2019年 F1 日本GPレビュー

もりだくさんだった日本GPが終わって1週間が経過した。
そしてそれは、台風といっしょにどこかに消え去ってしまった。
2019年の日本GPはどういうGPだったのだろう。

羅列すると、本当に色々あった。
スーパーフォーミュラチャンピオンの山本がFP1でF1初走行。
台風の影響で土曜日セッションが中止。
日曜午前の予選ではフェラーリがフロントロー独占。鈴鹿では2006年以来だという。
決勝では鈴鹿を埋めたファンを絶望の淵に叩き落としたヴェースタッペンの接触。
奇妙なスチュワードの判定。
そして決勝の結果をもってしてメルセデスの6年連続のコンストラクターズタイトルが決まった。

こうやって書き出してみると、歴史に残るーとは大げさだが、それなりに2019年のF1グランプリの一戦としてエポックメーキングなイベントだったと言えるのではないか。
だがグランプリが終わって1週間、正直なところこのレースについて何を軸に書いて良いのか悩んでいる。
例えば、一つ取り出してみよう。
スーパーフォーミュラ王者である山本のF1初ドライブ。
現在、「日本一」速い男が、キャリアの大半をともにしたホンダのF1マシンに乗る。
なかなか感慨深いシーンだ。昨年の彼の活躍ぶりを見ていると、ようやくここまで来たかと思う。そういうシーンだ。
走行自体も悪くない。絶対にやってはいけないミスーすなわちクラッシュすることーは避けたし、タイムもしっかり出した。
F1初走行にあたって彼らしい、丁寧なアプローチをしてきたことが見て取れる。そんなドライブだった。
レッドブル側のコメントがなんとも煮え切らないものだったことが、逆説的に彼の実力の高さを浮かび上がらせている。
レッドブル側としては、あくまでも日本GPにおけるイベント(お遊び)程度と考えていたが、その走りが思いのほか良く、彼らの(失敗続きの)育成プログラムの運営に異分子が紛れ込む可能性がでてきたことが、あのコメントに繋がっているのだろう。
これ以上の領域はレッドブル側とホンダ側の「政治」の話になってくるのだろうが、今回の山本の走りが「政治」を動かすことになったことは間違いない。
2020年のレギュラードライバーはともかく、テスト要員としての起用は十分にありえる話だ。
そして、この山本の仕事っぷりはオリエンタル・フォーミュラであるスーパーフォーミュラのレベルの高さを改めてレッドブル側に示したことも大きい。
山本は自身だけでな無く、彼に続くホンダ子飼いの「ボーイズ」達の進路すら切り開いたのである。

と、山本のドライブだけでここまで語ることは可能だ。
だが、アタマを少し空っぽにしてイメージをしてみよう。
部隊はフランス・ポールリカール。グランプリ初日のFP1。黄色のルノーに乗るのは、ルノー子飼いのフランス人。
フォーミュラルノー3.5の前年度チャンピオンだ。今日は王座獲得のご褒美にルノーF1をドライブだ。
レギュラードライバーより落ちるもののタイムをキッチリ刻む。テクニカルフィードバックも適切で担当エンジニアとの意思疎通も十分。
そんなシーンをアタマに浮かべてみよう。

さて、このフォーミュラルノー3.5のチャンピオンのニュースにどんな感想をもっただろうか。
フォーミュラルノー3.5なんてもうない?OK、OK、その通りだ。だが問題点はそこじゃあない。
そう、この程度の話だ。こんな話はグランプリにいくらでも転がっている。そういうレベルの話だ。
だからフランス人はまったく正反対で今回の山本のドライブを捉えているに違いない。
騒ぐほどの話じゃないってね。

今回の鈴鹿を彩った各種のエピソードは、大なり小なりこの程度の強度しか持たないレベルのお話ばかりだ。
いっけん極彩色のエピソードは目を細めて見てみると、その色合いはくすんでいる。
そしてその中にメルセデスのタイトル獲得という「本物のお話」が埋もれてしまった。
鈴鹿でヴェースタッペンがルクレールと接触したお話のほうが、この国ではニュースバリューがある。
メルセデスがF1の歴史に残る驚異的な勝ち方をしている中で、その成功の要因を読み解くことよりもルクレールをヒステリックに批判する姿は、結局のところ現在のこの国でF1という存在は歪んだナショナリズムの発露の対象にしかなっていないということを改めて認識させてくれた。
それは先の山本のF1初ドライブで騒ぐことと、まったく同じメカニズムである。
結局のところ、今回の日本GPがうすぼんやりした印象になったのは、我々がグランプリを見る目がどこか曇っているから、そのことを証明するものだったのである。

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