記憶の海と水玉のワンピース
町田その子さんの、『星を掬う』を読んだ。
あらすじはこちら。
大いにネタバレを含むのだけれど、この母・聖子が若年性認知症を患っている。
千鶴と過ごす中でも、聖子の記憶はどんどんと曖昧になっていく。
そして時々、記憶の海から星を掬いあげるように、ぽつりと思い出を話す。
千鶴の母の話を読みながら、私はずっと、祖母のことを思い出していた。
母方の祖母は、認知症である。
一時期一緒に住んでいたのだが、その時から何度も、幼いころの、中国で過ごした記憶を語っていた。
「中国ではね、『こんにちは』の代わりに『ご飯食べた?』ってきくのよ」
そんな話を繰り返し、その時に覚えた中国語をどこか誇らしげに話す祖母の柔らかなトーンが、耳の奥にまだ残っている。
記憶の海から、幸せな時間と幼い日の発見を、大切に掬っては、私に見せてくれていたのだろうか。
そこから徐々に、祖母の状態は悪化していった。
同居をやめてしばらくしてから、私のことが分からなくなった。
そのうちに、母のことが分からなくなった。
祖母からの「はじめまして」も十分に痛かったけれど、
実母からの「はじめまして」を受け取る母の痛みは、私には想像しかできない。
大切な人の、記憶の海の底に、もう掬えない底に、自分が沈んで行ってしまうような、静かな苦しさ。
私は今、香港に住んでいる。
少ない荷物の中で、祖母からのおさがりのワンピースをいれてきた。
藍色をベースに、黄色の水玉模様が並ぶ、レトロなデザインが好きだった。何となく、置いていけなかった。
中国語を聞く機会も増えた。本土の中国語とは少し違うのだけれど、
マンションの管理人さんはよく、私に
「セッ ジョー ファン?」と聞く。
「ごはん食べた?」という意味だ。
かつて祖母が掬った記憶が、瞬く。
黄色の水玉模様は、みつめるとどこか星に似ていて、
祖母の代わりにそっと、星をなぞり、掬ってみた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?