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俳の森-俳論風エッセイ第44週

三百二、景に出会う、物に出会う

俳句の見方には、いろいろありますが、作者の関心が、季語が置かれた場所や状況にあるのか、それとも季語そのものにあるのかという視点でみるのも一つの方法ではないかと思います。

まず、季語が置かれた場所や状況を描いている句を上げてみましょう。
赤蜻蛉筑波に雲もなかりけり        正岡 子規
遠山に日の当たりたる枯野かな       高浜 虚子
芋の露連山影を正しうす          飯田 蛇笏

これら句には、空間的な広がりがあります。作者はその空間のどこかにいて、これらの句をなしたのだろうと想像できます。作者はこの景のなかで、季語をまざまざと感じ取っているのではないでしょうか。
それぞれの景があったればこそ、子規は蜻蛉と出会い、虚子は枯野と出会い、蛇笏は芋の露と出会ったといえるでしょう。その感動が作句動機だと思うのです。

次に、季語その物にフォーカスした句を見てみましょう。
白菊の目に立てて見る塵もなし       松尾 芭蕉
冬菊のまとふはおのが光のみ        水原秋櫻子
滝の上に水現れて落ちにけり        後藤 夜半

わたしたちは、ある物を見つけるとそれ以外の景物は見えなくなります。一つのものにフォーカスするということは、背景を失くしてしまうことでもあります。ですから、芭蕉の白菊は、暗に園女を称した句といわれていますが、別に園女邸でなくてもいっこうに差し支えないのです。
秋櫻子の冬菊も同様です。作者は、咲いている場所ではなく、その花の有り様にこそ、最大の関心を払っているからです。夜半の滝は、箕面の滝とのことですが、それとて同じでしょう。作者の関心は、箕面の滝にあるのではなく、滝そのものにあるからです。

このように見てくると、俳句の一番シンプルな形は、季語+作者の感慨ということになりましょう。つまり、季語に対して、作者がどう感じたか、何に感動したかということが述べられていれば俳句になるということです。
しかし、このような句をものにするのは容易ではありません。何故なら、句のいのちは、作者が何に感動したか、その発見にあるからです。芭蕉は、塵一つないことを発見し、秋櫻子はまとう光を見つめ、夜半は水の現れる不思議を思っています。
それが、ほんとうに発見と呼べるものでなければ、多くの人を引き付けることはできないでしょう。別のことばでいえば、わたしたちは、景もしくは物との出会いを句にしているといえるのではないでしょうか。
甘草の芽のとびとびのひとならび      高野 素十

三百三、季語に巡り合うということ

2016年4月20日の毎日新聞朝刊に、宇多喜代子氏の次の句が紹介されていました。
並びでて毒かもしれず蕨の芽        宇多喜代子
この「季語刻々」というコーナー担当しているのは坪内稔典氏で、氏の句評を以下に引用します。
蕨といえば、「石走る垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも」という歌を連想する。「万葉集」の志貴王子の歌だが、蕨が実に生き生きしている。その蕨に対して、今日の句は「毒かもしれぬ」と思っている。この思い、先年の東日本大震災による原発事故がもたらした。蕨の芽がせつないほどきれいに見えるではないか。

作者は、おそらく毎年蕨採りにでかけるのでしょう。もちろんそれを食べるつもりだからこそ、「毒かもしれぬ」という思いが脳裏にうかび、その一瞬の逡巡がこの句を成さしめたのではないでしょうか。そこで、思ったのは、もし蕨が毒ということになって、誰も食べない年月が続けば、いつしか蕨は忘れ去られてしまうのではないかということです。
わたしたちが、巡り来る季節の度に季語を入れて俳句を詠むことの背後には、自然に対する大きな信頼が横たわっているのではではないでしょうか。
何も変わらず、同じように季節が繰り返されるということ、それは大きな安心であり、喜びでもあったでしょう。何故なら、稲作を中心に発達してきた日本では、自然が変わらずにあるということこそが、稲の実りを約束してくれるからです。
そう考えると、わたしたちが季語を入れて俳句を詠むことの奥底には、今年もまた変わらずに季語と巡り合えたことへの安堵の喜びがあるように思うのです。
しかし、宇多氏は、眼前の蕨に、「毒かもしれぬ」という疑念を挟まずにはいられなかったのです。その疑念の矛先は、人間の作った原発に向けられているように思われます。そうでなければ、「毒」ということばを持ち出したりしないでしょう。

思えば、わたしたちの季語の世界は、近年の科学技術の進歩や、人間の営為によって大きく変質してきました。季語のなかには、今ではめったに見られなくなったものがたくさんあります。
例えば、蛍や赤蜻蛉の大群を見ることは、保護されている場所にでも行かなければ適わぬことでしょう。わたしたちが得たものと失くしたものの接点で、掲句は発せられているのです。これ以上、自然が損なわれないことをただただ祈るばかりです。
ゆるやかに着てひとと逢ふ蛍の夜      桂  信子
とどまればあたりにふゆる蜻蛉かな     中村 汀女

三百四、動詞の働きについて

わたしが初めて俳句の教えを乞うた皆川盤水氏は、俳句はできるだけ動詞が少ない方がいいとおっしゃっていました。次の句には動詞がありませんが、句として成立しています。あえていえば、見るという動詞が省略されているのだともいえましょう。
山又山山桜又山桜             阿波野青畝
このように、動詞がなくても見るや聞くという動詞は省略可能なため、作者の見聞したものが提示されていると、読者は理解することができます。それでは、そこに他の動詞が加わることで何が起こるのでしょうか。皆川盤水氏の作品を通して考えてみたいと思います。

寒鴉雲を見てゐてゐずなりぬ        皆川 盤水
暗く立ち込めた一面の雲。そこに更に黒い塊としての寒鴉が一羽。何をするという風でもなく、作者には雲を見ているように見えたのでしょう。「見てゐて」と「ゐずなりぬ」の間には、五七五の調べがもたらすほんの僅かな間があります。この間は、とても重大な意味を含んでいるように思われます。それは、この小さな間を境に、有と無が反転するからです。
わたしたちは、日常生活の様々な場面で、有が無になる瞬間を目撃しています。皿の上の料理は食べてしまえば無くなりますし、CDが止めば音楽は聞こえなくなります。しかし、普段は気にも留めないことに、この句はわたしたちを立ち止まらせるのです。

有が無になるということは、生が死となることを容易に連想させます。いつのまにか見えなくなった鴉にはたと気づいたとき、作者は茫洋とした思いにとらわれたのではないでしょうか。わたしには、
道のべの木槿は馬に食はれけり       松尾 芭蕉
を初めて読んだときの驚きと相通ずるものがあるように思えてならないのです。
優れた芸術が日常の視点から非日常の視点へとわれわれを誘うように、掲句もまたごくありふれた光景を詠みながら、生から死へのあっけないほどの移行そのものに焦点を当てているのではないでしょうか。作者は生を見、同時にその裏側に貼りつくようにしてある死を見ているのだといえましょう。
ところで、鴉は本当に雲を見ていたのでしょうか。それは誰にも分からないことです。けれども、作者には、そのように見えたのです。それは、作者もそのように雲を見ていたからであり、鴉がそうしたように、作者自身も雲を見て、やがてそこから立ち去ったのではないでしょうか。
つまり、掲句の寒鴉は、作者自身でもあるのです。ここでは、動詞は、作者の思いを雄弁に語るものとして機能しているのではないでしょうか。

三百五、胸中山水画と眼鏡絵

わたしたちが普段目にする山水画の殆どは、作者が実際の景を写生したものではありません。それは、作者が思い描く美のエッセンスであり、作者にとっての美の原型のようなものといえましょう。それゆえ、胸中山水などと呼ばれています。山水画が提示しているのは、作者にとっての理想郷だといえましょう。

高嶺星蚕養の村は寝しづまり        水原秋櫻子
掲句はまさに、山水画のような俳句といえましょう。高嶺星は作者の造語と思われますが、読者は、その理想郷に酔いしれてしまうのです。秋櫻子の「葛飾」は、発表当時一世を風靡したといわれていますが、その実像について、石田波郷のことばが残されています。
私は、昭和七年、上京するとすぐ、或日、一人で春の葛飾の野を歩き廻つた。膨張する住宅地、痩せた水漬き田、煤煙によごれたような町、汚水を流す川、それらを春らしく青草が蔽つてゐるにすぎなかった。そして、今更に先生の「葛飾俳句」の美しさに感嘆したのであった。(水原秋櫻子句集、角川文庫版、後記より)

いっぽう、江戸時代後期に丸山応挙(1733~95)が写生画を描きます。当時は実証主義的精神が高揚し、実際的・実証的学問、実学が隆盛するなどして、絵画でも実証的表現が求められていたことがその背後にあったようです。応挙は与謝蕪村(1716~84)と同時代の人で、蕪村とも親交があったようです。
この応挙が二十七歳の頃、眼鏡絵を描いています。これは、見世物の一つで、レンズの付いた覗き眼鏡を通してみると立体的に見えることからそう呼ばれています。図録などを見ますと、西洋の遠近法を駆使したもので、現代の絵画に通じる斬新さが感じられます。

この眼鏡絵は、まるで本物そっくりだということで人びとを驚かせたことでしょう。祇園祭山鉾図、葵祭図、三十三間堂通し矢図などがよく知られています。わたしたちの写生句には、この眼鏡絵と同様に、それを読んだときに、読者の記憶の場面をまざまざと呼び起こす効果があるように思われます。もちろん、俳句では絵画のような精密な描写はできませんが、それでもことばの力をフルに活用することで、秀句はそれを可能としているのです。
滝の上に水現れて落ちにけり        後藤 夜半
冬の水一枝の影も欺かず          中村草田男

これらの句から読者が呼び起こすのは、読者それぞれの記憶であり、そのときの心持ちではないでしょうか。応挙が優れた描写力で眼鏡絵のなかに人びとを引き込んだように、優れた俳句は、読者の記憶を介して、読者をその句の世界に誘うのではないでしょうか。

三百六、精神的な自然

詠みたいものを詠み、描きたいものを描けばいいのだとわたしは考えています。表現とは本来、その人の内部から湧き上がってくるものだからです。他者をいたずらに傷つけないように、表現上の配慮は必要ですが、表現内容そのものにタブーは必要ないと思うのです。

さて、ある時わたしは、近所の田んぼで一匹の赤蜻蛉を見ていました。半ば枯れた蘆の穂先を発って、暫くすると戻ってきます。そして、前と同じ向きで止まるのです。わたしがそこにいて見ているということが、蜻蛉の動きに影響しているのでしょうか。何故だかよく分からないけれど、わたしはそれをとても面白いと思いました。

そこで、その光景を一つの句にしてみたのです。
赤とんぼ一巡りして同じ秀に        金子つとむ
単に現象として蜻蛉の動きを捉えるなら、果たしてわたしはそれを面白いと感じるでしょうか。むしろその軽やかな飛行技術や翅の仕組み、鮮やかな赤色などに関心がいくのではないかと思われます。
しかし、わたしたちは、そうなっている。少なくともわたしには、面白いと見えてしまう。そのことが、わたしたちが俳句を詠み、共感し合うことのできる共通の母胎ではないかと思うのです。

わたしたちは、赤蜻蛉を取るに足らないものという風には決して見ていません。むしろ美しいもの、味わい深いもの、哀れなるものとして、ともに生きたいと願っているのではないでしょうか。
滝の上に水現れて落ちにけり        後藤 夜半
掲句は単なる現象の説明でしょうか。滝というものがまさしくそのようにしてそこにある、あり続けるということのなかに、変らぬものへの憧憬、その力強さ、美しさを感じ取っているように思われます。
水彩画家の小堀進は、画友の森田茂氏に次のように述べたと、森田氏が書き残しています。(太字筆者)
自分は風景を愛する、東洋も西洋も共に自然をよく見、自然から学んだことは同じだが、自然を至上の精神とながめた東洋、現象として受取った西洋。(中略)自然をばかにして画面で遊んでいてはいけない、自然に頭さげて真剣にやる。(小堀進遺作展カタログ、茨城県立美術博物館編)

俳句は一匹の蠅にすら心を寄せる文芸です。とても平和的だといえましょう。
やれ打つな蠅が手をすり足をする      小林 一茶
うつくしや障子の穴の天の川        〃

わたしたちは、こんな一茶の世界から、はるかに遠いところに来てしまったようです。

三百七、百万本のバラ

百万本のバラという歌をご存知ですか。そのなかにこんな歌詞があります。歌手の加藤登紀子さんの訳によるものです。
百万本のバラの花を
あなたにあなたにあなたにあげる
窓から窓から見える広場を
真っ赤なバラでうめつくして

また、同じ加藤さんの歌う愛の讃歌には、次のような歌詞があります。
もしも空が裂けて 大地が崩れ落ちても
私はかまわない あなたといるなら

わたしたちが、これらの歌詞に特に違和感を覚えないのは、何故なのでしょうか。逆にこれらの歌詞の世界に強く惹かれてしまうのは・・・。

俳句では、どちらかといえば主観を抑制し、ややストイックな表現を目指すことが多いのですが、前述の歌詞では、そのような自制は全く働いていないように思われます。いや、むしろ赤裸々なことばこそが、より真実に近いと思われているのではないでしょうか。
わたしは、主観の直截な表現が共感の妨げになる場合に限って、表現を抑制すべきだと考えています。簡単にいえば、わたしたちは主観、客観を超えて、共感される表現を目指せばいいなのではないかと思うのです。
実際、俳句の世界でも強い主観表現や、愛の表現がなされる場合があります。わたしたちは、人としての似たような体験から、それを素直に肯うことができるのです。

少し、例をあげてみましょう。
外にも出よ触るるばかりに春の月      中村 汀女
鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし        三橋 鷹女
短夜や乳ぜり泣く児を須可捨焉乎     竹下しづの女

たまたま女性の句が並びましたが、ここに描かれた世界は、必ずしも個人的な世界ではなく、むしろ普遍性をもつものであり、このような表現は共感の妨げになるどころか、共感を助長しているとさえ思われるのです。
次の句も、人間にとっての普遍的な題材を扱っているといえましょう。
緑なす松や金欲し命欲し          石橋 秀野
また、以下の鈴木しづ子氏の句は、壮絶な愛の世界を描いて鬼気迫るものがあります。
もくろみし異つ国行きや野は枯れぬ     鈴木しづ子
密封せる薬を持ちいつでも死ねる      〃
白露や人を追ひ死すこともよく       〃
雪はげし共に死すべく誓ひしこと      〃
月涼したんたんとして死を待てば      〃
ニッキ苦し生きることは最大愚       〃

三百八、主観表現の良し悪し(添削例)

愛や恋、生死に纏わることなど、人間にとって普遍的な内容を扱うとき、主観表現はかなり許容される場合が多いように思います。これに対し、個人的な趣味や嗜好の世界で、主観的な表現をされると、読者は立ち止まってしまうのではないでしょうか。それでは、主観表現のどこがいけないのでしょうか。具体例で検討したいと思います。

初心者の集まる句会で、次のような投句がありました。
【原句】いとほしや小花鏤ばめ海老根咲く
【添削】明るしや小花鏤ばめ海老根咲く

作者はおそらく、手塩にかけてその海老根を咲かせたのでしょう。それが、小花を鏤(ちりば)めるようにたくさんの花を付けたので、思わず〈いとほしや〉と表現されたのだと思います。しかし、気持ちは分かりますが、相手が海老根となると同好の士でもない限り、共感を得るのは難しいのではないでしょうか。〈いとほしや〉を使っても、句意が我が子のことなどであれば、許容範囲は格段に広がるものと思われます。
添削では、〈いとほしや〉を〈明るしや〉に変えています。こうすると、何が変わるのでしょうか。海老根の花には、白や黄色、薄紫などの明るい色が多いように思われます。〈いとほしや〉は映像性のないことばですが、〈明るしや〉とすれば、読者は海老根の色やその場の雰囲気を思い浮かべるのではないでしょうか。〈明るしや〉とすることで、作者の喜びが伝わり、そのなかには〈いとほしさ〉も含まれるように思うのです。

次の句の場合はどうでしょうか。
【原句】艶めける海棠散るや名残惜し
【添削】塵取りの海棠のなほ艶めきぬ

海棠は、晩春にひときわ鮮やかに開きます。桜などを見慣れた目には、このピンク色は、少し強すぎると感じられるほどです。その海棠が散っていくのを、作者は名残惜し気に眺めています。しかし、〈名残惜し〉とまでいってしまうと、読者に対してやや押しつけがましくなってしまうのではないでしょうか。〈名残惜し〉といわずに、名残り惜しさが描けるとぐっと情感が深くなります。
添削では、作者の思いは、〈なほ〉の文字に凝縮されています。また、〈名残惜し〉の五文字を〈塵取りの〉に変えることで、塵取りに収まった花屑を映像化しています。

このように、主観表現は作者の思いを一心に述べるあまり、句のもつ映像性を損なっている場合が多いように思われます。読者に映像が見えるかどうかは、共感のための大きなポイントです。主観をぐっとこらえて、映像性のあることばに置き換えてみると、場面が生き生きと立ち上がってくるのではないでしょうか。


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