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Photo by
inagakijunya
山田裕貴くん主演「ここは今から倫理です。」
裕貴くんのこのドラマ、とても楽しみにしていた。
次男は漫画を持っていて気に入ったら貸してあげるよといってくれるけど私は山田裕貴くんのドラマがみたいんだーとこころの中で思っている。
さて1話の中でいろいろと考えさせられることがあったのだけど最後の高柳(裕貴くん演じる主役の倫理教師)が言ったことば
『善なるものはわれこれを善とし、不善なるものもわれまたこれを善とせん』
老子
世の中はそういうことであふれている。自分の主張が正しいとして他をしりぞける。そういうことをして本当にそれが正しいと思っていること自体が愚かしいのに。
自分を善だと思っている側から見て他を不善だと言ったとて、不善だと言われた側から見てみればそれはちっとも不善ではなく正しいと思ってやっている。
そしてお互い自分が善だと言いあうから上手くいかない。
善悪なんて片側からみて勝手に判断していることなのに。
完全な悪や完全な善など実はほんの少ししかないのではないかと思う。
世の中の大半はどちらかから見てそうだと判断しているだけだ。
人間は浅く狭い考えしか出来ない。だからこそもっと周囲の言葉に振り回されることなく自分の頭で考えないとならない。
感情に流されるのでなく実際の状況からいろいろな角度から、いろいろな人の立場に立って相手の気持ちになって考える想像力がないとならない。
今回note内の私設賞に参加して思ったことがある。
私も二度目の参加だった。一度目の参加の後、またお誘いを頂いたから過去の読まれていない作品を出すことにした。
なぜかって?それは今まで私の元を訪れたことのない誰かが読んでくれると思ったからだ。参加する人はみんなそんな気持ちがあるのではないだろうか?
だから評価欄に貰ったコメントはそれでいいと私は思った。読む側が時間を割き作品に向き合ってくれたんだから。ただ私の書き方が説明不足で読み手に誤解を与える文章なのだと気がつかされた。これは情けないことだと感じたけれどそれでどうしようとは思わなかった。だって自分よがりな文章なのだということが分かっただけでも良かったからだ。
私にとっては大切な思い出なのでもう一度練り直そうと今は思っている。
多分沢山の人が出された私設賞だから色々な感情を持った人たちがいると思う。それは老子のことばと同じなのだから仕方がない。
誰かの責任とか誰かが悪いとかそんなことを決める必要があるだろうか?
そんなことをすればまた他にねじれが生じてしまうかもしれない。
始めたことは一部の問題で終わりにするには周囲を巻き込んで大きな流れが出来ているのだからやめるべきではないと思っている。そんなことしたらそれこそ中途半端でここまで支えてきた人たちの気持ちはどうなるのだろうか?続けて結果をだすこと。批判があってもやり続けて実績をだすことが何よりも支えている周囲の人たちに対しての誠意ではないだろうか。
私はそう思っている。(ちょっとドラマと関係ない話を書いてしまった)
ドラマは毎回いろいろな名言が飛び出すことになっているようだ。
山田裕貴は今回は一切叫ばないだろう。抑えた演技で高柳を熱演している。カメレオン俳優と言われるゆえんが分かる。
とてもいいドラマなのでひとりでも多くの人に見てほしいと思っている。
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