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俳の森-俳論風エッセイ第50週

三百四十四、写生ということ

現在の取手市に越して十年程になりますが、その間一度も元の住まい付近を尋ねたことはありませんでした。それが、どうしたものか、十一月初旬のある日、別の用件で近くへ行った折、ちょっと立ち寄ってみようという気になったのです。少しお腹も空いていたので、よく通ったラーメン屋さんにでも行ってみようかと思いました。

常磐線の馬橋駅(千葉県松戸市)に降り立ったとき、
昔住みし駅に降り立つ冬日和        金子つとむ
という句が生まれました。その時、冬日和がやや寂しすぎるような気がしました。私も推敲の際、ごく稀に季語を別の時季のものに取り換えてしまうことがありますが、その時には何故か次のようなことが浮かんだのです。
〈私をここに連れてきたのは、まさしく冬という季節そのものなのではないかと・・・。〉

私たちは、人や自然や様々なものに影響を受けながら生きています。そのなかには、何故そんなアイデアを思いついたのか、自分でも説明できないことがたくさんあります。私が、その日に限って馬橋に立ち寄ってみたいと思った要因として、十年という歳月と冬という季節が大いに影響を与えていたのかもしれません。
仮に冬日和を秋日和や秋うららとしても、この句は成立してしまうでしょう。しかし、私は、ちょっと寂しい句だけれど、原句のままにしておくことにしたのです。
写生というのは、単にそれが事実であったということだけでなく、人知を越えて私たちに働きかける自然の力、その見えない力をも掬い取ることではないかと考えているからです。写生は、私たちが普通に考えるより、もっともっと奥深いものなのではないでしょうか。

哲学者の池田晶子さんは、『千年に一度 一年に一度』という論考(『考える日々Ⅲ』毎日新聞社)のなかで、
人は、日常の意識で生きているぶんには、時間というものは直線的に前方に流れているという表象をもつ。ところが、流れている当の時間とは何なのか、それを反省する意識をもった時、時間は必ず円環運動として表象されるのは何故なのか。円環、すなわち巡ること、一日とは日の巡りであり、一年とは季節の巡りである。(中略)百年というのは、一人の人間が生まれて死ぬまでの単位であろう。
と述べています。十年は人の一生の十分の一、十年一昔というのは、その時間の堆積を懐かしく振り返ることばではないでしょうか。
馬橋に行ったことは、偶然なのか、必然なのかよく分かりませんが、私は何かに導かれるように、昔住んだ町を尋ねたのでした。
一昔ぶりの町並み冬ぬくし         金子つとむ

三百四十五、命の奇跡を詠う

奇跡などということばを使うと、とても大それたことのように聞こえるかもしれませんが、世界一貧乏な大統領といわれた、ウルグアイの元大統領ホセ・ムヒカさんは、「世界でいちばん貧しい大統領からきみへ」という子ども向けの本のなかで、次のように呼び掛けています。
お金で命を買うことはできないんだよ。命は奇跡なんだ。
奇跡なんだよ。生きてることは。何よりも価値があり、
短く、二度と戻ってこない。

人の命が奇跡ならば、鳥も虫も魚も花の命もみな奇跡なのではないでしょうか。「子規365日」(夏井いつき著、朝日新書)を読んでいると、子規もまた、奇跡と呼びたくなるような愛おしさを感じていたのではないかと思えるのです。いくつか、そんな句を拾ってみましょう。
若鮎の二手になりて上りけり        正岡 子規
飛び込んで泥にかくるる蛙哉        〃
口あけて屋根まで来るや烏の子       〃
もりあげてやまひうれしきいちご哉     〃
かたばみの花をめぐるや蟻の道       〃
あふがれて蚊柱ゆがむ夕哉         〃
孑孑やお歯黒どぶの昼過ぎたり       〃
舟一つ虹をくぐつて帰りけり        〃
朝顔ヤ絵ニカクウチニ萎レケリ       〃
嬉しさうに忙しさうに稲雀         〃

子規が写生を推奨した背景には、奇跡のような命を育む自然への畏敬の念が横たわっていたように思われてなりません。子規は自らの命を惜しみ、愛おしむように作句していたのではないでしょうか。

また、高野素十さんには、次の句があります。
甘草の芽のとびとびのひとならび      高野 素十
この句は、水原秋櫻子などから草の芽俳句などと揶揄され蔑まれたのですが、本人は一向に意に介しませんでした。掲句もまた、奇跡のような命を見届けているように思えるのです。最後に「高野 素十とふるさと茨城」(小川背泳子著、新潟雪書房)から、素十さんのことばをご紹介します。

私の句は「草の芽俳句」だとか「一木一草俳句」だとか馬鹿にされよったんですが、私はそう云われながら自分で充分満足しておる。世の中の或は自然の中の小さい一木とか一草とかそういうものを愛する、大事にする、という気持ちがなくて国を愛することも社会を愛することも出来ないのじゃないかと思うんです。(中略)
一木一草を馬鹿にしている人間、そういうものは向うが私を馬鹿にしていると同じように私は軽蔑している。「一木一草」というものを私は死ぬまで大切にして機会あれば俳句に詠んでいきたい、そう思っている。(後略)

三百四十六、只一つにして一つに限る

私たちが生きて目撃したことをわざわざ一句に仕立てることに、どのような意味があるのでしょうか。俳句作品は、とりわけ感銘の受けたもののなかから、その感動を核として作られているように思われます。いわば、私たちの眼のエッセンスが、私たちの作品なのではないでしょうか。

昭和の初め、ホトトギスの4Sといわれた高野素十さんの絶句について、倉田紘文氏は、高野素十研究(永田書房)のなかで、次のように述べています
蟷螂のとぶ蟷螂をうしろに見        高野 素十
昭和五十一年八月号発表。
これが素十の絶句である。これまで書いてきたように、晩年においてその傾向は情への流れを制し得なかった。しかし、この一句はどうだろう。八十三歳のその命の果つる最後の一句の、その最後の一字が「見」なのである。客観写生俳人としての恐るべき執念が、その双眼をギラつかせての凝視であった。客観写生真骨頂漢素十のその全生命が「見」を以て幕を閉じたのである。

さて、以前にもご紹介しましたが、素十さんは、〈表現は只一つにして一つに限る〉ということばを残しています。初めてこのことばに接したとき、只一つに限ると何故断言できるのか、少し疑問が残りました。しかし、私たちは、感動したとき、思わず声をあげます。そのことばは、どんなプロセスを経て、生まれるのでしょうか。何故、他のことばではないのでしょうか。同じように、一つの感動が生み出す俳句も又一つだけだと、素十さんは言いたかったのかもしれません。

感動を散文で表現しようとすれば、様々なアプローチが可能でしょう。しかし、それを俳句で表現しようとすればどうなるでしょう。音数が制限される分、季語の選択も盛り込むことばの選択も、その語順も厳しく吟味されることでしょう。その結果として一句が成ると考えると、一つに限るというのも、あながち誇張ではないように思われるのです。素十さんの次の句を見てみましょう。
紅梅の花びらの反りかへりたる       高野 素十
この句を読んだとき、まず本当だろうかと思いました。そして、次にやられたと思いました。最後には、今度紅梅を見る機会があったら、私も絶対に見届けてやろうと思ったのです。
五七五のリズムに合わせて掲句を読むと、中七と下五の間、〈反り〉と〈かへりたる〉の間に僅かな休止があり、そこに素十さんが、凝視の果てにやっとそれを発見した驚きが表現されているように思われます。やはり感動の俳句表現は、只一つに限られるのではないでしょうか。

三百四十七、感動の舞台化

私は、俳句は一つの舞台のようなもの、季語はその舞台装置という風に考えています。私たちは、人生の様々な場面で覚えた感動を他者に伝えるために、その場面を再現し、その情景が見えるように表現を工夫します。これを私は、感動の舞台化と呼んでいます。舞台には何が必要でしょうか。ここでは、拙句の推敲過程を通して、舞台の構成要素を探り出す手順を紹介したいと思います。

ところで、何故、感動を舞台化するのでしょうか。
それは、映画や絵画、あるいはスポーツ観戦などで感動した場面を想像してみれば、すぐに分かります。私たちは、本当に感動した場合、ことばを失ってしまうことが多いのではないでしょうか。あるいは、ほんの短いことばで、それを端的に表現します。例えば、素晴らしいとか、美しいとか・・・。以前、短刀直入に、感動したとおっしゃった総理大臣がありました。
これらは、感動の結果生まれたことばといえましょう。このことばを理解できるのは、その場に一緒にいた人だけです。俳句のように、不特定多数の人に、時間や場所を超えて感動を伝えるには、不向きでしょう。感動を伝えるために、俳句が採用した方法が舞台化なのです。
具体的には、自分が感動した原因を探り当て、他者がそれを見て自分と同じように感動できるように、あたかも舞台のように再現してみせることです。それは、ことばによって再現された感動空間といってもいいでしょう。そこが、説明とは全く異なるところです。

さて、前置きが長くなりましたが、私はある時、葉桜のなかに、一房の白い花を見つけました。その時私が発したことばは、おおぅでした。一句をつくるということは、自分に感動をもたらした場面のなかから、自分を感動させた要素を選びだし、相手に伝わるように構成することです。句は次のようになりました。
葉桜や白き一房そのなかに         金子つとむ
一房の残れる桜若葉かな          〃
葉桜の照りにまぎれて一房が        〃
葉桜のざわつくなかに残る房        〃
葉桜の照りて一房蔵しけり         〃
葉桜や白き一房今更に(最終稿)        〃

推敲するということは、自分がほんとうは何に感動したのか、自分で自問自答することです。この場面では、葉桜(季語)と一房(花房)は、外せないでしょう。感動の要素と思われるものに傍線を引いてみました。傍線部は、実際の物であったり、その状態であったりします。この句のなかで、私にとってあの場の感動に最も近いのが、最終稿だったわけです。私には、いまごろになってやっと咲いた花の白さが、哀れにも健気にも思えたのです。

三百四十八、作者の眼力・読者の眼力

私はこの頃、作者の眼力ということを考えています。そのきっかけとなったのが、次の句です。それまで私はこの句を知りませんでしたが、俳句仲間が、湯島聖堂の絵馬に記されていたものを見つけて、句会で紹介してくれたのです。
紅梅の花びらの反りかへりたる       高野 素十

私たちが、他人の俳句を読んで面白いと感じるのは、概ね二つあるように思われます。一つは、自分も同感だと共感する場合です。もう一つは、作者の斬新なものの見方、その表現に驚かされ、眼を見開かれる場合です。
素十の句についていえば、私は紅梅の花が反りかえるのを見たことがありませんでした。いや、あるいは見ていたかもしれませんが、殊更意識することはなかったのです。もちろん、それにこころを動かされることはありませんでした。
つい先だっても、雪柳の花が、同じ場所から三つほど花茎をのばしているのに、初めて気づきました。俳句を作ろうという思いが先行してしまうと、どうしても見ることが疎かになってしまうのかもしれません。素十さんは、次のようなことばを残しています。
「君達はあわてて見たものをすぐ作るからだめなんだ。いいものは見て置くだけでいい。いいものを見た感じを大切にしておけば何時かはそれが句に現れる。別に雁の句でなくともよい。いいものを見て心を養っておけばどこかに現れるものなんだ」
確かに、写生は忍耐力のいる仕事ですから、忙しい私たちは、ついつい写生を疎かにしがちです。

ところで、私は鳥見をしていてある時、雲雀が低空飛翔するときは体を風上に向けることに気づきました。そしてさらによく見ていると、一瞬羽ばたきを止めるときがあるのです。それで次のような句を作りました。
雲雀つと羽搏きとめて風躱す        金子つとむ
俳句という短い詩が成立する土台は、一つは読者の読解力、もう一つは読者の眼力かと思われます。つまり、作者の眼力を肯うだけの眼力が、読者の側にも要求されるのではないでしょうか。
窄めた傘のような片栗の花が日差しを得てひらき、さらには強く反り返る様は、誰でもすぐに気づきますから、句になり易いものです。しかし、素十の句は、ややもすると見過ごされてしまうかもしれません。私自身もそうですが、そこまで見届けたことがないのですから・・・。
しかし、私はこの句を読むと、素十にはこの世界はどんな風に見えていたのかと驚いてしまうのです。片栗程でなくても、紅梅の花弁が反りかえるのは、花を開かせる力の究極のかたちだと思うのです。

三百四十九、認識の詩

一つの詩の世界が読者の前に提示されたとき、それに共感できるか否かは、その詩句が読者の記憶を呼び覚ますかどうか、あるいは、読者の想像力を掻き立てるかどうかにかかっているように思われます。俳句が記憶の起爆装置として働いたとき、その句は共感を得ることができるのではないでしょうか。

私たちの記憶は、未整理の滓のようなもので、そこには様々な感情が渦巻いているように思われます。何か深い思いの伴う曰く言い難い体験、記憶のなかに不思議と残り続ける鮮やかな映像、折節に思い出す断片的な事柄、しかし、私たちは何故そうなのか知る由もありません。俳句にはそれらを引き寄せ一気に噴出させる力があるのではないでしょうか。その時私たちはあの言い難い思いの正体に気付くことになるのです。

優れた句のもつ紛れもない描写性、迫真性は、作者のゆるぎない認識によって裏打ちされています。
冬の水一枝の影も欺かず          中村草田男
滝の上に水現れて落ちにけり        後藤 夜半
閑かさや岩にしみ入る蝉の声        松尾 芭蕉

これらの句の、欺かず、現れて、しみ入るはそれぞれ、作者の認識を見事に表現しています。これらの語は、他に置き換えようがない程、作品のなかで大きなウェイトを占めています。なんという厳しい一語でしょうか。

これらの語が容易く得られたとは、到底思われません。恐らく、幾多の推敲を経て辿りついたものではないでしょうか。もし仮に作品が、瞬時に出来たものであったとしても、それで由とするには長い修練が必要かと思われます。
俳句は認識の詩です。作者の認識によって、あまたの景物のなかから一句を構成するものが集められ、組み合わせられ、並べられるのです。特に似たような意味のことばは、十分に吟味されるといっていいでしょう。
十七音は、その選択を厳密に要求するでしょう。高野素十は、俳句は只一つにして一つに限るといいました。作者の強固な認識がなければ、只一つなど、到底覚束ないことでしょう。素十のことばは、文芸の厳しさを余すところなく伝えているのではないでしょうか。

さて、現実は作者の認識によって、再構築され作品として結実します。写生とは単なる叙景ではなく、景を選び取ることだったのです。この選ぶ作業に厳しさがなければ、作者が読者に伝えるものは曖昧なものとなるでしょう。作句を続けることの意義は、この認識力の修練ということに尽きるのではないでしょうか。
一木の闇に泰山木ひらく          金子つとむ


三百五十、二句一章の二つの句文

作句をしていて、一句一章のままがいいのか、二句一章にした方がいいのか迷う場合があります。今回はその迷いを断ち切るために、有名な芭蕉さんの句で、句形と二つの句文の関係について考えてみたいと思います。

古池や蛙飛びこむ水の音          松尾 芭蕉
この句は、
古池に蛙飛びこむ水の音
と一句一章にすることもできます。句意はむしろ一句一章で表現した方が分かり易いようにも思われます。しかし、芭蕉さんは、この形を採用しませんでした。それは、なぜなのでしょうか。ここでは、それぞれの句文の関係を検討したいと思います。便宜上、
句文A:古池や   区分B:蛙飛びこむ水の音
とします。句文AとBはそれぞれ独立した句文ですので、両者の関係は同列ということになりましょう。別の言い方をすれば、句文AとBは同じ強さで読者に迫ってくるのです。さらに、句文Aが時間的に先行しているため、読者は古池のイメージを念頭に置いたあとに、蛙飛びこむ水の音を思い描くことになります。
少し脚色するなら、読者は古池の静寂を十分脳裏に描いたあとに、冬眠から覚めたばかりの蛙が立てる水音に耳をすますのです。その音を契機に、静の世界が一気に動の世界へと移行するダイナミズムを味わうことができます。

これを一句一章にすると、何が起こるのでしょうか。古池は、もはや独立した一語ではありません。句文AとBでは無くなり、古池は単に蛙が飛びこむ場所に過ぎなくなります。そして、読者に最後まで残るのは、水音だけになるのです。〈古池に〉とすると、読者がしっかりと古池のイメージを結ぶ前に、〈蛙〉、〈飛びこむ〉、〈水の音〉と次々に繰り出されることばのなかに埋没してしまうのです。一句一章にすると、古池の静謐なイメージは、ほとんど損なわれてしまうのではないでしょうか。

次に、独立した句文AとBの間に因果関係がある場合を考えてみましょう。例えば
夕立にふはと大地の匂ひ立つ        金子つとむ
という句を、
夕立やふはと大地の匂ひ立つ
とすることは可能です。しかし、夕立と匂の因果関係を無理やり断ち切るため、やや分かり憎くなります。前者は、匂を強調していますが、やや説明調の嫌いがあります。後者の場合は、夕立と匂の間に明らかな時間差があります。夕立の景のなかに、匂が立ち上がってくるのです。
 夕立という一語を独立させるのは、古池と同じようにその語に付属するイメージを全開させることなのです。


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