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津阪東陽「杜律詳解」全釈 覚書 津阪東陽とその交友

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2023年10月の記事一覧

覚書:津阪東陽とその交友Ⅲ-同郷の先輩から女弟子まで-(3)

覚書:津阪東陽とその交友Ⅲ-同郷の先輩から女弟子まで-(3)

著者 二宮俊博

京洛の儒者―福井小車・猪飼敬所

 「安永・天明期の京都」において、東陽と交流のあった儒者については触れておいたが、ほかにも関わりのあった京都在住の人物をここに補っておく。

 福井小車(?~寛政12年[1800])

 名は軏、字は小車、通称厳助。号は敬斎。衣笠山人とも号した。京都の人。後に兄の後を受けて幕府の医官となった。その兄は福井楓亭(享保10年[1725]~寛政4年[1

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覚書:津阪東陽とその交友Ⅲ-同郷の先輩から女弟子まで-(2)

覚書:津阪東陽とその交友Ⅲ-同郷の先輩から女弟子まで-(2)

著者 二宮俊博

同郷の先輩―久保希卿・橘南谿

 橘南谿(宝暦3年[1753]~文化2年[1805])

 名は春暉、字は恵風。南谿はその号。伊勢久居の人。明和2年(1765)京に出で医術を学び、天明2年(1782)には九州・四国を、同四年には北陸・奥羽をそれぞれ遊歴。東陽より四歳上。
 詩末に「恵風は久居の産。少くして故有って郷を去る」と自注を附した七絶「橘恵風の伏水に客死するを悼む」詩(『詩

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覚書:津阪東陽とその交友Ⅲ-同郷の先輩から女弟子まで-(1)

覚書:津阪東陽とその交友Ⅲ-同郷の先輩から女弟子まで-(1)

著者 二宮俊博

はじめに

 津阪東陽の、津藩出仕以前の遊学時代すなわち安永・天明期の京都および津藩儒として出府した文化11・12年の江戸での交友については、すでに「覚書:津阪東陽とその交友Ⅰ―安永・天明期の京都―」(以下、「安永・天明期の京都」)ならびに「覚書:津阪東陽とその交友Ⅱ―文化11・12年の江戸―」(以下、「文化11・12年の江戸」)において、国立国会図書館蔵の写本『東陽先生詩文集』

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