モタスポコラム『モータースポーツと無意識の人種差別』

日本GPを前に盛り上げようとしたのか、フジCSで89年日本GPが「LEGEND」枠で再放送されていた。
もはや何度も見ているレースなので今更感はあるものの、レコーダーが気を利かせて録画してくれたので暇つぶしに再生してみた。

この時代のマシンのデザインや、バブル期のモータースポーツの熱狂具合など、久しぶりに見ると面白い。
記憶に反して古館さんの実況はそれほどスムーズでは無く、ときどき言葉に詰まる。そんな再発見もあった。
古い映像は一種のタイムカプセルだ。
そこにはいろいろなものが詰まっている。基本的にサーキットで行われているレースを放映しているだけなのだが、当時の風俗までもがパッケージされている。
そしてそこにパッケージされていたものが、もうひとつあった。

それは差別である。露骨な人種差別がそこにはあった。

フジテレビが総力を挙げて放送していたのは、F1レースでは無かった。
F1に参戦している、ホンダのエンジンを使っている、ブラジル人レーサーを応援する番組だった。
そこではこのブラジル人レーサーが正義であり、全く同じ道具を使ってチャンピオンシップを争う小柄なフランス人の存在は悪役であった。
すべてがブラジル人レーサーの視点で進んでいく。
ブラジル人レーサーのためのレース。
他の25人のレーサーは国籍や所属チームによって差はあれど、彼の引き立て役であり時にはその進路を妨害する悪役であった。

終盤の悲劇的なクラッシュについても、圧倒的にブラジル人レーサー目線での解説がなされていた。
自分のレースを淡々と行っていたフランス人レーサーに対しての同情的な視点は無く、そこにいたことが悪いかのような描かれ方である。

はっきり言ってしまおう。
あの放映を見てブラジル人レーサーを応援していた人々は人種差別主義者である。

最近、お笑い芸人がハーフのテニス選手に対して差別的な発言をしたとひと悶着あった。
その際のネットニュースのコメント欄は、そのお笑い芸人に対して辛辣なコメントで埋め尽くされた。
だが、89年の10月22日にブラウン管(まだブラウン管なのだよ)前であのレースを見て、ブラジル人レーサーの一挙手一投足に心を奪われていた人たちは、もっと悪質な差別主義者だった。
くだんのお笑い芸人は、その発言になんらかの意図があってのものだ。
純粋な差別意識というよりは、そんなきわどい発言をしてしまったいる自分たちは凄いだろうという意図がそこにはある。
そのこと自体、軽薄で浅はかであるが、彼女らは自分たちの行動がどんな結果となるかある程度は予想していた。
結果的にその見立てが大きく狂って着地。彼女らは謝罪に追い込まれた。

一方で89年のあのグランプリをなんの批判意識ももたずに、ただブラジル人レーサーを応援していた人たちは、それが無意識ゆえに更に悪質である。
人間が人間でいられるのは、その行動に自分の「意志」があるからである。
無条件に無意識に、流れてきた空気をうけて自己の意志なく、ブラジル人レーサーを応援するその姿勢は、差別主義者であること以前に人間であることを放棄している。だから醜悪で悪質だ。
それは、あの時代だからといって流せるものでは決してない。
なぜなら30年の時がすぎて、あのレースが再度放送された際の反響もその当時とさして変わらなかった。
単純な、誰かが決めた善悪のキャラクター付けに乗っかった感想がタイムラインを埋めていた。
つまり、30年という時間がたっても人々の意識は殆ど改善されず、無自覚な人種差別を繰り返していたのである。
そして救い難いことに、その差別者達はその傍らで、「わかりやすい」人種差別をしたお笑い芸人を罵倒しつつ。

モータースポーツは、特にF1はナショナリズムがでやすい。
世界中から才能のあるドライバーがあつまり、その道具も各国の自動車メーカーやチームが総力を結集して製造したものだ。
いきおい、どうしても我が国の代表、といった意識がでてしまう。
これが自国出身のドライバーがいないだとか、自国に有力な自動車産業が無いだとかなら、いちスポーツのカテゴリとして平穏に見ることができるかもしれない。
だが、幸か不幸か日本には日の丸ホンダがあり、欧州の名門に立ち向かっていくという物語としては一級のシチュエーションが用意されてしまっていた。
ブラジル人レーサーの立ち位置とて同じことである。欧州勢が幅を利かせる世界に、マイノリティとして南米から殴り込む。
その両者が手を組んだキャラクター、それが自覚の無いメディアが扱った時に悲劇は生まれた。

応援が悪いとは言わない。テレビショーはそういったブック(台本)が必要になることもあろう。どこから資金がでているかを考えると、贔屓することもあるだろう。
だがそこに他者への敬意がなければ、それは差別だ。
フランス人ドライバーは別にこのテレビ放送を見たわけではあるまいが、だったら尚更である。言い返すことができない相手に敬意の無い行動をとることは、更に悪質な行為だ。

残念なことに、日本のモータースポーツメディアでは、この手の無自覚な差別が2019年のこんにちでも続いている。
安易なナショナリズムと他者への敬意を欠く行動は、30年前からこのスポーツを応援しているものには違和感を感じさせないかもしれないが、新たにこの競技に興味をもった人には奇異に映るだろう。
何より絶望的なのは、(繰り返しになるが)その行為が正当なものと思い込んでいる点である。
私は善良な市民です、と言った顔をしながら無自覚に行う差別行為ほど質の悪いものは無い。

もう一度、自分の行いを顧みて、その行為が果たして人として正しいのか。
そして自分がふれているメディアは正しい行いをしているのか。

その自問自答を繰り返していくことが、このスポーツの根底に漂う歪んだ正義感を是正していく唯一の方法だと思う。

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