俳の森-俳論風エッセイ第37週
二百五十三、スローライフと俳句
わたしは長い間わたしたちを自然から遠ざけてしまったものは、便利な生活空間なのだと感じていました。窓を閉めてしまえば、余計な物音は聞こえなくなるし、真夏でもエアコンをつけていれば、快適に過ごすことができます。
騒音と共にわたしたちがシャットアウトしてしまった自然の音があるのではないでしょうか。このことは、キャンプなどでテントに泊まったことのある人なら、すぐに分かることです。
それと同じように、暑さや寒さからもできるだけ逃れようとして、わたしたちは暮らしています。そのことが、わたしたちを自然から遠ざけた原因だと、ずっと考えていたのです。
しかし、ある時から、少し見方が変わりました。自然からわたしたちを遠ざけている真の原因は、忙しさではないかと思ったのです。きっかけは、十年ほど前に読んだ、「スローライフでいこう」(エクナット・イーシュワラン著、スタイナー紀美子訳、ハヤカワ文庫)という一冊の本でした。作者は、この本の執筆目的を次のように記しています。(傍線筆者)
わたしが提唱する「ゆっくりとした豊かな生活」というのは、肉体的にも、精神的にも、知的な面でも、そしてもちろん霊的にも、もっとも理想的な生活のことです。(中略)
エイト・ポイント・プログラムは次の八つのステップから成り立っています。
スローダウンする・一点集中する・感覚を抑制する・人を優先させる・精神的な仲間をもつ・啓発的な本を読む・マントラを唱える・瞑想をする(中略)
本書は、日々の忙しさやあわただしさから開放され、充実した人生を送りたいと思っている人のためのものです。
仏陀はこのような理想的な生き方を、「自覚をもった生き方」と呼びました。それは、本当は生きているとは言いがたい「条件反射的な生き方」とは正反対のものなのです。
この本を読んだ直後から、わたしは早起きになりました。丁度その頃、松戸から藤代に引っ越して、一時間半ほどかけて東京まで通勤せざるを得なくなったからです。けれどもそのおかげで、冬の美しい夜明けを堪能することができました。定年後はもっと早起きしています。
そして、スローダウンを勧めているのは、俳句も同じではないかと気づいたのです。足元にどんなに可憐な花が咲いていても、忙しくしていたら見過ごしてしまうでしょう。俳句は「いまここ」の文学です。「いまここ」に集中し、「いまここ」を存分に味わうことを教えてくれます。俳句は日々を大切に、丁寧に暮らすことをずっと教えてくれていたのではないでしょうか。
山路来て何やらゆかしすみれ草 松尾 芭蕉
二百五十四、美しい景物から
わたしたちの周りは、美しいもので溢れています。自然物のみならず、先人たちは美しい文化を育んできました。わたしたちは吟行すると、心に触れるものを次々に句帳に書き留めていきます。それはいつも、喜びに満ちた行為といえるでしょう。
美しい自然の景物はもちろんのこと、神社仏閣や、祭・行事などの諸事一般が、先人たちの美意識に支えられています。ですから、吟行して季語と幾つかのことばを組み合わせれば、詩情を湛えた俳句がたちどころにできてしまうというわけです。
季語は、先人たちがそこに美を発見し、長い歳月をかけて育んできたかけがえのないことばといえるでしょう。季語を一つ入れることで、俳句は一歩詩に近づきます。さらに神社の鳥居や、手水鉢や、千木などにも風情を感じることができるでしょう。
日本文化の美の世界に、わたしたちは当たり前のように暮らしているのです。そういう意味で、わたしたちは、先人たちの美意識の力を借りて、作句しているといえるかもしれません。季語(の景物)が、どこにどんな風にあったというだけでも、立派な俳句になってくれるのです。
ところで、わたしたちの眼前には実に様々のものがあります。当然のことですが、目に入る全てのものをわたしたちは見ているわけではありません。見るということが意識して見るということならば、見えているものの中から、必要に応じて見ているのだといえるでしょう。
見えている様々のものの中から、心に適うものを探し出してくるだけでも、一句を作ることができます。その選択に作者の目が働いているのです。さらに、そこに作者の感慨を少し付け加えることも可能でしょう。詠嘆の切字の使用や、動詞、ちょっとした言い回しのなかに作者は、さりげなく感動をしのばせているものです。
いくつかのことばを選択している当のものは、作者の感動といえましょう。作者の感動が大きければ大きいほど、意外な組み合わせが可能となります。作者の感動が、やがて、読者を納得させる力になるからです。
俳句は、眼前の景の中から、作者が詩情を感じて抽出したことばによって再構成された詩的空間ということもできましょう。その空間が作者の感動で満たされていればいるほど、その感動が大きければ大きいほど、読者を共感させることができるのではないでしょうか。
産土神に干草山と積んであり 皆川 盤水
大瑠璃や那智権現の鰹木に 三好かほる
福神詣をんなはいつも袋持ち 鍵和田釉子
祓はれて巫女早乙女となりにけり 阿久津渓音子
神体は剣に在す露しぐれ 松本たかし
二百五十五、実感とらしさ
わたしたちの五感は、「いまここ」でしか働かないのに、どうしてその働きを疎かにしてしまうのでしょう。わたしたちは子どもの頃、眼前の全てのものに、「いまここ」に集中していました。子どもたちの真っ直ぐな、射抜くような目を想像してください。わたしたち自身も、間違いなくあのような目をしていたのです。
ところが大人になって、過去が堆積してくると、こころは過去の出来事に縛られるようになります。いつまでも、過去のことで、くよくよしたり、腹を立てたりしているのです。こころが過去にとらわれているとき、目は何も見ず、耳は何も聞いていないのと同じです。
有難いことに、俳句は、「いまここ」に意識を集中させるように教えてくれます。写生とは現場に立つことなのです。現場には、五感を刺激する全てのものが揃っています。たとえことばとして一句のなかに結実しなくても、現場では全ての五感が働いているのです。五感の働きがその場で生まれることばを決定づけているのではないでしょうか。
久しぶりに、秋の彼岸に里帰りしたときのことです。墓参の後、近くを散策しながら戻ることにしました。暫くすると、見覚えのある大きな銀杏の木が目に飛び込んできました。その傍らには、小さな社があって、折りしも彼岸花が参道を埋め尽くしていました。
その小社の直径十五センチほどの鈴を鳴らすと、思いのほか鈍い音で「がらん」と鳴りました。その音がどうにも耳から離れなくて、
小社の鈴ががらんと鳴りて秋 金子つとむ
と詠みました。しかし、その後で、「がらん」では何となく、秋の爽やかな感じに相応しくないように思えたのです。
小社の鈴がからんと鳴りて秋 〃
推敲句は、「がらんと」を「からんと」に変えただけです。しかし、ここで、はたと迷ってしまったのです。初案通り「がらんと」でいくべきなのか、らしさを強調して「からんと」にすべきなのか・・・。
その時、ふいに高野素十を俳句の道に誘った水原秋桜子の添削を思い出したのです。因みに、秋桜子は、素十と同じ東大医学部の研究室の先輩でした。素十の次の句は、大正十二年の成田山参詣の際に詠まれたものです。
秋風やがらんと鳴りし幡の鈴 高野 素十
に対し、秋桜子の添削は、
秋風やくわらんと鳴りし幡の鈴
でした。(高野素十研究、倉田紘文著、永田書房)
写生(実感)と理想(らしさ)のどちらを採るのかは、作句の別れ道でもあります。わたしは、「からんと」ではどこか作り物めいた気がして採用しませんでした。それは、自分自身の五感を信じることだったように思います。
二百五十六、あっ、虹!
夕立のあとの空に虹を見つけたとき、わたしたちは、このように叫ぶのではないでしょうか。ひょっとしたら、虹ともいわないで、ただ、「あっ」とか、「おう」とかいうだけかもしれません。
そして、当然のことですが、誰かに知らせようとします。虹ははかないものであることを知っているからです。その時も、階下に向かって、ただ「虹!」と叫ぶだけなのではないでしょうか。
わたしたちが感動の最中にあって、その美しさに見惚れている時、次々とことばがやってくる訳ではありません。ことばが、やってくるのはずっと後のことです。虹ではありませんが、春の月を詠んだ句に次のような句があります。
外にも出よ触るるばかりに春の月 中村 汀女
彼女は、家人に対しては、「月!」というだけで、済んだのではないでしょうか。一緒にその春の月を見られるのであれば、月と叫んでその場に呼ぶだけでいいのです。
しかし、俳句ではそうはいきません。その時の作者の感動を伝えるには、感動の余韻が消えないように短く、それでいて他者にも分かるように長く、一句を成さなければならないでしょう。そのために追加されたことばが、「外にも出よ触るるばかりに春の」だと考えることもできるのではないでしょうか。
作者は、揺蕩うような春の月の大きさに心底感動したのでしょう。だから、自然の感情として誰かに伝えたくてしょうがなかったのです。それをみんなに伝えるために、掲句ができたのではないでしょうか。
端的にいえば、俳句は作者の感動を伝えるものです。誰かに「月!」といわれれば、傍にいる人は思わず空を見上げてしまうでしょう。同じように、たった十七音で、
外にも出よ触るるばかりに春の月
といわれれば、ともかく外にでてあの春の月を一緒に見ることになるのです。
そこに作者の感動があると分かっているからこそ、わたしたちは、作者の世界に入りこみ、一緒に春の月をみようとするのです。逆にいえば、感動を伝えるために、長いことばは要らないともいえるのではないでしょうか。
路傍の花をみつけて、「おっ」といって駆け寄るだけで、作者の感動は伝わるでしょう。そして、その場にいない読者のために、それが、菫の花で、山路を来て見つけた花だとつけ加えるだけでいいのです。そのように、俳句は生まれてくるのではないでしょうか。
山路来て何やらゆかしすみれ草 松尾 芭蕉
紺絣春月重く出でしかな 飯田 龍太
二百五十七、正しく伝えるために
インターネットの句会を覗いてみると、俳句の裾野の広がりを感じることができます。人々は、おもいおもいに感じたことを五七五に載せて楽しんでいますが、ちょっと工夫すれば五七五になるのにそうしないものや、季重なり、三段切れなどの句も頻繁に目にします。
わたしの所属するフェイスブックの句会でも、それらを指摘する人はあまりいません。もともとネット上の仲間ということで、互いに気兼ねがあるのも事実ですが、それ以上に、俳句を独立した作品とする考え方が希薄なためのように思われます。
例えば、分かりにくい句には、作者が予め説明文をつけて投句します。ですから、読者は、説明文の助けをかりて句意を読み解くことになります。わたし自身は当初句だけを発表していましたが、今では、句に添えて季語とその時季を付するようにしています。それは、季語を読者に意識して欲しいのと、季語一つで作句しているということをアピールするためです。
季重なりについても、同様のことがいえます。一句のなかで、季語が主役として働いていないばかりか、何が季語であるか知らない場合も見受けられます。ましてや、季語が先人たちの美意識によって培われた特別のことばであることを意識している方は少ないのです。
特に作品という考えが希薄ですと、表現の工夫が疎かになりがちです。俳句は、それだけで何らかの意味をなすものでなければなりません。○句一章というときの一章とは、それが何かを伝えるための独立した文章であるということを意味します。俳句は、始めから説明を付するべきものではないのです。
このことは、句形にも影響してきます。どんな句形であっても、読者が勝手に解釈してくれると、作者は自作が相手に伝わっていると錯覚してしまうでしょう。朝妻主宰(雲の峰)の説かれる一句一章、二句一章などの句のかたちは、切れの意味も含め、句意を正しく伝えるためのものなのです。ネット句会の体験を通じて、俳句が一句として独立すべきものであること、正しい句形で表現することがいかに大切であるかを再認識することができました。
季重なりでも、三段切れでも、そこにことばが並んでいれば、読者はことばをつなげて勝手に解釈してしまうでしょう。それを防ぐには、わたしたちが正しく表現する以外にないのです。また、どんなに正しく表現しても、短い俳句では、作者の意図に反して、読者が恣意的に解釈してしまうことも大いにあり得ます。
五七五の韻律も、季語一つも句のかたちも、全て正しく伝えるための方策なのではないでしょうか。
二百五十八、見てきたような嘘
ことばを弄ぶことはよくないことだと思いますが、その中でも最たるものは嘘をつくことではないかと思います。ところが、「俳人は見てきたような嘘をつく」と言われることが時々あります。このことばは、だから嘘をいけないといった単純なものではなく、むしろ、相手に敬意を表するような文脈で使われることが多いように思います。
俳人は、たとえ嘘であっても、まるで本当のことであるかのように表現するのが上手いと言われているようでもあります。嘘であっても、見てきたような嘘ならかまわないということなのでしょうか。今回は、この「見てきたような嘘」ということばを手がかりに俳句について考えてみたいと思います。
まず、「見てきたような」とは、いったいどういう意味でしょうか。以前に空想句のところで取り上げましたが、蕪村に、
鳥羽殿へ五六騎いそぐ野分かな 与謝 蕪村
があります。「見てきたような」は、まるでそこに作者が「居合わせたような」あるいは、そこで作者が「体験したような」というふうに言い換えることもできましょう。それほどまでに一句に実在感、現実感があるということではないかと思われます。ここでは、俳句の価値が実在感、現実感にあるということが、期せずして明かされているのではないでしょうか。
次に、筑波山神社にもその句碑がある、水原秋桜子の筑波山縁起を見てみましょう。
わだなかや鵜の鳥群るる島二つ 水原秋桜子
天霧らふ男峰は立てり望の夜を 〃
泉湧く女峰の萱の小春かな 〃
国原や野火の走り火よもすがら 〃
蚕の宮居端山霞に立てり見ゆ 〃
これは神話を題材に作られたもので、嘘といえばこれ以上の嘘はありません。
蕪村の句は、蕪村が吹きすさぶ野分のなかにいて発想したかのような臨場感があります。掲句は、現実の野分のなかで蕪村の見た幻というふうに見ることもできましょう。
しかし、秋桜子の句は、あきらかに筑波山縁起という物語に重点があり、はじめに季語との出会いがあったようにはどうしても思えないのです。
蕪村句にある季語に対する感動が、秋桜子の句では希薄なのではないでしょうか。それぞれ季語を取り出してみると、鵜(三夏)、望の夜(中秋)、小春(初冬)、野火(初春)、霞(三春)となりますが、物語の即して置かれたという印象が拭えません。季語に対する感動が希薄な分だけ、句に弱さがあるのではないかと思われます。
二百五十九、ことばのいのち
一字一句、一語一語に作者の思いが込められて俳句は成り立っています。たった十七音だからこそ、わたしたちは、一語一語に思いを託すのではないでしょうか。
このことばの使い方は正しいか、他にもっと相応しいことばはないか、このことばはどんなイメージを喚起させるか、作者の知識や体験が総動員され、ことばは吟味されていきます。その際、ことばどうしの意味の重複は調整され、ことばは、一句の中であるべき場所を獲得するのです。
山本健吉氏は、この状態をことばが置かれると表現されました。『挨拶と滑稽』から、引用してみます。(俳句とは何か、山本健吉著、角川ソフィア文庫)
詠嘆を基調としない俳句は必然的に用言より体現に愛着する。俳句は時間の法則に反抗し、様式の時間性をみずから拒否する。言わば時間を質量感のなかに圧縮してしまう。一つ一つの言葉は繋ぎ合わされて楽しい韻律を奏でるものではなく、一つ一つが安定した位置に言わば「置かれる」のだ。
このように、安定した位置に置かれたことばは、一句のなかで十全に働き始めます。ことばは、ことばのもつ原初のエネルギーを持って、甦ってくるのです。ことばにはそれぞれ長い歴史があり、意味そのものやイメージの変遷を経てきています。一語には、それら一切の重量がかかっているといえましょう。いや、そのように一句のなかでことばを働かすことが、俳句なのではないでしょうか。
俳句は決してことばを弄ぶことではありません。ひとりひとりが、それぞれのやり方で、ことばのいのちに向き合うことではないかと思うのです。古くからあることばは、まるで数千年を経た大木のようでもあります。
分けても先人たちの思いを繋いできた季語は、言霊を宿しているといってもいいのではないでしょうか。例えば、花という季語を入れて一句を詠むということは、そうした思いに繋がることではないかと思うのです。
わたしの敬愛する高野素十氏は、「俳句以前」ということを述べています。高野素十選句集「俳句以前」村上三良編から、氏のことばを引用します。
この長い間の十和田集に寄せられた俳句によって、私は青森、みちのくの風物、みちのくの人の心の持ち方等いろいろの事を学ぶことができたこと、全く一生の幸福と思うのであります。俳句には、「俳句以前」というものがあります。一句を成すに到るまでの心の持ち方、心の動きといったようなものまでを含めて、「俳句以前」というものが大切であると考えております。
ことばを弄ばないということも、俳句以前の一つではないかとわたしは考えています。
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