【詩の森】683 顔の見えないモノたち
顔の見えないモノたち
その家が廃業してから
ずいぶんと経ったあとでも
村の大人たちはその家を
いつも屋号で呼び合っていた
小学校の高学年になった頃
かじやは鍛冶屋で
こうやは紺屋で
たてぐやは建具屋だと知った
村の大半は農家だったが
村落共同体のなかで
必要なものはほぼ賄われていたのだろう
そういえば村には
大工さんも畳屋さんもいたのである
住む家も使う道具も
村の誰かの手によるものだった
最後に眠る墓石まで―――
それはいわば
顔の見えるモノたちである
鍬で畑を耕しながら
その鍬を作った人を偲ぶこともあっただろう
村人たちが屋号で呼ぶのは
作り手がいなくなっても
モノだけはしばらく残っていた
からかもしれない
しかし今や
僕らが所有する沢山のモノたちは
機械で大量生産され
世界中からやってくる
もはや誰も
作り手の顔を思い浮かべたりはしない
僕らに分かるのはせいぜい
生産国とメーカー名位のものだろう
同じ機能のモノなら
安い方がいいという原理のもとで
経済は回っている
しかしそれでは
経世済民の半分にもならない
月にたった一枚しか描けない画家の絵から
一月分の生活費を工面してやることは
できない相談なのだろうか
かつての村落共同体は
作り手に多少の不満があっても
互いに暮らしが立つようにしていた
のではないだろうか
SDGsの一番目の目標は貧困の撲滅である
僕には既存の経済システムが
ひどい欠陥品のように思えて
ならないのである
2024.7.27
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