないでしょうか。
だからこそ、自分にとっていっそう意味があるのではないかと思うのです。細見綾子さんの句には、作者のときめきが素直に表現されています。これらの句にわたしは、少女のような純真を感じてしまうのです。
チューリップ喜びだけを持ってゐる 細見 綾子
つばめつばめ泥が好きなる燕かな 〃
山茶花は咲く花よりも散つてゐる 〃
「言葉で世界を変えよう」(黛まどか、茂木健一郎共著、東京書籍)のなかで、黛氏は次のように発言しています。
「桜」や「朧月夜」と詠んだ瞬間に、何とも言えない情趣がおとなう。それは、季語という言葉の力が発揮された瞬間だと思いますが、同時にその季語を依り代として、何か別の命が詠み手の中に宿った瞬間だとも思うんです。
大げさにいえば、一句を得る毎に作者は、新しい自分と向き合うことになるのではないでしょうか。
二百三十三、省略不能な『に』と補完の関係
俳句を推敲する過程で、語順を入れ替えていたりすると、次のような句ができてしまうことがあります。始めは原句に引きずられて、推敲句でもよさそうにも思うのですが、果たして、二句一章の補完関係は成立するのでしょうか。その理由も含めて考えてみたいと思います。
【原句】朝顔に夕べの水の行き渡る。 金子つとむ
【推敲】行き渡る夕べの水や。牽牛花。 〃
結論からいえば、このようなケースでは、補完関係は成立しないように思います。原句から、助詞の「に」をとることはできないのです。何故なら、原句の意味を保つには、「に」は必須の助詞だからです。
しかし、推敲句では、助詞「に」が外されています。このことで、牽牛花の意味合いに変化が生じてしまうのではないかと思われます。
原句では、牽牛花は水が行き渡る対象であるのに対し、推敲句では、牽牛花そのものというより、牽牛花のもつ情趣が前面に押し出されてきます。単に牽牛花といわれれば、読者はそれが咲いている情景を思い浮かべるのではないでしょうか。
ここに推敲句を読んだときに生じる違和感の原因があるように思われます。
仮に、原句を知らずに推敲句だけを読んだとしましょう。どんな光景が見えてくるでしょうか。牽牛花から想像されるは、それが咲いている朝の時間、その静けさや一日の始まる活気のようなものではないかと思います。
それに対し、夕べの水が齟齬をきたしているのです。助詞「に」の欠落により、「行き渡る夕べの水や」という句文の行き場がなくなり、意味がとりにくくなってしまったといえましょう。
しかし、何故このような推敲をしてしまうのでしょうか。それは、助詞「に」が理屈っぽくて嫌われるからではないかと思われます。回避策の一つとして、朝顔(牽牛花)が主語になるように、述語を変える方法があります。例えば、次のようになります。
【原句】朝顔が夕べの水によみがえる。 金子つとむ
【推敲】牽牛花。夕べの水によみがえる。 〃
ところで、「朝顔の実」は漢方薬として使われ、中国の故事では、「王の大病をこの薬で治し、その褒美に当時としては財産であった牛を貰って帰ったことから、牽牛子(けんごし)と呼ばれるようになった」ということです。
朝顔の強さを目の当たりにすると、その牽牛子の謂れにもどこか納得してしまいます。
朝顔や濁り初めたる市の空 杉田 久女
二百三十四、ものの実在化について
突然ですが、俳句を読んでわたしたちは何故感動するのでしょうか。
滝の上に水現れて落ちにけり 後藤 夜半
この滝の本質をずばりと言い当てたような句を読むたびに、わたしは、眼前に滝が現れ、水が落ちつづけるのを感じます。翻って、俳句の価値は、ことばがものをものとして存在させることにあるのではないでしょうか。まさに、そのものがそこに紛れもなく存在する感じ、それが、わたしたちを感動させるのではないかと思うのです。
いうまでもないことですが、ことばは、ものそのものではありません。ことそのものでもないのです。ただ、何かを指し示すだけのことば。それなのに、掲句からは、紛れもなく滝が現れ、水が・・・現れたのです。
それをそこに現存せしめるのが、ことばの力、文芸の力ではないでしょうか。掲句には、水の実在感があり、まさに水が躍動しているのです。
このように考えると、優れた句というものは、ものの実在感を際だたせた句ということもいえるのではないでしょうか。それが、そこに厳然としてあること、そのことがわたしたちに信頼と安心を与えるのではないかと思うのです。端的にいえば、わたしたちは俳句を通してものに触れる。その手触り感を味わっているのです。
例句をあげて、ものとして実在化しているようすを見てみましょう。
かたまつて薄き光の菫かな 渡辺 水巴
赤とんぼ鞍外されし馬憩ふ 皆川 盤水
町空のつばくらめのみ新しや 中村草田男
花衣ぬぐやまつはる紐いろいろ 杉田 久女
人入つて門のこりたる暮春かな 芝 不器男
まま事の飯もおさいも土筆かな 星野 立子
とどまればあたりにふゆる蜻蛉かな 中村 汀女
冬蜂の死にどころなく歩きけり 村上 鬼城
鳥わたるこきこきこきと罐切れば 秋元不死男
乳母車夏の怒涛によこむきに 橋本多佳子
一句を読んだ瞬間にわたしたちを引き付けるのは、この実在化したことばのように思われます。それは、理屈ではなく、咄嗟に感じとることのできるものです。わたしたちが選句するときには、無意識にこのようなことばを捜しているのではないでしょうか。
古代、人々は、ことばに宿る不思議な霊威を感じて、それを言霊と呼びました。ことばの不思議がわたしたちを俳句の虜にしてやまないのです。
二百三十五、ものを実在化させる方法
前項で、ものの実在化について述べましたが、具体的にどうすればものを実在化させることができるのでしょうか。今回は、前項でも例句としてあげた二つの句をもとに考えてみたいと思います。
滝の上に水現れて落ちにけり 後藤 夜半
掲句のキーワードは、やはり「水現れて」でしょう。このことばが、滝の本質をみごとに言い当てているからです。それだけに、多くの読者がこの句から、自分が見た実際の滝を思い浮かべることができるのではないでしょうか。
作者は、滝と対峙することで、このことばを掴みとったのでしょう。それが、どのようにやってきたのか他者には知る由もありませんが、このことばに出会ったことは、作者にとっても驚きであり、発見だったのではないかと思われます。端的にいえば、作者は、「これだ!」と小躍りしたに違いありません。作者の記憶のなかの様々な滝も、この一語によって浮かびあがってきたのではないでしょうか。
このような認識の一語を得ること、それが、ものを実在化させる一つの方法といえましょう。
次に、橋本多佳子の句を見てみましょう。
乳母車夏の怒涛によこむきに 橋本多佳子
一読し、すっと景が立ち上がってきます。乳母車と怒涛の組み合わせに、はっと息をのむようです。
こちらには、前句でみた本質をつくような一語は見当たりません。まさに、乳母車と怒涛の組み合わせのなかに、作者の感動が込められているといえましょう。
この句からは、乳母車を押す人は見えてきません。眠る幼子を乗せた乳母車と怒涛との対比が、わたしたちを釘付けにするのです。この映像が刺激的なのは、わたしたちが怒涛を前にしたときの不安や怖さが、乳母車によって増幅されているからではないでしょうか。
短い俳句が、詩情を伝えるために拠り所としているのは、読者の五感やその体験です。わたしたちの五感がどこかで感じとっていたのにことばにできずにいたもの、わたしたちが記憶の彼方にしまい忘れていた映像、一句はそれらに働きかけ、一気に呼び覚ますのです。
厳密にいえば、わたしたちは一人として同じ体験をすることはできません。わたしの視点は、わたししか辿ることができないからです。
滝のイメージは人によって、千差万別でしょう。乳母車、夏の怒涛も同様です。しかし、ことばの力が、読者の滝を、読者の乳母車を、読者の怒涛を強烈に呼び覚ますのです。
そして、ことばにそのような力を与えたものは、作者の感動ではないかと思うのです。
二百三十六、句形の大切さ
朝妻主宰が句形論の冒頭で、助詞の省略について述べていますが、これには、二つの重要な意味があります。
① 句形を知るには句点を打つことが必要ですが、その際、助詞の省略かそうでないかを峻別するためです。
② 句形を整える際に、誤って省略不能な助詞を省略してしまうことがないようにするためです。特に、初心のうちは要注意です。
しかし、読者はなんと優しいのでしょう。助詞の省略が不適切であっても、ちゃんと解釈してくれるのです。母親が幼児のことばを聞き分けるように、読者は、作者のいいたいことを推量して、たとえ表現が未熟であっても、好意をもって解釈します。
しかし、だからといって、いつまでも読者の好意に甘えるわけにはいきません。俳句を自分の意図どおりに理解してもらうためには、句形を疎かしてはいけないのです。
具体例で見てみましょう。
夏神楽。見入る遊客。顔光る。(三句一章)
片言のような掲句では、詩情を十分に伝えることはできないでしょう。作者は単に、「夏神楽に見入る遊客の顔が光る」といいたかったのではないでしょうか。けれども、このままでは、六八六の字余りとなってしまいます。そこで、手っ取り早く助詞を省略してしまったのでしょう。
しかし、「に」を省略して「夏神楽見入る」とすることはできません。また、「遊客の顔が光る」を、「遊客顔光る」とすることは、無理とはいえないまでも、自然な表現とはいえないでしょう。そこで、
夏神楽(を)見る遊客の顔(が)光る。(一句一章)
とすれば、一句一章として句形が整います。
「見る」としたのは、自動詞の「見入る」から他動詞にするためです。もし、「見入る」にこだわるのであれば、「見つむ」を使うこともできましょう。どちらも「を」と「が」が省略された形になります。
夏神楽(を)見つむる人の顔(が)光る。(一句一章)
ここで大切なのは、五七五にする過程で、作者はことばの吟味を迫られるということです。掲句では、「見入る」と「遊客(ゆうかく)」ということばを吟味しています。
これが、五七五にすることの本当の意味だとわたしは考えています。この吟味を通して、作者は自身の感動の核心を見極め、一句のなかに置くべき最適なことばを捜し当てることになるのです。
正しい句形を使用することは、表現したいことを自分自身でしっかりと把握し、それを正しく伝えるために守るべき必須の条件だといえましょう。
二百三十七、俳句の定義
「五七五で季語一つ」は俳句の定義なのでしょうか。初心のうちはまだしも、これを俳句の定義だと勘違いすると、それから起こることが理解できなくなるでしょう。
俳句の世界には、五七五ではないものも含まれます。それは、字余りとか字足らずと呼ばれています。しかし、それらは、俳句ではないとは誰もいいません。
季重なりも同様です。あれほど、季語は一つと言われ続けてきたのに、この季重なりは問題ないなどといわれます。それでは、季語一つは、何だったのかということになりましょう。
「五七五で季語一つ」は、俳句を始めたばかりの初心者に対する方便に過ぎないとわたしは考えています。しかし、問題は、その後がないことなのです。それが方便だとしたら、俳句の定義は、どうなるのでしょうか。
俳句の団体あるいは、結社ごとに主張はあろうかと思いますが、もし、有季定型を標榜するなら、どこかで、「俳句は、五七五の音数律を生かし、季語を働かせて作る、一個の独立した詩である。」と正しく、教えるべきなのではないでしょうか。
五七五の基本の調べが中心に座ることで、字余り、字足らずの味わいもでてきます。また、季語を働かすということは、季語が一つということと同義ではありません。一句のなかに少なくとも一つ、一句の句意を確定するように働く季語を置くということです。
そして、一句は切れによって独自の内容を持ち、詩情を湛えたものでなくてはならないのです。ここで、俳句のハードルは一気に上がることになります。しかし、それ故、一生続けていくやり甲斐や気概が生まれてくるのではないでしょうか。
「五七五で季語一つ」から卒業することは、わたしたちに、改めてその意味するものを問い掛けることになりましょう。各人がその答えをみつけたとき、俳句は、わたしたちにとってかけがえのない表現手段となるのです。
西東三鬼は、俳愚伝(「神戸、続神戸、俳愚伝」、講談社文芸文庫)のなかで、初心の頃の俳句修行を次のように回想しています。
「馬酔木」句会に出席した私は、そこに渦巻く新鮮な興奮を感じた。それは未知へ向かって踏み出した、青年達の体から発散していた。(略)
私は三十才を過ぎてからとび込んだ俳句の世界が、大きく動きかけている事を感知して、心が躍った。(略)
私は遅れた出発を取り戻すために、文字通り寝食を忘れて俳句の勉強をした。勉強とは秋桜子、誓子を始め、年少の俳人であっても、私が期待する人々の作品を、片っぱしからノートし、それを暗誦する事であった。
二百三十八、生まれることば
わたしたちが俳句を作る時、ことばはどこからくるのでしょうか。山本健吉氏は、一、俳句は滑稽なり、二、俳句は挨拶なり、三、俳句は即興なりといいましたが(俳句とは何か、角川ソフィア文庫)、即興といってもことばが生まれるためには、機が熟すことが必要だと思うのです。
当地では、八月の末にはもう稲刈りが始まりますが、いつものように鳥見をしていて、田の面を飛ぶ燕を見ていた時のことです。ふと、この燕も飛びながら田圃の移り変わりを見てきたのだなと思ったのです。
三月の末にやってきた燕たちは、田植えから稲刈りまでを見届けて帰っていくのだという思いが湧いてきたのです。その時、ふとこんなことばが浮かびました。
田の面を知りつくした燕
そんなことを考えたのは、その時が初めてでした。そしてこのことばが浮かんだ時、幾度となく見てきた燕の姿が、一気に蘇ってきたのです。まさに、これまで見続けてきた燕の断片的な映像が集積して、ことばになった瞬間でした。そして、推敲ののち、次の句となりました。
燕帰る一つの路地を知り尽くし 金子つとむ
わたしたちが俳句を作るのは、ほんの僅かな時間でしかありません。大半は、何かを感じながらただ見ているだけです。しかし、それらは記憶としてすべて蓄積されて、何かの拍子にことばとなって姿を現すのではないでしょうか。何かの拍子とは、わたしたちの感動です。
いま述べたのは自作が生まれる経緯ですが、他者の句を受容する場合でも、同じようなことが起こっているのではないかと思われます。わたしたちは、他者の俳句のなかに、いつも「田の面を知りつくした燕」のようなことばを捜しているのではないでしょうか。
知っているのにうまく表現できなかったもの、それを他者が自分の代わりに表現してくれるのです。「わが意を得たり」というのは、まさにそのことでしょう。そんな時、わたしたちは、文句なしにその句に一票を投じるのではないでしょうか。そうして、わたしたちは、互いの感動を通して繋がっていくのです。
突き詰めていえば、わたしたちが俳句を作るのは、他者に見てもらうためでしょう。わたしたちの誰もが生きた証を残したいのです。表現とは、すなわち、生きた証を残したいという欲求のことではないでしょうか。
文芸の仲間というのは、かけがえのないものです。俳句を通して、わたしたちは、そんな感動を互いに共有しあっているのですから・・・。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?