イスラエルの雑踏に消えた幻、あの屋台のファラフェル。
旅する料理人、越出 水月(こしで みづき)です。
ときどき、1か月くらいふらっと旅に出かけては世界各地の「料理採集」をするのがライフワークです。
きっかけは、海外に住んでみたくて留学した、イスラエル。
「食は文化を知る一番の入り口である」という信念のもと、勉強そっちのけで食べ歩きしたり、ひとさまのキッチンにお邪魔したり、無給でいいから!とレストランで働かせてもらったりしていました。
イスラエルの国民食と言えば、ひよこ豆のコロッケ「ファラフェル」。
イスラエルに限らず、レバノンやヨルダン、エジプトなど中東一帯で食べられており、地域ごとに形や味が違う。例えば、エジプトではターメイヤと呼ばれ、空豆で作る。
肉不足だったイスラエル建国当時、中東出身のユダヤ移民が持ち込んだ豆料理は、たんぱく質を補うものとして、イスラエルでもよく食べられた。
はじめはイスラエルのそれも空豆が入っていたりしたが、ユダヤ人の中にはソラマメ中毒という体質を持った人がいるようで時として死に至ることがあったため(あんなに美味しいのに可哀想!)、ひよこ豆のみを使ったものに着地したらしい。
私の人生1番のファラフェルは、ベエル・シェバのベドウィン市場の中にあるちいさな屋台。もうあの大きな市場の中のどこにあるのかわからない、幻の味だ。
イスラエル南部にあるベエル・シェバは、ネゲブ砂漠の中に急に現れる人工的な大都市。アラブ系や、ロシア系エチオピア系など新興移民が多く、遊牧民ベドウィンも都市の内外にたくさんいる。社会的立場が弱めの人々が家賃の安さを目当てに集まっており、イスラエルの裏側がそこにはある。
やたらと広く閑散とした大通りから、乾燥して荒々しい砂漠を見渡すとほったて小屋のようなベドウィンのテントがあり、子供たちがけだるそうにろばの世話をしていたり、ごみを拾っていたりする。
そんなセピア色の世界に、週に何回か、極彩色に例えられるものすごい活気の市がたつのである。生きた羊やヤギが売られ、毛皮から野菜、ドライフルーツ、お菓子、床屋、刃物を研いでくれる店、洋服、日用品が軒を連ねる。
殺人的に甘いミントティーと水たばこの妖しい香り、動物のにおい、汗のにおい、文化がきちんと土地に根付いている、母性のような力強さを感じられる場所。
沢山の荷物を抱えた人たちと動物たちでにぎわう雑踏の中で食べたファラフェルは、スパイスがきいていて、揚げた茄子の香ばしさと、クミンの香りが、風土によくあっていた。
あまりに美味しくて同居していたイスラエル人に買って帰りたかったのだけれども、「ファラフェルは油から直接しか食べない(揚げたて以外美味しくないという意味)」と常々言われていたので、仕方なくあきらめた。
帰国直前に、最後に食べておきたい、一緒に食べたい、と無理やり同居人に車を出してもらい、ハイファからベエル・シェバまで小旅行に出かけたのに、ついぞその屋台(と表現するにも小さな、木切れのような机と揚げ鍋だけの店)は、広大で混沌な市場の中で、どこにあるのか、まったくわからなくなってしまったのである。
幻の店、幻の味。
届かないとわかると心の中で想いがどんどん膨らんでしまうのは、きっと人間の習性だろう。
私は今もその味を追い求めながら、ファラフェルを作っている。
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あの屋台のファラフェル
材料
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