2020年 F1 70周年記念GP「奇妙な誕生祭」

奇妙なグランプリだった。新型コロナウイルスの影響と言ってしまえばそれまでだが、それにしてもこの奇妙な感覚はいったいなんのか。
『70周年記念グランプリ』
なるほどグランプリ名からして奇妙だ。
国名(あるいは地域名)を背負わない初めてのグランプリ。背負うものはF1そのものの歴史だ。
だがそれにしたって不思議な話だ。
F1が70歳を迎えるのは70年前に決まっていた話だ。それが暴論だとしても69歳の時には70歳を迎えることは確定していただろう。
F1は人間がやるスポーツだが、人間ではない。人間なら69歳の誕生日の翌日に突然死することもあろうが、F1というシステムは少なくも1年くらいは余命が見込める。
バーニーが2001年にFIAと結んだ契約は100年という単位だった。それくらいF1には未来がある。
だが、このグランプリの開催が決まったのは新型コロナウイルスの世界的流行に伴ったグランプリカレンダーの変更によってである。
少なくとも今年の3月までは、誰もF1の70周年を記念してグランプリを行おうなどと考えておらず、シルバーストンで2戦連続開催になるにつけて無理矢理それらしい口実をとってつけたものと言い切ってもさして問題はないだろう。

そう、F1にとってアニバーサリーとはそんなものなのだ。
今から20年前、ワークス(自動車メーカー)参戦全盛期にF1は50周年を迎えた。2000年のことだ。
だが、グランプリピープルのどこからも50周年を祝おうという声は聞こえてこなかった。
21年ぶりの戴冠をめざすフェラーリとマクラーレンの、シューマッハとハッキネンの魂がぶつかるような戦いに夢中になっていた。
F1グランプリの年齢なんて興味の外だった。おそらくF1の年齢よりプロストとプジョーの大ゲンカの方がニュースバリューがあった。
それは多分、時計の針をすこし戻した1990年、F1が40歳の誕生日を迎えた時もそうだっただろう。
セナとプロストの戦いが主役だった。この時だって40歳の誕生日に気をはらうものはいなかった。オニクスの怪しげなスポンサー、マネートロンのほうがまだ耳目を集めるに値する話題だったわけだ。
世界最速のモータースポーツはいつだってそうなのだ。
目の前の1レース、1レースが主役だ。歳の話なんて必要ない。
70年やってきたから今の地位がある。でも誰も3年後のことを考えてレースなんてしてない。そういうスピリットで前に前に進んできたからこそ、F1は特別だったんだ。

こんな奇妙なグランプリは無い。
70年前にジョージ6世とエリザベス皇后ご臨席のもとジョゼッペファリーナがトップチェッカーをきった、あのグランプリから70年。
今まで誰も意識していこなかったF1の年齢。
それを盛大に祝うことに対して、どこか白けた雰囲気だったのは無観客だけのせいでは無いだろう。
あろうことか、メルセデスは4月に亡くなったスターリングモスへの追悼もいっしょにやってしまった。
もはや誰のためのグランプリか全くわからない。

もちろん、これは現役で『走っている』ドライバーとチームのためのグランプリだ。
主役はあくまでも彼らだ。スターリングモスもF1の歴史も関係ない。
だが、そういう意味でもこのグランプリは不完全燃焼で敬意に欠けたものだったと言える。

タイアサプライヤーであるピレリが持ち込んだセットは前週のイギリスGPから一段柔らかめのセット。
前戦終盤にドラマを生んだタイアセットを更に柔らかくすることで、更にドラマを引き出そうとする手だ。
結論からいうとヴェースタッペンはこのタイアセットを存分にいかして優勝。
今シーズンはじめてメルセデス以外の優勝チームがでたことで、この狙いは成功したと言える。
日本人にとってもホンダパワーユニットの勝利ということでお盆休みの期間に届いた嬉しいニュースとなった。
そういう表面的な「演出」は大成功だと言って良いだろう。
だが、結局のところ本質の問題は何も解決していない。
すなわち、メルセデスの優位性はなんら変わらず。そしてレッドブルホンダが彼らに挑戦する権利はまだまだ持っていないということだ。
「演出」を狙ったタイアがなければドラマが起こらないフォーミュラワンというカテゴリ。
70年間でF1というスポーツも世界も大きく変化した。それは事実だ。盛大にガソリンを燃やして戦うスポーツに風当たりが強くなる一方だ。
だがそれにこのスポーツの本質が曇るようなことがあってはならない。
速いものが勝つ。速いものが勝者。これが70年にわたってF1の根底に流れていた哲学である。
70歳を祝うこのグランプリで、F1はその歴史に敬意を持ったレースをできたのだろうか。
どうもそうは思えない。
レースの本質がブレたまま、F1は71歳、72歳と歳を重ねていくのだろうか。
その先にあるものは。
どうしてもこのままでは10年後の80歳を祝うイベントは無いような気がする。

願わくば、2030年のグランプリはF1の年齢を気にせずに、目の前の1戦1戦に一喜一憂する、シンプルなレースを行なっていて欲しい。
そういうレースが一番健全で高潔な「フォーミュラワン」、すなわち「最高規定」の名を冠するにふさわしいものであるはずだ。

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