モータースポーツコラム『レッドブルが探しているもの』
レッドブルがガスリーの更迭を明らかにした。
後任は今年トロロッソからF1デビューしたアルボン。
ベルギーGPから、アルボンがレッドブルに乗りガスリーがトロロッソに復帰する形となる。
レッドブルの見切りの早さは、近所のイトーヨーカ堂の総菜コーナーも見習って欲しい。
閉店50分前でも定価なんだよな、あそこ。アジフライ、定価で買うの嫌だよう。
昨年はあっさりとハートレーをぶった切り、今年はスーパーフォーミュラでティクトムを僅か3戦で見切りをつける。
例を挙げるといくらでも出てくるが、レッドブルの見切りの早さが尋常じゃない。
これは別に国内メーカー(ホンダ、トヨタ)の育成スタイルと比較して言っているのでは無い。
(国内メーカーのそれは、近所のイトーヨーカ堂バリに手厚い。早くアジフライに割引シールを貼れ!!)
他F1チームであるフェラーリやメルセデスのアカデミーと比較したって、そのサイクルは早いだろう。
これがカートレベルで選別をかけているのなら理解はできる。
カートレベルで才能を選別するのは方向性としては間違ってない。
カートで遅ければその上のカテゴリで大化けする可能性はかなり低い。
(もっとも、カートで遅くて上のカテゴリまで生き延びるケースは皆無なので、そんな証明すら出来ないのだが)
そのレベルでバシバシ切っているのなら、『レッドブルさんは厳しいでおますなあ』と嘘くさい京都弁で呟けばいいのだが、
切っている相手のレベルが違う。
ハートレーはポルシェのルマンプロジェクトでしっかり結果を残しているし、ティクトムだってマカオF3を2回も制しているドライバーだ。
そもそもスーパーライセンス規定が厳しくなり、F1に乗る『免許』をもっているドライバーが少なくなっている中で、ライセンス保持者ならびに有力な候補者を
バシバシ切っていく姿勢は、ミニマリストブロガーに通ずる恐ろしさがある。そのうち、親も捨てるんじゃないのってくらいの思い切りの良さだ。
しかも客観的に見ていると、ドライバーの資質だけとも言い切れない部分が多々ある。
ハートレーは2018年は本当に運がなかった。ティクトムにしたってスーパーフォーミュラ特有のハードに慣れるには悪天候等もあって十分な時間が確保されていたとは到底言い難い。
ガスリーだって確かに僚友のヴェースタッペンと比較すると強さと速さで劣っている点があったが、それでもドライバー単体のスペックで言うと、それこそ『ベスト・オブ・ザ・レスト』ではある。
メルセデスのフィンランド人ドライバー(名前を出さない優しさ!)よりは全然良いと思う。それに最近のブリテンでは復調傾向も見せていたし。。
レッドブルとて、持ち駒はそれほど多くない。
そえゆえデビュー1年目のアルボンの抜擢だし、そもそも現在のトロロッソのもう一人は一度見切ったドライバーだ。
それにしてもよく戻ってきたな、クビアト。。
そんな混乱を巻き起こしてまで、レッドブルはどうしてドライバー選考を厳しくするのか。
簡単に言うとレッドブルは天才が欲しいのだろう。それもたくさん。
F1のシートを得るだけで(なんせ定数は20人ちょいだ)十分に天才だと思うのだが、レッドブルが考えているのは
ニキ・ラウダ、アイルトン・セナ、ミハエル・シューマッハ、クラスのとんでもないレベルの天才だ。
(ハミルトンもいよいよそこの領域に迫ってきた感があるが・・)
ここらへんの領域に属するドライバーの特徴としては、速さや強さは勿論のこと、生まれ持った星の巡りの良さが挙げられる。
なんといっても運が良いのだ。
速さや強さに加えて、天も味方するのがグレートドライバーの証なのかもしれない。
レッドブルがドライバーを取っ替え引っ替えするのは、ひょっとすると速さや強さといった計測しやすいファクターだけではなく、そういった運の強さ、レーシングの神様に愛されているか、そいった資質をあるドライバーを探し続けているのかもしれない。
そう考えると、このチームに例外的に寵愛されていた(いる)2人のドライバーの持っている資質が浮かび上がってくる。
ヴェッテルとヴェースタッペン。
たしかに、彼らにはレーシングの神様のご加護がある。
だがレッドブルは忘れない方が良い。
彼らがどんな育成方法を敷いて、ベツレヘムの星の元に産まれたようなドライバーを探そうとしても、あれだけ見切りが早ければいずれ持ち駒はゼロになる。
ドライバーは少なくともアジフライよりは今のところ貴重な存在なのだ。
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