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俳の森-俳論風エッセイ第31週

二百十一、草の芽俳句

高野素十研究(倉田紘文著、永田書房)に、草の芽俳句に対する当時の論調を示す次のような記述があります。
昭和の初期、ホトトギス誌上で、
甘草の芽のとびとびのひとならび
おほばこの芽や大小の葉三つ

等の純客観写生の作品で、素十は一躍名をなした。が、それらの写生俳句に対して批判もあった。例えば井上白文地氏は、
「兎に角かかる句は一種の末梢俳句であると思う。俳句を作らんとして、殊更に一木一草を凝視するやうな態度を以て、最上のものとして高調し、奨励するのは、明らかに偏執であり、やがては俳句そのものの墓穴を掘ることになりはしないだろうか」(太字筆者)

わたしは、感動と写生という観点から、これらの句には感動が宿っていることを明らかにしたいと思います。
ところで、わたしたちの見るという行為は、ただ見ている、見えているという受動的状態と、殊更に見る、感動をしつつ見るといった能動的状態に分かれるように思われます。
さらに、この能動的な凝視が一句に結実するためには、そこに感動が必要だと思うのです。そしてこの感動は、ことばの選択やリズムとして、一句のなかに必ず残されるものだと思うのです。

以下の句の太字部に着目してみましょう。
A 甘草の芽のとびとびひとならび   高野 素十
B 甘草の芽のとびとびひとならび
A おほばこの芽大小の葉三つ     〃
B おほばこの芽大小の葉三つ
Bが何れも単なる事実の描写に過ぎないのに対し、Aの原句には、傍線部に感動の痕跡があります。
甘草のいくつかの芽は、とびとびながらも地下で繋がっている一繋がりの命であることに、作者ははたと気付いたのです。それ故、「とびとびの」なのです。
おほばこの句はどうでしょうか。この句は無季の句です。車前(おほばこ)は秋の季語、車前の花は夏の季語ですが、おほばこの芽は季語ではありません。しかし作者は、おほばこの芽に触発されて、思わず「おほばこの芽や」と謳いあげたのではないでしょうか。
それまで、おほばこの芽など気にしたことがなかったのでしょう。あの雑草のおほばこにこんな芽があった。その当たり前のことに作者はふと驚いたのではないでしょうか。大小の葉三つには、それを見届けた素十の喜びが語られているように思うのです。
俳句を詠む対象に大も小もないのです。俳句になるかどうかは、感動の有無に拠るのではないでしょうか。

二百十二、思い込みを覆す写生

高野素十は、初句集である「初鴉」(青柿堂刊)の序文で、虚子の讃辞に応える形で次のように述べています。
私はただ虚子先生の教ふるところのみに従つて句を作つてきた。(中略)従つて私の句はすべて大なり小なり虚子先生の模倣であると思つてゐる。「甘草の芽のとびとびの一ならび」といふやうな句も、「一つ根に離れ浮く葉や春の水」といふ虚子先生の句がなかつたなれば、決して生れて来なかつたらうと思ってゐる。(後略)

今回は、素十の次の句を取り上げます。
風吹いて蝶々はやくとびにけり      高野 素十
掲句を天下の愚作といった人があります。以下、高野素十研究(倉田紘文著、永田書房)からの引用です。
日野草城氏も
「すべて特長あるもの、山あるものは否定されて、平々凡々たるものが何かしら含蓄のふかい味ひのあるもののやうに見過ごされる。かつてホトトギスに発表された高野素十君の
風吹いて蝶々はやくとびにけり
の如きはこの弊害をもっともよく表したもので、けだし天下の愚作と断定して憚りません」(太字筆者)
さて、愚作かどうかは暫く措くとして、どこが平々凡々なのでしょうか。蝶々は風に身を任せているのでしょうか。もしそうであるなら、
風吹いて蝶々はやく飛ばさるる
でもよかったはずです。しかし、作者は、風のなかを行く蝶に、必死に飛ぶ姿を見たのではないでしょうか。風に身を委ねているのではない、自らの意思で飛んで行く蝶の姿を見届けたのではないでしょうか。
風が吹けば、風に飛ばされるものだとばかり思い込んでいた蝶々が、実はそうではなかった。作者の感動は、自動詞となって表現され、蝶の意思を強く詠嘆するように、「とびにけり」と結んだのです。

かくいうわたしも、素十の句に出会うまで、蝶は風に流されるものと思い込んでいたのです。風のなかを飛ぶ蝶を見届ける機会は未だ訪れていませんが、チャンスがあれば、それをはっきり確かめたいと思います。
それはさておき、この句を正確に解釈すれば、蝶は風の力を借りたにせよ、自分の意思で力いっぱい飛んだのではないでしょうか。そのような力が蝶にあることに、素十は打たれたのではないかと思うのです。蝶は見かけほど、弱々しい生き物ではなかったのです。
  春                 安西 冬衛
てふてふが一匹韃靼海峡を渡っていった。 
山国の蝶を荒しを思はずや        高浜 虚子
日盛りに蝶のふれ合ふ音すなり      松瀬 青々

二百十三、題詠と嘱目吟

眼前にあるものを一句に仕立てる表現技術を写生技術と呼ぶならば、感動が無くても写生技術によって、それらしい句を作ることは可能でしょう。例えば、馴染みの薄い季語の題詠では、しばしばそのようなケースに遭遇します。
しかし出来上がった句はどこかピリッとしないことが多いのではないでしょうか。それは何故かといえばそこに感動がないか、もしくは希薄だからではないでしょうか。嘱目吟では、わたしたちは、まだ感動のうちにあって作句することができますが、題詠となると過去の体験を思い出すか、最悪の場合は体験そのものがなかったりするからです。

一句の成立条件を感動+写生技術と考えると、両者が満たされるのは、やはり嘱目吟のように思われます。しかし、句会などではよく題詠が行なわれます。題詠のメリットは何なのでしょうか。
題詠では、句会の参加者分だけ同じ季語の句が揃うことになります。題詠の最大のメリットは、自句と他者の句の比較ができるということではないでしょうか。自分が苦吟した場面をあっさり表現した句があったり、自分には思いもよらぬ視点があったりと、作者の数だけのバリエーションがあるからです。また、初心のうちは、同じような視点をもつ仲間を見つけることもできます。同じ季語で作句することで、比較が容易になるのです。これは、作者にたくさんの気付きをもたらすでしょう。

しかし、俳句という短詩形のメリットを生かし、一句のなかに感動を盛るのに、嘱目吟に勝るものはないでしょう。ところで、嘱目吟のメリットである感動は、作句にどのような影響を及ぼすのでしょうか。
感動するとは、写真のピントを合わせるように、読みたいところに焦点が定まるということではないかとわたしは思います。漠然と見ていた景色のなかに心惹かれるものを見つける。じっとそれを見る。そこに、何か特別な美しさを発見する。そこから表現意欲が生れる。「この感じ」を表現したい。その「この感じ」がつまり、感動の中身です。

感動の中身がはっきりしていれば、わたしたちは、そこに向かって推敲することが可能です。「この感じ」はそのまま、ゴールイメージとなります。
そのプロセスを経て、ことばは、詩句にまで高められていくのです。名句のもつ詩情の正体は、作者の感動ではないかとわたしは思います。
作者の感動が写生技術によって余すところなく表現された状態を、名句というのではないかと思うのです。


二百十四、表情とこころ

以前に、句意がすっとわかり、そのあとでぐっとくる句が共感を呼ぶのではないかというお話をしました。また、「すっとわかる」を、映像喚起力、「ぐっとくる」を余韻・余情ということもできると・・・。
これを別のことばでいえば、表情からこころを読むといってもいいでしょう。句の表情とは、まさにわたしたちに見えている、句の文字そのもののことで、これを字面といったりもします。
芭蕉の
古池や蛙飛びこむ水の音         松尾 芭蕉
の字面の意味は、小学生でも分かるのではないでしょうか。しかし、これを俳句の表情とすると、そのこころを読むのは、容易ではありません。また、このこころが分からなければ、俳句は、ちっとも面白くないわけです。

画家は自画像というものをよく描きますが、その表情から、わたしたちは、複雑な胸の内を想像することができます。わたしたちが俳句で描けるのも、この表情だけといえないでしょうか。
ところで、先ほどあげた古池の句から、そのこころを読むにはどうしたらいいのでしょうか。わたしは、その謎を解く鍵は、季語にあると考えています。

掲句に初めて接した当時の俳人たちは、とてもびっくりしたのではないでしょうか。俳句大要(岩波文庫)に収められた『古池の句の弁』で、子規は、この句以前の蛙の句をたくさん採録しています。
それらは皆、蛙の声であり、蛙合戦であり、蛇との絡みあいといったいわば固定観念の句ばかりで、だれも、実物の蛙をそのまま詠んだ人はいなかったのです。
これに対し、ただ一人芭蕉だけが、この束縛を離れ、水の音で蛙の跳躍する肉体そのものを描いたといえましょう。声を愛でるというそれまでの季語の情趣に、自然物としての蛙が加えられたのです。季語の蛙から見えてくるのは、そのようなこの句のこころです。

こころを知る手立ては、季語をよく理解する、できれば季語を体験するということに尽きるのではないでしょうか。俳句は、作者が即読者である不思議な文芸といわれています。わたしたちが、季語をよく理解し、選句力をつけることは、そのまま作句力を伸ばすことに繋がっていきます。
俳句は、表情からこころを汲み取ってもらう文芸だといえるかもしれません。
石山の石より白し秋の風         松尾 芭蕉
海暮れて鴨の声ほのかに白し       〃


二百十五、季語の重層性

季語の殆どは自然の景物か、ひとびとの織り成す年中行事といえましょう。
季語の誕生(宮坂静生著、岩波新書)によれば、花・郭公・月・紅葉・雪の五箇の景物は、すでに平安後期(ほぼ西暦一千年頃)に決められていたそうです。考えてみれば、これらの季語は、既に千年以上の歴史を紡いできたのです。
連歌の時代になると、「季語が一座を最も有効に統括するには、季語の「本意」を定めることである。」(季語の誕生)というふうに、連歌に於ける必要性から季語の本意が定められたといわれています。同書によると、
本意とは、『至宝抄』(里村紹巴著、一五八六年成立)によれば、以下のようなものです。たとひ春も大風吹、大雨降共、雨も風も物静なるやうに仕候事(本意にて御座)候、春の日も事によりて短き事も御入候へども如何にも永々しきやうに申習候、(後略)

端的にいえば、本意とは固定化された美意識ということができましょう。季語によってその詠まれ方が規定されているわけですから、そこで競われるのは主に知識と技巧ということになるかもしれません。
これに対し、芭蕉は、有名な古池の句で、それまでの蛙の本意を覆すことに成功しました。また、明治になって子規は、写生を唱導することによって、自分の眼で自然の美を発見することを奨励したのです。

このようにして、自然の景物としての季語は増加の一途を辿ることになります。季語といえば、現在では自然の景物をイメージすることが多いようですが、それでも、古くからの季語である五箇の景物などは、本意・本情を含めた形でイメージされるのではないでしょうか。
このように、季語は、一方では具体的な自然の景物であり、他方ではそれまでの文学作品を通して育まれてきた生い立ちの歴史を背負っているといえましょう。

この自然性と歴史性は、季語の重層性と呼ぶことができます。あるいは、季語の虚と実ということもできましょう。これは、季語のもつ最大の特徴といえます。つまり季語は、虚実双方から読み解かれるのです。
具体的にいえば、花という季語は、現実の花であると同時に、歳時記にある解説、考証、例句などを総て総合したことばとして重層的に鑑賞されるのです。文学者、俳人の忌日などは、生前の人物を知らない殆どの読者にとっては、その作品世界を通じて鑑賞されるのではないでしょうか。

花あれば西行の日と思ふべし       角川 源義
澄雄なき淡海に秋の霞かな        伊藤伊那男
銭湯へ子と手をつなぐ傘雨の忌      橋本 榮治


二百十六、助詞の省略と韻律

朝妻主宰(雲の峰)の切字論の補講「助詞の省略」を抜粋すると、以下のようになります。今回は、この論考を手掛かりに助詞の省略と韻律との関係を考えてみたいと思います。

俳句は省略の文学とも言われる。主語や動詞を省略する、場面や背景を省略するなどなど、省略するということは俳句表現の重要な技法であると言っていい。
【助詞の省略まとめ】
表現する内容により、
①名詞+活用語にて、助詞「は・を・が」が省略される
②名詞+名詞にて、助詞「の・と・や」が省略される。
これを大ざっぱに言えば、語と語の間には互いに結びついて一つの意味をなそうとする性質があるということである。言い換えるならば、ある一定の条件のもとでは単語と単語は互いに結びあって一つの意味を持とうとする、ということが言える。つまり、一定の条件下では単語と単語の間に補完関係が生じるということである。
一定の条件とは前にみてきたごとく、
① ある助詞を挿入することで意味のあるフレーズとなる
② それ以外の助詞を挿入しても意味は成立しない
ということが言える。(後略、太字筆者)
以下、例句を見てみましょう。
① 曙や白魚白きこと一寸       松尾 芭蕉
② 女身仏に春剥落のつづきをり    細見 綾子
③ 目には青葉山郭公初鰹       山口 素堂
④ 芋の露連山影を正しうす      飯田 蛇笏

これらの句に、省略されていると思われる助詞を補ってみましょう。(太字部)
① 曙や白魚白きことの一寸    (五・十一・四)
② 女身仏に春剥落のつづきをり  (五・八・五)
③ 目には青葉山郭公初鰹     (六・八・五)
④ 芋の露連山影を正しうす    (五・八・五)

こうすると、特に中七の字余りがひどくなり、句の韻律が大きく損なわれることになります。引き締まった印象がなくなり、美しさも消失してしまいます。助詞が省略されるのは、背後に五・七・五の韻律に載せようとする力が働いているからではないでしょうか。
もちろん、省略しても、意味が通じることが大前提ですが、例えば、蛇笏の「連山が影を正しうす」は、上述の何れのケースにも相当しませんので、普通であれば「が」は省略できないものと思われます。
しかし、この文は、「神田川。祭の中を流れけり。」と同じ構造をしています。「連山。影を正しうす。」は、韻律を保つために、独立した句文のなかでも補完関係が成立することの証左といえるのではないでしょうか。


二百十七、唯一無二の表現を目指して

以前にもご紹介しましたが、ホトトギス昭和二十四年十月号の「素十さん(承前)」のなかで、斎藤庫太郎氏は、高野素十の次のことばを紹介しています。
素十さんは、「表現は只一つにして一つに限る。」といはれておりますが、真の絶対の表現といふことにならふかと思ひます。(太字筆者)

また、素十の研究(亀井新一著、新樹社)の中で同氏は、ホトトギス雑詠句評会をまとめた「現代俳句評釈」(春秋社刊)から、秋桜子と素十の次のようなやりとりを紹介しています。
(秋桜子)「穏やかな見方とか穏やかな叙し方とか云うものはただ態度がいいと云うに過ぎない。そういう句を素十君あたりが特に推薦しては、技巧を学ぶ若い連中は全然進路を失ってしまうようになりはせぬかと思う。」
(素十)「ある言葉を使うのは使うだけの心の要求がある。その点で技巧とその人の主観とがぴったりと一致して居って、我々が之等の人々の句を鑑賞する場合に、心に寸分の隙を与えない。之も長い修練の結果と思う。(後略)」(太字筆者)
素十は、一句を成すのに唯一無二の表現を目指して、こころが使いたいと思うことばを使うといっているのです。
唯一無二であるかどうかは心許無いのですが、わたしたちも、感動が表現できたと思える地点を目指して、推敲を重ねているのではないでしょうか。優れた俳句のあの堅牢感は、ことばが詩句にまで高められた結果といえましょう。

勿論、詩句という特別のことばがある訳ではありません。感動を表現するために、もっとも適切なことばが選択され、配置されるに過ぎないのです。しかし、そうすることで、ことばは十全に働き、美しく輝き出すのです。この状態を、ことばが詩句に高められた状態と呼んでいるのです。
それでは、具体的にどうしたらことばを詩句にすることができるのでしょうか。例えば、切字の「や」「かな」「けり」は、詠嘆の助詞あるいは助動詞と呼ばれ、作者の感動を付加する働きをもっています。
芭蕉さんが、「古池や」と詠嘆すると、そこには古色蒼然とした古池が現れ、水面の鈍い光まで見えてくるようです。蛙は、季語ですから既に感動の情趣をもっています。蛙の声ではないその水の音には、芭蕉さんのいいたいことの全てが込められています。

古池や蛙飛びこむ水の音         松尾 芭蕉
ここには、不要なことばは一切無く、さりとて、足りないことばも一切ないのです。ことばを詩句にまで高めることができるのは、感動のちからをおいて他にないのではないでしょうか。


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