俳の森-俳論風エッセイ第26週
百七十六、写生の鍛錬
評伝高野素十(村松友次著、永田書房)のなかに次のような記述を見つけました。
さて、素十対花蓑はどうであったか。例によって秋桜子の『高浜虚子』から引く。大正十二年ごろのことであろう。素十、手古奈、たけし、花蓑らが互にホトトギスへ投句するための句を持ち寄り、主として花蓑とたけしが点検する会がはじまった。
その第一回に素十は、「団栗の葎に落ちてかさと音」といふ句を出した。すると花蓑の句も同じ団栗を題材としたものであったが、それは「団栗の葎に落ちてくぐる音」といふので、比較にならなかった。「いやな親仁だな、こっちは苦労してかさと音と言ったのに、くぐる音なんて言いやがる。俺は今度あの親仁にくっついて行って教わるんだ。」素十は帰途の道端を歩きながら嘆息した。
吟行などでは似たような句ができることはままありますが、ここで紹介されている句は下五の三文字だけが異なるだけです。素十が、水原秋桜子に触発されて俳句を始めて間もない頃のことです。
団栗の葎に落ちてかさと音 高野 素十
団栗の葎に落ちてくぐる音 鈴木 花蓑
素十のことばにあるように、「かさと音」は、本人にとっても自信作だったのです。「かさと音」と聞き止めるのも写生ですが、さらに「くぐる音」と聞いたところにより深い写生があるように思われます。「かさと」は単なる擬音にすぎませんが、「くぐる」となるとまさに葎のありようが眼前に一気に広がってきます。
「かさと」と「くぐる」の間には、容易でない写生の鍛錬があるように思われます。花蓑もすごいと思いますが、それに脱帽した素十もすごいのではないでしょうか。何故なら、「くぐる」のすごさが分かるということは、それが目標となって、鍛錬次第では、いつかそこに到着できるということを意味するからです。
さらに、同書から素十の臨終の時の様子をご紹介します。
この号(筆者注ホトトギス大正十四年十二月号、)に鈴木花蓑の四句が入選している。その第一句は、
頂上や淋しき天と秋燕と 東京 鈴木 花蓑
である。素十は昭和五十一年十月四日永眠したが、その最後の病床で富士子夫人に向かってこの句をつぶやき、「うまい句だ」と言ったという。(略)この間に五十一年の歳月が流れているのであるが、素十はこの世の最後の瞬間に畏敬する花蓑の句をつぶやいたのである。
素十は、この花蓑の句を目標に俳句の道を歩んだのではないでしょうか。
百七十七、実感と発話
評伝高野素十(村松友次著、永田書房)に、素十の次の句をめぐっての池内(いけのうち)たけし、高浜虚子のやりとりがありますので、引用してみます。
この号(筆者注:ホトトギス、昭和二年四月号)の雑詠句評会で素十の句がとりあげられている。
麦踏の出てゐる島の畑かな 高野 素十
たけし 一見平凡なる景色である。ただ単にこの句を見れば何等の奇もない句である。然るにこの句のどこかに云ひ知れぬ興味と味はひを覚えるのはどういふ訳であろうか。
虚子の評の的確さ、深い洞察に感嘆する。
虚子 この句は陸地から海をへだてて島の畑を見たときの句であろうと思ふ。「出てゐる」といふ言葉から左の二つのことを連想することができる。
毎日見てゐる島の畑に、百姓の出てゐない日が多い。たまたま今日は麦踏に出てゐるのである―といふこと。それが一つ。
尚一つは、それが生きた人間で物を言ったり活動したりするといふことを感ずるよりもただぽつんと畑の中に出てゐる感じ、大空に月が出てゐるいふのと同じやうな感じ、―そういふ感じが出てゐる。それが、第二である。(略)
まさに名伯楽(ばくろう)によって名馬が生れてくる。その瞬間であるように思われる。
ここでは、虚子が名解説をした「出てゐる」ということばがどのように生れたのか、少し考えてみたいと思います。
もし作句の状況が虚子の見立て通りだったとすれば、「出てゐる」は、虚子のいう状況下では普通に出てくることばではないかと思われます。
「おっ、今日は島の畑に人が出てゐるぞ、暫くぶりだな。」
「ありゃきっと、麦踏だな。」
わたしたちは、その場の状況に応じて、最も相応しいことばを選んで発話しているのではないでしょうか。もしこれが、遠望でなければ、出てゐるという措辞にはならないと思うのです。そういう意味では、素十はただ写生をしただけなのかもしれません。そして、その時の情景にもっとも相応しいことばを選び取ったのだといえましょう。
もし仮に作者がもっと近くで、人の顔も識別できるような近さで麦踏を見ているのであれば、素十の別の句のように、
歩み来し人麦踏をはじめけり 高野 素十
などとなったことでしょう。
「出てゐる」は、そこに作者がいたことを図らずも証明しているのではないでしょうか。その作者の実感のことばが、たけしの感動につながり、虚子の名解説につながったものではないかと思われるのです。
百七十八、ことばの花
茨城笠間市の陶芸美術館で、没後二十年ルーシー・リー展を見ました。頂に薄皿を載せたような独特のフォルムの花器。そのキャプションには、次のようなことばが添えられていました。
リーは、さまざまな古典様式などを吸収しながら、純粋に存在そのものが美しい器を追求し、独自のスタイルを生み出していった。(太字筆者)
「純粋に存在そのものが美しい器」、そのことばに触れたとき、ふとそれは花のようなものではないかと思いました。花はまさに神の創造物、言い尽くせないほどの美しさでわたしたちを虜にします。
翻って、俳句もまた一つの花、ことばの花でありたいと思うのです。わたしたちが、一字一句まで気を配り、推敲に推敲を重ねて一句を作り出すのは、ことばの花を作りたいからではないでしょうか。
――純粋に存在そのものが美しい俳句――
しかし、そのためには、ことばの美しさとともに存在感を手に入れなければならないでしょう。
評伝高野素十(村松友次著、永田書房)によれば、高浜虚子は、「秋桜子と素十」と題した公演のなかで、素十の以下の句を上げて、次のように評しています。
蟻地獄松風を聞くばかりなり 高野 素十
水すまし流るる黄楊の花を追ふ 〃
塵とりに凌霄の花と塵すこし 〃
草の戸を立ちいづるより道教へ 〃
門前の萩刈る媼も佛さび 〃
花冷の闇にあらはれ篝守 〃
道ばたに早蕨売るや御室道 〃
傘さして花の御室の軒やどり 〃
菊の香や灯もるる観世音 〃
くらがりに供養の菊を売りにけり 〃
厳密なる意味に於ける写生と云ふ言葉はこの素十君の句の如きに当て嵌まるべきものと思ふ。素十君は心を空しくして自然に対する。自然は何等特別の装ひをしないで素十君の目の前に現はれる。
自然は雑駁であるが、素十君の透明な頭はその雑駁な自然の中から或る景色を引き抽き来ってそこに一片の詩の天地を構成する。それが非常に敏感であってかくて出来上がった句は空想画、理想画といふやうな趣はなく、何れも現実の世界に存在してゐる景色であるといふ事を強く認めしむる力がある。即ち真実性が強い。(太字筆者)
虚子は写生の真実性ということに言及しています。真実性とは、一句の存在感そのものではないでしょうか
夏野来てルーシー・リーの花に立つ 金子つとむ
百七十九、自分を写生する
前項でご紹介したルーシー・リーの花器が花のようだとの思いは、わたしのなかで強く印象づけられました。そこで、はじめそれは、次のような句となりました。
爽やかや花のやうなる花器を見て 金子つとむ
しかし、これはわたしだけが分かるいわば独善句です。花のやうなる花器が、果たしてどんなものであるのか、作者にとっては当然のことが、この句の表面には語られていないからです。
そこで、読者は「誰のものか分からないけれど、花のような花器をどこかで見たんだな」という程度で、この句を通り過ぎてしまうのです。「花のやうなる」を「花の如し」とか、「花と覚ゆる」とかどんなにことばを変えてみても、作者の主観から一歩もでることはできないでしょう。それでも、花のようだという思いが強ければ強いほど、一度獲得したことばは手放し難いものなのです。
しかし、冷静になって考えてみましょう。「花のやうなる」という思いは、作者の主観に過ぎません。その花器をだれもがそう思うとは限らないからです。でもそんな感じのことを作者はどうしてもいいたいのです。それを云わなければ自分の作品ではないと思い詰めてしまうのです。
そんなとき、素十の次のことばに出会いました。評伝高野素十(村松友次著、永田書房)より、ホトトギス昭和三年五月号に掲載された「俳句の技巧と見方」と題した素十の公演記録を引用します。
月の友三人を追ふ一人かな 高浜 虚子
この月の友の句で一寸思い出した事を申しますがこの月の友の中には虚子先生自身も居らるるのであります。客観写生と云ふ事のなかには自分以外の物のみを描く事元より客観写生でありますが、又かくの如く自分の心を遠くに置いて自分を眺める。自分の動作を凝視すると云ふやうな事もよくあるのであります。之も俳句としての一つの手段であって、自分の立場、自分の行動を人に力強く印象する効果のある場合があります。(太字筆者)
このことばを読み、自分の思いを述べるのではなく、自分の姿を客観的に眺めてできたのが次の句です。
爽やかにルーシー・リーの花器を愛づ 金子つとむ
素十はまた、同公演の別の箇所で、次のように述べています。
俳句に於ては殊に意識して省略を行はなければならない。省略と云ふ意味は単純なるものを単純に叙すると云ふのではない。複雑なるものを単純に叙するのが省略であります。(略)一片鱗を描いてしかもよく全体が感ぜられなければならない。(太字筆者)
百八十、感動再現力
俳句で、できるだけ正確に詳しく叙述するとどういうことになるでしょうか。わたしは紫陽花が好きで、なかでも萌黄の毬に色が少し見えはじめた頃の瑞々しい感じが特に好きです。
紫陽花は、小花の密集した毬の、その花の先端辺りに最初に色が現れてきます。それが次第に広がって毬全体を染め上げていくのです。
その始まりを何とか句にしたいと考えました。そこで、
紫陽花の小花の先に藍浮かぶ 金子つとむ
としましたが、どうもしっくりきません。確かに、正確に詳しく叙すことで作者は何かいい得たような気分になってしまうものですが、例えそれが事実で、しっかり写生できたように思えても、それだけでは足りないのです。
そこで、いろいろと考えてみると、作者の感動は、まさに色が見え始めたそのことにあるので、色が何色かというのはむしろ余計なことではないかと気付いたのです。余計なことなら言わないほうがいい。そこで、次のように推敲しました。
紫陽花や小花の先に色点して 〃
改めて、原句と推敲句とを比べてみると、原句にあるのは、どちらかといえば観察者の視点といえます。
一句がどんなことを言っているのか、どんな風に言っているのかを検討すれば、作者の立ち位置、対象との距離は自ずから分かるものです。「小花の先」という表現から、作者は花を覗き込んで、その先に浮かんだ色が藍色であるところまでしっかり見届けています。
推敲句の立ち位置は原句と同じですが、むしろ、その花の色が見えた瞬間に焦点を当てています。萌黄色だった毬に初めて色が点した瞬間です。
ただ色が現われたという喜びが、『色』の一字になったのです。同じ色なら原句の方が正確に現場を表現できるのではないか疑問に思われるかもしれません。しかし、大切なのは、正しく伝えることよりも、感動を伝えることではないでしょうか。
一句の真実性、力強さといったものは、感動再現力からくるもののように思われます。作句の際には、自分に感動を与えたものが何であったのか、改めて自分に問うてみる必要があります。その感動が再現できるように作句することが、ほんとうの写生なのではないでしょうか。
感動再現力に優れた句が、はじめて読者を作者と同じ感動の現場に立たせるのです。推敲とは、感動再現力を高めるためのものです。それが唯一、自分の受けた感動を自分自身が知る手立てでもあるのです。
百八十一、瑣末主義
高野素十は、主宰誌の「芹」昭和三十八年二月号で瑣末主義と題する本質論を展開しています。長文ですが、評伝高野素十(村松友次著、永田書房)より引用します。
「・・・裏は海」などと大景を詠んだ句が骨太なのではなく「・・・芽のとびとびのひとならび」がむしろ骨太だと感じ得ない人は不幸である。素十の全文を示す。
瑣末主義 素十
近頃寄贈を受けた日本女子大学教授中島賦雄著の現代俳句全講という本に次のような事が記されている。
(前略)素十俳句が一種の力感を供えるのは、このためであろう。
一堂のあれば一塔百千鳥
三日月の沈む弥彦の裏は海
東塔と西塔冬日その間
この力感が失われたとき、素十俳句は一種の瑣末主義におちいる。「草の芽俳句」とは、そのライバルであった秋桜子の素十俳句のこの傾向への批判を込めた呼称である。
甘草の芽のとびとびのひとならび
おほばこの芽や大小の葉三つ
朝顔の双葉のどこか濡れゐたる(後略)
早春の地上にはやばやと現れた甘草(正しくは萱草)の明るい淡い緑の芽の姿は、地下にある長い宿根の故であろうかこのような姿であった。一つのいとけなきものの宿命の姿が、「とびとびのひとならび」であったのである。それを私はかなしきものと感じ美しきものと感じたのであった。(太字筆者)
甘草の芽のとびとびにひとならび ではないのである。そして、逆に次のように質問しています。
「流れゆく大根の葉の早さかな」と「大根の葉の流れゆく早さかな」との両句の興趣の径庭を評者はよく、識別評釈し得るものなりや。
以下、私見を述べさせていただきます。
「流れゆく大根の葉の早さかな」は、虚子が九品仏へ吟行したおりの嘱目吟と言われていますが、小川を流れていく大根の葉に目が止ったのでしょう。上五の流れゆくには、大いなるものの上に載って流れて行くといった趣があります。それは時間であり自然の運行そのものといってもいいでしょう。もちろん、眼前にあるのは大根の葉の端くれに過ぎないのですが、虚子はその背後に、大いなる流れを見ていたと言えるのではないでしょうか。
一方、「大根の葉の流れゆく早さかな」とすれば、流れてゆくのは、単に大根の葉だけになってしまうように思われます。上五に「流れゆく」と置いたことで、句全体に流れゆくものといったトーンがひびきわたるのです。これは、韻文の力といってもいいように思われます。
百八十二、韻文のちから
前項でふれた韻文のちからについて、さらに詳しく検討したいと思います。その眼、俳人につき(青木亮人著、邑書林)のなかに、素十の句の上五の連体形に着目した次のような記述があります。
ゆれ合へる/甘茶の杓をとりにけり
ひつぱれる/糸まつすぐや甲虫
食べてゐる/牛の口より蓼の花
漂へる/手袋のある運河かな
これらの上五の連体形は、永遠に現在のまま動作を続けるかのようであり、ただそのようにあり続けるものとして句全体に響いている。
青木氏はまた、同書の別の箇所で素十の手袋の句を以下のように評しています。
運河にあてどなく「手袋」が漂う・・・・一読して情景は彷彿とされるが、この句がもつ雰囲気はそれのみではあるまい。人間の手から離れ、運河の水面に漂う「手袋」を目撃した時、私たちは誰かの落とし物と感じるのみでなく、遺品に近い不気味さを感じることはないだろうか。
この感覚を後押しするのが、上五「漂へる」である。それは「運河に手袋が漂っている」という内容をもたらす以上に、
漂へる/手袋のある運河かな
と「漂へる」が作品内容と少しずれたところで宙に浮いたように感じられる。
氏が指摘されていることを素十風に述べれば、「手袋の漂っている運河かな」と「漂へる手袋のある運河かな」では、俳句としては、明らかに意味が異なるのです。それは、俳句が韻文であることから来ているというわけです。
これは、前号で鑑賞した高浜虚子の
流れゆく/大根の葉の早さかな 高浜 虚子
にも当て嵌まるように思われます。少なくともこれらの句の形では、上五が句全体に響くようなちからをもっていることになります。
わたしたちが、掲句を俳句(韻文)として読むということは、上五、中七の間に僅かながらも休止を置くことを意味します。そうすることでわたしたちは、直接的には大根にかかる「流れゆく」を、一句全体に掛かることばとして、同時に手に入れているのです。
これをもっと意識的に行なえば、そこに切字を入れるということになりましょう。切字で切られた上五もやはり、句全体に響いているのではないでしょうか。
閑さや/岩にしみ入る蝉の声 松尾 芭蕉
菜の花や/西のはるかにぽるとがる 有馬 朗人
降る雪や/明治は遠くなりにけり 中村草田男
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