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二宮
2023年9月19日 13:18
著者 二宮俊博おわりに 以上、本稿では東陽の江戸滞在期における展墓の作ならびに詩人や文人墨客との交友を示す詩を取り上げてきた。 竹馬の友で桑名藩儒の平井澹所との三十数年ぶりの再会を果たした後、国元の妻が逝去するという不幸に見舞われ喪に服していた関係もあってか、当地での交友は歳が改まってから活発になるのだが、その際、東陽にとって一番の収穫は11歳下の大窪詩仏との出会いであったろう。そして、
2023年9月12日 11:17
著者 二宮俊博異土での邂逅―菅茶山・頼杏坪・川合春川・梯箕嶺 菅茶山(延享5年[1748]~文政10年[1827]) 名は晋帥、字は礼卿。通称は太沖。茶山は、その号。備後神辺の人。東陽より9歳上。 『福山志料』編纂のため藩侯の命により、文化11年6月5日江戸に入り、翌12年2月末までこの地に滞在していた。茶山にとっては文化元年(1804)以来、十年ぶりの再遊である。詩人として赫々たる
2023年9月7日 09:13
著者 二宮俊博文人・儒者―大田南畝・亀田鵬斎・朝川善庵 大田南畝(寛延2年[1749]~文政6年[1823]) 名は覃、字は子耜。通称は直次郎。南畝は、その号。名・字および号は『詩経』小雅「大田」の「我が覃耜を以て俶て南畝に載とす」から取られている。代々、御徒を務める御家人で、江戸牛込の生まれ。狂詩狂歌の作者として寝惚先生・四方赤良の筆名を用いたが、享和元年(1801)大坂銅座に赴任し