つるやたかゆき

カルチャーマガジン「GIGANT」でライターやってます。モータースポーツ観戦歴はウン十年。アマで解説齧ってます。noteでは、既存メディアが報じない視点でモタスポを語っていきます。

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最近の記事

F1 2024 サウジアラビアGP観戦記「正解なんてない」

何が正解だったのか。 2024年F1サウジアラビアGPを終えて、頭に思い浮かぶのはその正解がなんであったか。そのことだ。 レース自体は、昨年からの勢力図を完全に持ち越した展開でレッドブルがグランプリを支配した結果となり、我々に残されたのはレースの楽しみがどこに落ちているかを必死で探さなくてはならないという、この手のコラムを書く者にとっては非常に苦痛を伴う展開である。 だが、捨てる神あれば拾う神あり。 アラブの地の神様も今回ばかりは私のようなボンクラ異教徒に優しく微笑んでくれた

    • F1 2024 バーレーンGP観戦記 「インシャーアッラー」

      年が改まり、心機一転!とはならなかった。 年々短く感じるようになったオフシーズンのせいではあるまい。 結局のところ、2024年のF1グランプリは2023年の延長戦であり、リプレイにすぎなかった。 ラップあたり0.5秒の差を広げるヴェースタッペンに対して、それ以外のドライバーは何もできなかった。 同じクルマを使うペレスだって例外ではない。 2023年に世界各地のサーキットで見た、圧倒的な完勝劇。 バーレーンのグランプリは2024年開幕戦というより、2023年プラスワンといった表

      • F1 2023 サウジアラビアGP観戦記「その領域で」

        2023年のF1グランプリはたったの2戦を戦っただけだが、わかったことが2つある。 1つは2023年はレッドブルの年であるということ。 これは複雑極まりないパワーユニットの世紀になってからメルセデスが統治していたF1グランプリの実権が2年間の争乱の時代を経て、印璽の所有者がレッドブルに移ったことを示している。 2023年のF1はレッドブルがその重力の中心となり、各チームは衛星のようにぐるぐるとまわることとなる。 レッドブルという磁場をぐるぐる公転すると各チームは、それぞれぐ

        • F1 2023 バーレーンGP観戦記 「レーシングドライバーは証明する」

          その評価の高さはここ20年、グランプリ界でトップクラス。 多くの記者やファンは無責任にこう口にする。『チャンピオンと同じクルマに乗せてみたい。』 彼がレッドブルやメルセデスに乗るようにことになっていれば、この10年間のF1の風景は違ったものになっていただろう。 それくらい彼のポテンシャルには誰もが期待をしている。 それはもう信仰みたいなものだ。 僕らは、いつか訪れるメシアを待っているのだ。 フェルナンド・アロンソ。 その評判と比べてタイトルの数は2回。それももう何年前になる

          2020年 F1イタリアGP「こぼれ落ちた希望に絶望を見る」

          触れられたくない不都合な真実というものはどこにである。 我々が愛するF1グランプリという小さな世界にも、そういったものがある。 それが露呈したのが2020年のイタリアGPだった言えるだろう。 まずグランプリ前にウィリアムズの身売り問題があった。 聖なるレーシングチームとして、80年代からその影響力を発揮してきたウィリアムズチームだったが、ここ10年はプライベーターゆえの経営の行き詰まりが目に見えて顕著だった。 サー・フランク・ウィリアムズが半引退状態となり、愛娘のクレアが陣

          2020年 F1イタリアGP「こぼれ落ちた希望に絶望を見る」

          2020年 F1ベルギーGP「ロマンをぶちまけろ」

          秋の高速3連戦の幕開け、ベルギーGP。 2025年までF1が延命することが確定した直後のグランプリは、はたして25年までF1が存続できるのか危ぶまれるほどにメルセデスが圧勝し、フェラーリが醜態をさらした。 ただそれだけのグランプリであった。 このテクストを書くために何度かレースを見返したが、そういう感想しかでてこない。 もっともそれは、ここ5年ほどのグランプリで繰り返された光景の忠実なるリプレイであり、こんな感想すら色褪せてしまったいわゆる月並みな感情の吐露に過ぎない。 なの

          2020年 F1ベルギーGP「ロマンをぶちまけろ」

          ホンダ F1撤退に寄せて 「水膨れた魂の行き先」

          ベルギーもイタリアもトスカーナもロシアについても書いていない。 そんな怠惰極まりない姿勢でF1に向きあっているのだが、これについては書いておこうと思った。 書いておかないと後悔する。この今の感情をしっかりとログとして残しておく。 内容については二の次三の次だ。数年後、F1というカテゴリのお葬式が営まれる。その際にこのテクストを読み返そうと思う。 10月2日、ホンダが2021年をもってF1からの撤退を表明した。 正確にいうとF1はコンストラクターと呼ばれる車体製造者によって争

          ホンダ F1撤退に寄せて 「水膨れた魂の行き先」

          2020年 F1スペインGP「戦犯は誰だ」

          スペインGPはハミルトンの完勝で終わった。 敗北を喫した前戦70周年記念グランプリでの鬱憤を晴らすかのような走り。 それはF1に80周年記念式典は無いなと思わせるほど、エンターテイメントとしては不適格な圧勝ぶりだった。 こんなグランプリをこれからも見せられたら、F1は「興行」としての危機を迎える。 圧勝は素晴らしいが、そういう危険も孕んでいるのだ。 だが、ハミルトンとメルセデスを責めることは出来ない。彼らは彼らの仕事をやり切っただけである。 そのマシンがレギュレーションを遵守

          2020年 F1スペインGP「戦犯は誰だ」

          2020年 F1 70周年記念GP「奇妙な誕生祭」

          奇妙なグランプリだった。新型コロナウイルスの影響と言ってしまえばそれまでだが、それにしてもこの奇妙な感覚はいったいなんのか。 『70周年記念グランプリ』 なるほどグランプリ名からして奇妙だ。 国名(あるいは地域名)を背負わない初めてのグランプリ。背負うものはF1そのものの歴史だ。 だがそれにしたって不思議な話だ。 F1が70歳を迎えるのは70年前に決まっていた話だ。それが暴論だとしても69歳の時には70歳を迎えることは確定していただろう。 F1は人間がやるスポーツだが、人間で

          2020年 F1 70周年記念GP「奇妙な誕生祭」

          2020年 F1イギリスGP 「運とツキの狭間で僕らは踊る」

          『ツキっていうのは一晩で変わっちまうが運っていうのは一生ついてまわるものさ』 ご存知、「サラリーマン金太郎」で主人公金太郎の暴走族時代の部下、椎名が彼を評して言ったセリフである。 適当に「ご存知~」とか書いたが、どこまで「サラリーマン金太郎」って知名度あるんだろうか。 古い床屋さんや場末のラーメン屋さんには必ず置いてあるので、知らない人はチェックしてほしい。 金太郎、通称「金ちゃん」は、その類まれなる運の良さと腕力でサラリーマン人生をとんとん拍子で出世していく。 その点は数多

          2020年 F1イギリスGP 「運とツキの狭間で僕らは踊る」

          2020年 F1ハンガリーGP「その神話を信じられるか」

          嫌な予感がした。レコンサンスラップでレッドブルのヴェースタッペンがコースオフ。フロント周りを大破してしまう。グリッドではスタッフたちの懸命な修復作業が行われる。 嫌な予感、それはヴェースタッペンがスタートに間に合わない。例え間に合っても急拵えの修理では彼に翼を授けることはできずに結局リタイアしてしまう。 そんなことでは無い。 この修理は間に合う。そしてスタッフのそんな懸命な頑張りをヴェースタッペンは粋に感じておそらく大活躍する。 そこまではポジティブな予感だ。その予感について

          2020年 F1ハンガリーGP「その神話を信じられるか」

          2020年 F1シュタイアーマルクGP 「その走りに僕らは微笑む」

          無理にでも笑おう。そう決めた。 つらいことがあっても、無理にでも笑おう。そうすれば未来はきっと拓ける。 つらいのは、未だ収束が見えない新型ウィルスでも、絶望的な人種差別問題でもない。自由が奪われつつある香港のことでもない。 2020年のF1第2戦 シュタイアーマルクGPのお話だ。 新型ウィルスの影響をうけたグランプリは史上初の同一サーキット二連戦をイベントカレンダーに組み込んだ。 すなわち、開幕戦を行ったオーストリア レッドブルリンクで1週間をおいてもうワンラウンドの開催で

          2020年 F1シュタイアーマルクGP 「その走りに僕らは微笑む」

          2020年 F1 オーストリアGP 「変わらなかったF1の本質」

          世界を揺さぶった新型コロナウイルスと、人種差別問題。 2020年のF1もそれは世界の大部分と同じで、しっかりと影響をうけていた。 あらゆる経済、テクノロジー、人、モノ、の集合体がF1と言うならばそれはその通り。 もはやモータースポーツは裕福な貴族の遊びでは無く、世界のシステムに組み込まれた娯楽の一つに過ぎないのである。 なんだかんだ当初の予定から3か月以上も遅れ、選手権のカレンダーは開幕の段階ではまだ不透明。 トータルのイベント数がどれほどになるのかさえ、「その時」が来てみな

          2020年 F1 オーストリアGP 「変わらなかったF1の本質」

          スーパーGT 2020年シリーズ開催によせて

          新型コロナウイルス感染拡大にともなった社会情勢の変化に対して、スーパーGTを主催するGTアソシエイション(GTA)が2020年の開催スケジュールのロードマップを発表した。 https://supergt.net/news/single/19965 最終戦の開催や、シーズン後半の観客動員の有無についてはまだ未定なところがあるものの、2020年のスーパーGTの方向性がある程度決定したといっても良いだろう。 全8戦でのイベント開催はキープしつつも、開催するサーキットを絞ることでウ

          スーパーGT 2020年シリーズ開催によせて

          モータースポーツとシムレースの危うい関係

          https://www.as-web.jp/overseas/587846 フォーミュラEが主催したバーチャルレース(シムレース)において、アウディのダニエル・アプトが替え玉を使ったことが発覚。 アプトは失格と罰金1万ユーロを課せられた。 アプトは自身の声明でアウディからの解雇を言い渡されたことを示唆する発言もしており、この替え玉事件はなかなかの大事に発展している。 アウディ側の言い分もわからなくはない。 メーカーのワークスドライバーとして最優先で求められるのは「清廉・潔白

          モータースポーツとシムレースの危うい関係

          ランニングというアート

          風は冷たいが、陽も長くなりだんだんと春めいてきた。 巷は中国が発祥の新型ウイルスで右往左往しているが、まあ騒ぎたい奴はどんだときでも騒ぐ。 大事なのは、淡々と日常を過ごすことだ。 それが美しい生活であればなおよろしい。自分もそうありたいものだ。 というわけで、自分なりの美しい生活をまもるためにランニングは継続している。 道内の大会は軒並み中止となっているが、別に大会のために走っているわけじゃない。 大会は楽しいが、それはあくまでもマイルストーン的なものだ。 そこを勘違い

          ランニングというアート