俳の森-俳論風エッセイ第39週
二百六十七、酔いと覚醒―二種類の俳句
角川俳句大歳時記の滝の項には、以下の句が並んで掲載されています。
滝落ちて群青世界とどろけり 水原秋桜子
滝の上に水現れて落ちにけり 後藤 夜半
今回は、この二つの句を比較検討することで、俳句の在りようを探ってみたいと思います。
秋桜子氏の句、一読して群青世界ということばが眼を引きます。この句は、一九五四年、氏が六十二歳のときの作品で、那智の滝を詠んだものといわれています。群青世界というのは、群青色の世界ということになりましょう。
具体的には、滝以外の岩や木々や空をひっくるめて群青世界と称したのでしょうか。それとも、氏の脳裏には群青色の山並みが広がっていたのでしょうか。何れにせよ、このことばによって、読者は様々な想像を掻き立てられることになりましょう。
この句は、一つの滝と、その音をとどろかす群青色の世界という構図になっています。色彩と音響とが鮮やかに融け合っているのです。そして、「群青世界」ということばが、具体的な事物から遊離して、読者を想像の世界に引き込んでしまうのではないでしょうか。
一方、夜半氏の句は、一九二九年に箕面の滝を詠んだものといわれています。ここには秋桜子氏の句に見られるような華やかなことばは一切見当たりません。
一読しただけでは、素っ気ない感じですが、「滝の上に水現れる」という捉え方は、やはり非凡だと思います。いわれてみると、誰もがその通りだと納得するのですが、そう観照することは難しいのではないでしょうか。
視覚による認識力が勝っているためでしょうか、掲句からは不思議と滝音が聞こえてこないのです。むしろ、滝音はこの句にとっては邪魔なくらい、滝というものの本質を見事に捉えた句といえるのではないでしょうか。
今まさに現れたある部分の滝の水に着目すれば、掲句は、そのまま、その水の宿命を捉えており、それが集まり、永劫に続くことで滝そのものが存在するかのようです。
掲句では、滝はまさにわたしたちの目の前にあるのです。これを手触り感といってもいいでしょう。手を伸ばせばそこに滝があり、水があるのです。
仮に、秋桜子氏の句を、華やかなイメージの打上げ花火だとすれは、夜半氏の句は、認識の錘重ではないかと思われます。滝は、滝というものを指し示すのではなく、滝そのものとなっている、あるいは、水は水というものを指し示すのではなく、水そのものとなって、わたしたちに迫ってくるのです。
わたしたちは、秋桜子氏の句に酔い、夜半氏の句によって、覚醒されているのではないでしょうか。
二百六十八、手触り感のある俳句
俳句のなかには、物の手触りをまざまざと想起させてくれる作品があります。それはおそらく、ことばがわたしたちの五感に働きかけることで、わたしたちの記憶を一気に呼び覚ますからではないかと思われます。
例えば、皆川盤水氏に、次の句があります。
赤とんぼ鞍外されし馬憩ふ 皆川 盤水
この馬は、一日の労働から解放されて、憩うているのでしょう。赤とんぼが、安らかな夕景を作りだしています。この馬の一日を象徴するかのように、近くに鞍が置かれています。一日馬の背にあった鞍です。そう思うと、この鞍の質感、重量まで伝わってくるようです。
「憩う」ということばは、本来なら人に使う措辞ですが、鞍を外された馬だからこそ、それを肯うことができるのではないでしょうか。
もう一つ、鞍にまつわる句をみてみましょう。
秋高し鞍まだ置かぬ当歳馬 千葉 年子
眼前に鞍こそありませんが、こちらも鞍を象徴的に扱っています。鞍置かぬという措辞が、逆に当歳馬のしなやかな体つきを髣髴とさせているのです。しかし、鞍を置かないのは僅かの期間であることを、「まだ」の措辞が暗示しています。高い秋空のもと、馬は今この時を謳歌するように、のびのびと駆け巡っているのでしょう。
この二つの句では、鞍ということばが効果的に働いています。俳句ではよく物に語らせるといいますが、それは、物のもつ手触り感によって、わたしたちの五感に直接働きかけるという意味ではないかと思われます。
盤水氏の鞍が過去の時間を象徴しているとすれば、年子氏の鞍は未来の時間を取り込んでいるともいえましょう。何れにしても、鞍の手触り感・存在感がこれらの句の重心をなしているように思われるのです。
もう一つ、例句をあげてみましょう。
滝行者まなこ窪みてもどりけり 小野 寿子
前述の鞍とおなじように、このまなこも象徴的です。ただのまなこではありません。行の果てに窪んだまなこ、滝行の激しさを象徴するまなこなのです。
わたしたちを一句に立ち止まらせるのは、このような手触り感・存在感のあることばではないでしょうか。それらのことばは、作者の感動とともにあるため、存在感を獲得できているのだともいえましょう。
「鞍外されし馬」、や「鞍まだ置かぬ当歳馬」には、作者の優しい眼差しがあり、「まなこ窪みて」には、作者のねぎらいがあるのではないでしょうか。
二百六十九、美しい世界
わたしたちがその渦中にあって、何ものかに突き動かされているようなときには、その正体をつかむことは難しいように思います。三十代半ばから十五年ほど、花や鳥の写真に夢中になっていた時期がありました。
そうはいっても会社勤めをしながらのことですから、土日や夏休みなどに限られてしまいます。それでも、その間に十三万キロくらいは走ったと思います。
今から思えば何がわたしを突き動かしていたのか不思議な位ですが、一ついえるのは、花(主に高山植物ですが)も鳥もわたしにとって、とても美しいものだったということです。その美しさの虜になっていたともいえましょう。
現在は、俳句の虜ですが、そこにも、自然の美しさということが背景にあるように思われます。どうやら、根本はちっとも変わっていないようなのです。
ところで、鈴木真砂女氏の「真砂女歳時記」(PHP研究所)で、次のような記述をみつけました。
ゆるやかに着てひとと逢ふ蛍の夜 桂 信子
ゆるやかに着付けた姿は、中年の女性が想像されます。青く光る蛍に女性の艶を重ねた恋の句です。蛍には恋が似合います。
この季節に入りますと、ほつほつと蛍が話題にのぼります。郷里の田圃で蛍狩をしたことが思い出されます。蛍の光るところには、必ず水の流れがあるものです。蛍にも種類があって、源氏蛍は大きく、平家蛍は光も小さく何か哀れを覚えます。闇を縦横に飛ぶ蛍を見ていると、この世のものとは思えません。(太字筆者)
実は、この最後の一文に釘付けになったのです。わたしも子どもの頃に見た蛍の乱舞が、いまでも目に焼きついています。まさに、この世のものとは思えないような光景・・・。そういう美しい世界に住んでいるということは、なにものにも代えがたい幸せではないでしょうか。
わたしが、花や鳥の虜になったのは、美しいものに出会うことによって、普段の生活の厭わしさから逃れたい一心だったのかも知れません。そう思って改めて今の状況を振り返ってみると、わたしたちは、俳句を通して、美しいものを探しているのだともいえましょう。
自然だけではなく、人と人との出会いから生まれる感動も、美しいものの一つでしょう。わたしたち一人一人が、美しいものを探し、俳句作品として分かちあっているのではないでしょうか。
あをあをと春七草の売れのこり 高野 素十
歩み来し人麦踏をはじめけり 〃
ひつぱれる糸まつすぐや甲虫 〃
甘草の芽のとびとびのひとならび 〃
凧の糸二すじよぎる伽藍かな 〃
二百七十、季語の在り処
木下夕爾氏に、小学校の教科書にも載っている次の有名な句があります。今回は、この句から季語の在り処ということを考えてみたいと思います。
家々や菜の花いろの燈をともし 木下 夕爾
厳密にいえば、この菜の花は菜の花そのものではなく、色の説明にすぎませんので、季語とはいえないかもしれません。たとえば、
菜の花や月は東に日は西に 与謝 蕪村
菜の花や西の遥かにぽるとがる 有馬 朗人
などは、何れも眼前に菜の花の実物があるといえましょう。しかし、夕爾氏の句の眼前には、燈をともした家々があるばかりで菜の花は見当たりません。
それでは、この句は、菜の花の句ではないのでしょうか。
もともと黄色を表すことばとして、菜の花いろということばはありません。その意味では菜の花いろは、作者の独創ということになりましょう。それでは、何故、作者は菜の花いろといったのでしょうか。
わたしは、作者は紛れもなく菜の花の季節にいて、家々の燈に、日ごろ見慣れた菜の花を咄嗟に感じたのではないかと思うのです。作者にとって明りの洩れる家々は、まさに、夜の菜の花だったのではないでしょうか。
そう考えると、作者が「家々や」と詠嘆し、「菜の花色」と書かずに「菜の花いろ」と表記した意図が分かるような気がするのです。菜の花の実物がある以上に、掲句には菜の花の情趣が横溢しているのではないでしょうか。
そこで、思い出したのが、高野素十の次の句です。
朝顔の双葉のどこか濡れゐたる 高野 素十
素十の研究(亀井新一著、新樹社)の序文のなかで、村松紅花氏が掲句を取り上げて、次のように評しています。
この句は夏の朝のすがすがしい気分を詠んだものではない。時刻も背景もこの句には必要ではない。そこにはただ一つの可憐な朝顔の双葉がある。「そこには」というのは、つまり回想の中にである。小さな小さな一つの朝顔の双葉は、その時、全宇宙に匹敵する大きさとやさしさとで、作者の心を占める。「そうだ、どこか濡れていたんだ。どこであったろう。とにかくどこか一点がたしかに濡れていた。」
これはそういう句なのだ。これ以上に「夏の朝」だとか「すがすがしい」だとかつけ加えるのは、やぼというものだ。
夕爾氏の菜の花が眼前の景ではなかったように、素十氏の朝顔も眼前の景ではなかったのです。しかし、眼前の景ではないものの、ずっと作者の心を占め続けており、作者にとっては、眼前の景と同等のもの、あるいはそれ以上であったと思われるのです。
二百七十一、共感の構造
自分の俳句が他人に受容されるというのは、どういうことでしょうか。例えば、鳥好きのわたしは、鳥を見るだけで愛らしく感じてしまうので、雀が穭田に遊んでいるのを見かけただけで、次のような句を作ってしまいます。
穭田に浮きつ沈みつ雀どち 金子つとむ
しかし、雀を特別愛らしいとも思わない多くの読者にとっては、あまりインパクトのある句とはいえないでしょう。
作者は、雀を主役にして作ってしまっており、読者は、何故穭田なのか、穭田でなければならない理由はどこにあるのか、いぶかしく思うのではないでしょうか。確かにそのように問われれば、作者は反論できないのではないでしょうか。
以前、俳句は、季語発見のプロセスを語るものだということを述べました。果して、作者にとって季語である穭田は発見されているといえるのでしょうか。
多少雀に関心があり、雀が穭田に来ているのはその稲穂を啄ばむためだということがすぐに分ってくれる読者であれば、掲句は掲句のままでもいいかもしれません。しかし、明らかに掲句の穭田は場所の説明であり、主役といえるのは、はむしろ雀の方ではないかと思われます。
掲句を、次のように推敲してみるとどうでしょうか。
ぱらぱらと穭穂に来る雀かな 金子つとむ
穭田から穭穂と対象を限定することで、穭穂は雀の餌なのだということが、よりはっきりとするものと思われます。穭田は晩秋の景です。やがて冬を迎える雀にとって、穭穂は、重要な栄養源ということになりましょう。
ここでは、もはや何故穭穂なのかという問いは発せられないでしょう。季語が穭穂であることの必然性はやや高まったといえるのではないでしょうか。
このように自分の好きなものが季語でないとき、注意が必要です。どうしても好きなものを主役にして、季語を添え物として扱いがちになるからです。
季語の発見という作者の感動がなければ、読者の共感を呼ぶことは難しいでしょう。あくまでも季語を主役にして、季語発見のプロセスを詠むということが大切ではないでしょうか。
俳句は季語発見のプロセスだというふうに考えると、名句というものは、すべからくそのような様相を呈するように思われます。
滝の上に水現れて落ちにけり 後藤 夜半
遠山に日の当りたる枯野かな 高浜 虚子
斧入れて香におどろくや冬木立 与謝 蕪村
冬の水一枝の影も欺かず 中村草田男
二百七十二、意識された視点
「文体の発見」(粟津則雄著、青土社)の中に、子規の写生に関する次のような考察がありましたので、少し長くなりますが、ご紹介します。
(仰臥漫録)九月九日の項に、「人問ハバマダ生キテ居ル秋ノ風」とか「病床ノウメキニ和シテ秋ノ蝉」とかいった句が見える。瀕死の病人という読者のイメージにぴったりの句だが、作者を、死との叙情的合体へ引き入れかねぬこのような句を作る一方で、子規が、同じ日に、「秋ノ灯ノ糸瓜ノ尻ニ映リケリ」とか「臥シテ見ル秋海棠ノ木末カナ」というような句を作っていることに着目すべきだろう。
これらの句は、「臥シテ見ル」ことを強いられている子規の視点をぬきにしては考えられないのであり、そのようにおのれの視点に向かって眼をすましていることが、前二句を、それがはらむ危うさから救っているのだ。子規における「写生」は、だから、対象をあるがままに叙するということに尽きるものではない。それは、おのれの視点に対するこの鋭い意識なしには考えられない。そういうことが忘れ去られたとき、「写生」俳句のさまざまな堕落が生じたのである。(太字筆者)
粟津氏は、子規の写生とは単に対象を写しとることではなく、その対象を見つめる作者自身をも見つめることだといっているように思われます。
秋ノ灯ノ糸瓜ノ尻ニ映リケリ 正岡 子規
臥シテ見ル秋海棠ノ木末カナ 〃
の二句は、子規が、自分の視点を意識しながら、対象と向き合っているというのです。「糸瓜ノ尻」や「臥シテ見ル」といった措辞には、明らかに子規の視点に対する醒めた意識が窺えるように思います。
この子規の固有の視点と同じように、わたしたちも、それぞれ固有の視点を持っています。それは、わたしたちの性向、あるいは個性ともいえるもので、そのことが共感を助長する場合もあれば、反対に阻む場合もあるのではないでしょうか。何れにせよ、俳句を続けることは、自らの固有の視点に気づき、自分自身を知るプロセスなのだといえましょう。
写生とは、それを見つけた自分の視点を意識することで、その対象と自分との関わり全体を表現することなのではないでしょうか。対象が独立してあるのではなく、対象との関係を含めて、俳句作品は成り立っているのです。
雲の峰の標榜する自分詩・自分史とは、まさに、意識された視点と対象との関わりを秘めた作品郡ということがいえるのではないでしょうか。
薪をわるいもうと一人冬籠 正岡 子規
仏壇の菓子うつくしき冬至かな 〃
只一つ高きところに烏瓜 〃
二百七十三、季語に対する親密度
一つの俳句は、自ずから作者と対象との心理的な距離感を表しているように思われます。この距離感を、対象に対する親密度といってもいいかもしれません。例えば、前項で取り上げた子規の句、
只一つ高きところに烏瓜 正岡 子規
は、子規の関心が烏瓜にあって、「只一つ、高きところに」とその生態を描写しつつ、実はその美しさ打たれているのだといえましょう。
読者にも烏瓜に対する親密感があれば、この句は容易に受容されるのではないでしょうか。自然を師と仰ぎ、孤高の画家といわれた高島野十郎は、精密な烏瓜の絵を残しています。わたしの大好きな絵の一つです。烏瓜が好きなわたしにとって、掲句の烏瓜は、何か神聖なもののように思われてなりません。
ところが、烏瓜を知らなかったり、あまり親密感を抱いていない場合には、読者にこのような共感を期待することは難しいのではないでしょうか。一句が共感を得るには、作者と読者の間に共通する共感のベースが必要だと思うからです。
俳句は作者にとって季語発見のストーリーですから、この共感のベースとは、作者・読者双方の季語に対する親密度ということになりましょう。
端的に言えば、自然そのものに興味のない人にとっては、俳句を理解することは非常に困難だと思われます。また、季語を知っていることと、それに対して親密度をもっているということは別ですので、読者にとって疎遠な季語の場合も、共感を得にくいのではないでしょうか。
季語に対する親密度は、その実物や生態を知っているということを前提として生れるものと思われます。子規の句には、烏瓜のあった場所や、その色や形などの情報は一切含まれません。ですから、もし烏瓜を知らなければ、掲句の美しさも、作者の無念も、読者にはとうてい想像できないのではないでしょうか。
もし、自然の生態系のなかから、季語の景物が消失してしまったとしたら、やがて実物を知るものはいなくなり、共感のベースは損なわれていくのかもしれません。
先日、アキアカネが激減しているというニュースを耳にしました。また、昨今の住宅事情からか、雀の数も減少しているようです。稲雀の大群もとんと見かけなくなりました。福島の原発事故の影響で、各地で動植物の異変が報告されています。季語は、わたしたちの暮しとともに変わっていくものですが、自然の景物だけはできる限り守っていきたいものです。
とどまればあたりにふゆる蜻蛉かな 中村 汀女
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