2019年 F1メキシコGPレビュー

フロントローを押さえたのに、勝てない。
メキシコでのGPは、フェラーリの苦しむさまが見られた。
そしてそれは何度目になるのだろう。苦しみ、のたうち回すプランシングホ―スの醜態はまるでデジャブのようだ。
結局のところ、それがフェラーリなのだろう。
こんな美味しい展開になっても、チェッカーのタイミングには一番良いところにいれない。
そんな『ダメ馬』っぷりが、彼らの持つグランプリの支配者としての一面と好対照をなしており、それが愛される。
強い時は無慈悲なまでに強いが、歯車が狂うとなかなか修正がきかない。
そういう側面があるから、フェラーリはグランプリよりも尊い存在になれるのかもしれない。

対してメルセデスは対照的だ。
社是としてそこまでレースに固執しているわけでもあるまい。ただあるのはプライドのみ。
現在F1にワークス体制で参戦している理由は、自動車メーカー開祖として消えゆく内燃機関を使用する最後のF1でタイトルをとることによって歴史に名を遺すといったものだろう。
確実に訪れるポスト内燃機関を見据えて、彼らがここ20年得意としてきた『のれん』による商売のより一層の箔付けのためのレース参戦だ。
ただ、取締役会の方針はそうかもしれないが、現場はガチだ。
マシンとパワーユニットの設計、誇りとオイルまみれになるメカニック、膨大な物量を正しく次のグランプリに送るロジテクス担当、そしてドライバーと首脳陣たち。
彼らはガチだ。親会社がどれだけクールに構えていても、彼らは生粋のレース屋だ。そこを勘違いしてはいけない。

メキシコのグランプリ。
彼らは圧倒的に不利だった。
高地ゆえのダウンフォース不足、パワーユニットの出力もフェラーリに負けている。
フリー走行、予選とメルセデスは蚊帳の外におかれる。フェラーリとレッドブルの一騎打ちだ。
ハミルトンの戴冠は、いずれ訪れる。
変な話、ハミルトンが普通に出走さえしていればある程度のポイントは加算されていくだろう。
王者にはなれる。それがどのタイミングになるか、その程度の話なのだ。
だからメルセデスは無理をする必要は無い。メキシコのような独特のシチュエーションで頑張る必要もない。

だがひとたびシグナルが消えると、彼らはその『レース屋』としての本能を全開にして、最短距離でチェッカードフラッグを受けるべく動き出す。
予選下位に沈んだハミルトンは大胆なオーバーカットを実施。
ハードタイヤで40周以上を走るという、のるかそるかの大博打を売ってくる。
ポールからスタートしたルクレールは安全策をとった2ストップ。常識的な判断だ。
前述のとおり、ハミルトンは普通に走ればある程度のポイントを獲得することは可能だ。
のるかそるかの大博打を打つ必要性は全くない。

こういう状況で、メルセデスのピットが、そしてハミルトン自身が、蛮勇とも言って良いほどの勇気を振り絞る。
端的にいって、それがメルセデスがここ数年間F1グランプリに無敵の帝国を築き上げることができた主たる要因だろう。
良きクルマ、良きドライバー、豊潤な資金、そういったものも勿論大切だが、必要とあらば最短距離を突っ走るために勇気を振り絞り、リスクを厭わない戦い方ができることが彼らを特別な地位に押し上げたのだろう。

レースの結果は今年何度も見た風景の再現となった。
フェラーリは自滅し、レッドブルもパッとしなかった。メルセデスの銀の矢だけが輝いていた。
この結果を見て、グランプリへの興味がそがれてしまってもそれはしょうがない。
表面的にはこのレースは、2010年代後半の典型的なレースだったのだから。
ただ、その裏でメルセデス陣営がレース好きなレース屋としてのプライドをかけた戦い方をしていたと記憶しておくのは、レーシングフリークとしての最低限の礼儀かもしれない。
今後F1の心臓が内燃機関から別のなにかにとって変わられようと、その心意気だけは不変のものに違いないからだ。
そしておそらくそれは、敗れ去ったフェラーリとレッドブルが現状、少しだけ足りていないものなのだ。

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