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マンガが悪書と呼ばれた時代。現代に受け継がれてしまったその風潮

今晩は。
鶴寺と申します。
本日は何故マンガは見下されがちなのか、個人的な考察を交えて綴りたいと思います。


マンガが悪書と呼ばれた時代

漫画が見下される理由を語っていくと戦時中まで遡ります。
戦時中には漫画(その他の本)が出版出来ないという状況がありました。
また戦時中に漫画を描くなど言語道断、非国民だと言われていたそうです。
その後戦争が終わると手塚治虫先生の登場により、マンガ文化が成長していくわけですが、マンガは悪書と呼ばれ、マンガの読者である子ども達の親からのマンガの評価は最悪。
当時の親達からの評価を手塚先生の「がちゃぼい一代記」から抜粋させていただきます。

「こんなものをかいとるやつはこどもの敵だ いや 文明の敵!」
「人類の敵だ!!」
「子供にとって猛毒だ!!」

などと散々な言われようです。

そして1950年代に入ると悪書追放運動(マンガバッシング事件)が社会問題にまで発展しました。
そしてこの悪書追放運動の矢先に立たされていたのが手塚治虫先生などの当時の人気マンガ家です。
この運動は更に過激になっていき、学校の校庭でマンガが燃やされるという焚書が行われていきます。
また、1960年代にはドラム缶を白く塗り、有害図書を入れるためのポスト、通称白ポストが登場。

悪書追放と書かれた白ポスト

勿論マンガは有害図書とされ、白ポストに投函されていきました。
確かに当時の赤本などには低俗、俗悪な物もあったそうですが、マンガ全体を悪くいうのはまた違う話であると思います。
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少し話は変わりますが、1960年代中期にはマンガ界における革命が起きました。
それは劇画の登場であります。
それまでの子ども向けのマンガから青年向け、大人向けのマンガが登場しました。
そしてマンガは広い年代に親しまれるようになり、マンガを悪書と呼ぶ人達は少なくなりました。
現代では、マンガは日本を代表する文化になり得ました。


マンガが見下される理由

先程の「マンガが悪書と呼ばれた時代」にて「マンガは日本を代表する文化になり得た。」と書きましたが、まだ、日本人が日本代表する文化としてマンガを認知出来ていないと思います。
つまりまだ、日本ではマンガを見下す風潮が残っています。
それは、マンガが悪書と呼ばれ、マンガが禁止された時代の子ども達が親となり、その風潮が受け継がれてきてしまったのではないでしょうか。
つまり、マンガが見下される理由は、マンガを駄目な物だと教え込まれた子ども達が、その風潮を受け継いでしまったのだと思います。
また、マンガは子ども向けのものであり、あくまでも娯楽であるという考え方からも影響がきていると思います。


マンガ文化の発展

これまでに書いた通りマンガを見下す風潮はまだ残っています。
ただ、私が思うに、マンガは素晴らしい日本の文化であります。
それを裏付けるようにように、教育の場においてもマンガは使われています。
例えば、道徳の教科書には「ブラック・ジャック」から患者を活かそうとするBJと安楽死を実行しようとするキリコの対立を描いた傑作「ふたりの黒い医者」が載っていますし、美術の教科書にもマンガの表現技法が紹介されています。
(国語の教科書や英語の教科書等にも載ってます)


これは、一度悪書と呼ばれたマンガが、マンガ文化が復活を遂げ、市民権を得たという事だと思います。


これからのマンガ

今日ではマンガを簡単に読めるようになり、表現の仕方も多種多様になりました。
また、これからもマンガには様々な革命が起こると思います。
まだマンガを見下す風潮は残っていますが、日本の文化の一つであるマンガはまだまだ成長していくと思います。


最後に

現在私は学生であり、マンガを悪書と呼ばれた時代を生きたわけでもありませんし、マンガを悪書と呼んでいる人も見たことがありません。
これはつまりマンガ文化が市民権を得てきたという証であります。
ただ、マンガを見下す風潮を感じる所もあります。
マンガを見下すのではなく、認めるという世の中を目指していきたいわけです。


参考文献

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