何故ネバーエンディングストーリーの姫の名が「ムーンチャイルド(モンデンキント/月の子)」なのか
ネバーエンディングストーリーのクライマックスのシーンで、バスティアがファンタージェンの”幼ごころの君”に名前つけてその名を叫ぶ...
「ムーンチャイルド!」
なぜ名前が「ムーンチャイルド」なのか?最初に観てから30年間経つものの、その意味がわからなかったけど、ようやく分かった気がする。
バスティアンはお母さんを亡くしている。映画の冒頭では、まだその死を受け入れられておらず、母の死から逃れるように本の世界に没頭する。
ネバーエンディングストーリーに登場する勇者のアトレーユは、青年になろうする少年。勇敢で未来の希望に溢れている。アトレーユーはこれから青年になろうとするバスティアン。同時に、”幼なごごろ君”は子供であり護られねばならない存在。まもってくれる母を亡くしてしまったバスティアンの心の中の子供(幼なごごろ)を現している。
アトレーユには名前がある。これは、バスティアンがアトレーユのように勇敢に人生を切り開いていく決意を既に持っている事を示している。
一方で”幼なごころの君”には名前がない。そしてその”幼なごころの君”の世界は、〈虚無〉によって崩壊しようとしている。つまり、バスティアンは母の死を受け入れられておらず、そこらくる理不尽な虚無によってバスティアンの子供の心は崩壊しつつある。
最後のシーンでは”幼なごごろの君”に改めて名をつけ、その名を呼ぶ事でその姫は救われる。その名前が「ムーンチャイルド」。
原作話者はドイツ人で、ドイツ語で月は男性名詞。なお太陽は女性名詞。ムーンチャイルドはつまり「父の子」ということだろう。
“幼なごころの君”はバスティアの心の中の子供ほ投影なので、それに「ムーンチャイルド」(父の子)と名前をつけたということは、ここで初めてバスティアン自身が母の死を受け入れることが出来たことを表現している。
自分の母は既に死んでしまった。父とともに生きて行かなばならない事への決意を「ムーンチャイルド」に込めていると思われる。
最後は、ファンタージェンのかけらが一粒だけ残り、そこからまた新しいファンタージェンが生まれ、新しい旅が始まる。
ムーンチャイルドと叫んだ後、最後のシーンでのバスティアンとムーンチャイルドとの対話も素晴らしい
「なぜこんなに暗いんだろう?」「始まりはいつも暗いものなのよ。」「それ何なの?」「一粒の砂よ。これだけが残ったの。」「ファンタージェンはすっかりなくなってしまったの?」「ええ。」「じゃあ、全て無駄だったのですか?」「いいえちがうわ。ファンタージェンは新しくまたよみがえるのよ。あなたの夢と希望の中からね。」