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【詩の森】723 二つのお金

二つのお金
 
僕はお金には
二種類あると思っている
汗が作り出すお金と
お金が作り出すお金である
汗とは労働のことだ
労働によって僕らは社会と繋がり
その一員となることができる
職業に貴賤なしというのも
労働こそ社会の紐帯
という謂だろう
 
いっぽう
お金は利子を生み出す
借り手が利率に応じて利息を払うのは
人間が決めた仕組みである
アインシュタインの言葉に
複利は人類による最大の発明だ。
知っている人は複利で稼ぎ、
知らない人は利息を払う。
というのがあるそうだ
しかしどうも胡散臭い
 
若い頃に
『二十世紀の意味』という本を読んで
吃驚したことがある
そこにはロケットスタートのように
経済が急成長するグラフが示されていた
その原動力が資本主義であり
現在の債務貨幣システムなのだろう
お金のシステムが
人々の性格を変えてしまった
のではないだろうか
 
1882年の日本銀行設立から
未だ200年も経っていない
松方正義が西洋から持ち帰ったこの金融システムは
近代の国盗りだったと山口薫さんが
『公共貨幣入門』の中で述べている
折しも福沢諭吉は
英語のcompetitionを競争と翻訳していた
金持ち競争のスタートの合図が鳴り響く
大金を稼げば後はその金が金を稼いでくれる
人々はそう思ったことだろう
 
二つのお金は
実体経済と金融経済だともいえる
その貨幣システムの要にあるのが銀行なのだ
中央銀行である日本銀行が設立されるや
通貨発行権は日本銀行に委譲された
その後国の歳入源は
国債という借金と税収のみに限定されたのだ
紛らわしいのは硬貨に限って
今でも国が発行していることだ
しかしそれは全通貨量の1%にも満たない
 
僕も長い間漠然と
お金は国が発行しているものと思い込んでいた
通貨発行権という言葉さえ知らなかった
しかし国債という国の借金が
GDPの倍以上に積み上がっているのは事実である
通貨発行権が国にあるなら
もとより借金する必要などないのだ
国がお金を創ればいいのだから―――
借金だから利払いが生じる
それを僕らの汗が支払っている
 
国債を引き受けているのは
銀行や投資会社などである
そもそも銀行にはなぜそれ程の資金があるのだろう
実体経済の何十倍ものお金はどこから
生まれてきたというのだろう
その鍵が国盗りのもう一つの側面-信用創造である
銀行は預かったお金を貸し出している訳ではない
それを中央銀行に預けるとその額の
100倍を超える額を貸し出せる仕組みなのだ
まさに打ち出の小槌である
 
借り手がいれば
その口座に金額を記入するだけでいい
貸せば利子が入る
元金が大きく長期間貸し出すほど
その利子は複利効果で莫大なものになるだろう
貸出時に創られた元金は
返済時には相殺される
しかし銀行には利子が積み上がっていくのだ
そこで巷には住宅・マイカー・学資など
各種ローンが目白押しという訳なのだ
 
無から創られたお金を借りて
国も国民も借金漬けで暮らす仕組みが
債務貨幣システムである
その利子はすべて銀行に流れこんでゆく
さらに銀行は貸出量をコントロールすることで
景気変動さえつくり出せるのだ
僕らはこの仕組みの中で
すでに140年以上暮らしてきた
銀行は社会の黒幕
金融の王様だったのである
 
迂闊にも僕らは
通貨発行権という言葉もしらず
バブルが何故発生するかもしらずに
金融システムの舵取りを日本銀行に委ねてきた
日本銀行の総裁には東大法学部出身の財務官僚と
三菱銀行系のトップビジネスマンが
交互に選ばれる慣わしといわれる
そして政府に任命権はあっても罷免権はない
彼らが金融政策の責任をとることは
一切ないのだという
 
複利システムは
アインシュタインのいうような
人類最大の発明などではさらさらなく
絶対格差生成装置だったのではないだろうか
なぜなら金の力で都合よく法律を変えることが
できてしまうからである
金が好きで金に弱い政治家なら尚更だろう
1%対99%といわれて既に久しい
実際は0.1%対99.9%位に
広がっているのではないだろうか
 
その証拠にこの国では
彼らグロ-バルエリートたちの主導する
新自由主義政策を信奉し自ら推進しているのだ
彼らの目的は
グローバル政府をつくることだといわれる
それは既存国家の無力化を意味するだろう
国よりも更に強大な支配階級が出現するのだ
それこそが各国中央銀行による
数世紀にわたる国盗り物語の
満尾なのではないだろうか
 
2024.9.30
 
 

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