北朝鮮を見物した話 〜中国・丹東〜
北朝鮮は、不思議な国である。
日本との国交はなく、なんなら幾多の国際問題で常日頃悩みの種になっているのにもかかわらず、その文化や雰囲気を愛する人が多いのだ。純然たる社会主義国家が絶滅寸前の情勢にあるこの21世紀、絶海の離島のようにその政治体制を維持しているのは、もはや奇跡に近い。おまけにその文化も20世紀の延長がごとくまさにガラパゴスな発展を遂げており、懐古趣味者としてなかなか惹きつけられるところがある。どういうわけかインターネット経由で北朝鮮の空耳動画や朝鮮中央テレビのアナウンサーの独特な声、そして偉大なる (?) NK-POPの響きを多く聴いていた私が、興味を持つことは必然だったといえよう。
本来ならば現地に赴いてそれを我が目で確かめたかったのだが、残念なことに某災厄以降北朝鮮は外国人観光客を受け入れていない。そこで今回の旅では中国東北部・丹東市に向かい、対岸の北朝鮮(新義州市)を見物することにした。
(情報は2024年9月現在。筆者はここに書かれている情報に対し一切責任を負わない)
1. 丹東へ
2024年9月10日(火)
AM 5:50 大連駅
連鎖街近くの宿から15分。入口の荷物検査を突破し上野駅を模した駅舎の中に入ると、そこは朝早いにもかかわらず乗客でにぎわっていた。私が乗る列車の改札はもう始まっていて、ホームの入口にはいつものように中国人たちが我先に乗ろうと人ごみを形づくっていた。やはり列に並ぶなんていう概念は、この国にはほとんど無用のようである。
D7741列車、瀋陽行き。大連から丹東に行く列車は1~2時間に1本あり、ほとんどがこのように遼東半島の海岸沿いを大きく迂回しながら最終的に瀋陽を目指す列車だ。このあたりの鉄道は高速化が済んでいるようで、緑皮車ではなく和諧号が充当されていた。両都市の間は、2時間と40分ほどである。
朝早く出発したので、乗車中はすっかり爆睡してしまった。気づいた時にはもう丹東到着直前で、周りの乗客が降り支度をほとんど済ませていた。やはり沿線随一の大都会だけあって降車客は多く、車内の半分以上がここで降りたようだ。その中には北朝鮮ツーリズムが進んでいるだけあって(自分を含めた)外国人乗客の姿も目立つ。
駅舎を出て早々目につくのが、この巨大な毛沢東像である。最近建設されたのだろうか、中央アジアのレーニン像ほど黒ずんでいない。ただそれ以外に何があるかといえば何もなく、他にいるのはたいてい北朝鮮観光の客引きだけである。駅から観光エリアまでは10-15分ほどで、そこまでは土産物店や朝鮮雑貨店の間を抜けながら向かう。
2. 見て楽しむ北朝鮮
「鴨緑江断橋」
丹東における、最大の観光名所(AAAA旅游景区)。鴨緑江上に架けられたかつての鉄道橋で、入場料を取る割に橋上には何もないが、北朝鮮の都市(新義州)の風景をより間近に拝むことができる。入場料は15元。韓国のDMZよりも北朝鮮の実態を身近に感じることができるであろう、数少ないスポットだ。北朝鮮という存在は中国人にも物珍しいのか、常に観光客でにぎわっている。
一方で朝鮮戦争に対する中国共産党のプロパガンダとしての側面も持ち、橋上では常になんらかの紅歌が流れている(訪れた時はおそらく『没有共产党就没有新中国』だった)。国境を接する相手は一応同盟国のはずなのだが、そこまで自国のアピールをする必要はあるのだろうか。
この橋は、日本により建設されたことでも知られている。ポーツマス条約により東清鉄道南満州支線(→1909 南満州鉄道)の経営権を得た大日本帝国は、すでに鉄道敷設権を得ていた朝鮮総督府鉄道(鮮鉄)との接続を急いだ。鴨緑江橋梁 (→鴨緑江断橋)はその一環として1911年に完成し、これにより釜山から満州まで鉄路が直結されることとなった。看板列車として釜山からの国際列車(のちの「ひかり」「のぞみ」……)が走りはじめ、大陸進出を強める足掛かりとなった。
満州事変を経て満州国が建国されると、このルートは日本からの「欧亜連絡運輸」を構成する路線としてさらに重要視されるようになった。内地から関釜航路・鮮鉄・南満州鉄道・シベリア鉄道経由で欧州への乗車券も販売され、鉄道輸送は栄華を極めた。そして1943年には輸送力増強のために複線の鴨緑江第二橋梁が上流側に新しく建設され、日本と満州、ひいてはアジアとヨーロッパをつなぐ大幹線として将来を約束された……はずだった。
1945年、敗戦。朝鮮が分割統治されるようになると、すべての鉄路は北緯38度線で分断された。残念なことにこのルートも例外ではなく、欧亜連絡の使命はここで途絶えることとなった。さらに朝鮮戦争により米軍の攻撃が市街を襲うと、鉄路もいやおうなしに巻き込まれた。鴨緑江橋梁の朝鮮側8スパンは落橋し、戦後75年が経とうとする現在も復興されていない。一方かろうじて残った第二橋梁は、後述するように現在も中朝間の貴重な陸路移動手段として供されている。
ちなみに橋の最先端まで行くと、このようにスマホの位置情報が画像のように「北朝鮮」になる場合がある。スマホの時刻表示は中国領内にもかかわらず平壌時間(日本時間と同じ)になり、地図アプリを開けば国境線を越えたとみなされる。これは「北朝鮮の地を踏んだ」と言ってもいいのだろうか……?
中朝友誼橋
先述した「鴨緑江第二橋梁」のなれの果てである。複線の鉄道橋梁は道路併用橋に姿を変え、どうやら単線 + 1車線の道路の構造になっているようだ。中国側の国境は10:00に開き、出国審査および荷物の検査を終えたトラックが順次渡河する様子がみられる。一方で北朝鮮における入国審査のキャパシティはそれほど大きくないようで、しばらくすると橋上が渋滞してくるのが面白い。
かつてはこの橋を北京⇔平壌の旅客列車が通っており、北朝鮮に入国する準備さえあれば一般人でも渡ることができた。しかし新型コロナウイルスの影響で運転が取りやめられ、今日になっても再開していない。2024年11月現在においても、北朝鮮方面の列車に関するアナウンスはないようだ。
このように旅客列車の再開見込みが一向に立たない一方で貨物列車のほうは動いているらしく、この日は13:00ごろに貨車2両を引き連れた列車が北朝鮮に渡っていくのを観測した。しかしながら同じように渡河するトラックの台数に比べて非常に貧弱な編成で、鉄道の内情が心配される。いつかわれわれがこの橋を再び渡れる日は来るのだろうか。
観光船
観光に時間が余ったところにちょうど船着き場があったので、どうせならと乗ってみることにした。30分の航海に1人60元という価格設定は、公共交通の非常に安い中国では少々高いようにも感じたが、よく考えてみると北朝鮮を間近で観察できて1200円というのはなかなか良心的である。
ちょうどいい(よくない)ことに訪問の1か月前(8月上旬)に丹東近辺では鴨緑江氾濫による水害があったため、北朝鮮側では堤防の建設工事が進んでいた。あちら側の労働者を結構な近さで観察できるいいチャンスだったので、その様子をできるだけ詳しくレポートしてみようと思う。
観光船は、ご覧のように北朝鮮にかなり近づいて(100~200mほど)航行する。一歩間違えれば拉致されないかと心配になるほどだが、船舶は中国船籍のうえ、ご丁寧に中国海警の警備までついているので安心だ。海警が船に乗り込むのはおそらく国境地帯の巡視も兼ねているようで(むしろこちらが本職だろう)、時折対岸に目を光らせるシーンがあった。そういえば鴨緑江を渡るのは脱北の王道ルートだと聞いたことがある。
船はいったん上流へと向かい、堤防の建設現場へと近づく。現場近くには桟橋および積み出し用のクレーンが整備されており、ちょうど何か作業しているのか、労働者の姿が2-3人みられた。船が通りかかること自体はそう珍しくないはずだが、あちら側のほとんどが我々の船を好奇の目で見てくる。このタイミングで「おーい、キム!」なんて呼べばば何人か手でも振ってくれるかと一瞬思ったが、それ以前に不審者扱いで拿捕されかねないので自重した。
働いている人々は驚くべきことにステレオタイプ通りの人民服を着ながら作業しており、さながら文化大革命期の中国のようだった。言い換えるならば、人民の胸ポケットに毛沢東語録が常備されてそうな感じである。さて、彼らは彼ら自身が半ば見せ物として消費されていることに気づいているのだろうか。
あちら側で工事している様子が茂みの合間から見えたので、少しカメラを向けてみた。完工した堤防のむこう側には瓦礫かバラックらしき集合が広がり、そのうえで労働者たちが何らかの集会をしているようだ。集合場所の周辺には土壁のような構造物が広がり、その上にはスローガンのような文や朝鮮労働党のシンボルらしきものが書かれた赤旗が掲げられている。堤防の上に何かオブジェか建物を作っているならまだしも、そこまでしてスローガンや旗を掲げる必要はあるのだろうか。
さて船が現場を離れようとしたとき、15人ほどの小隊が行進しながら我々の前を通りかかった。労働者にしては身なりがさわやかで、半袖の白シャツに迷彩服のズボンと軍隊らしき帽子、胸には光る勲章を着けている様子からして、朝鮮人民軍の集団とみていいだろう。階級はあまり高くなさそうだが、こんな工事現場に何を見に来たのだろうか。
そんなこんなで、このクルーズは中朝友誼橋および鴨緑江断橋の下をくぐったあとに終了した。1200円の値段にしては、ずいぶんと得られるものの多かった船旅だった。しかしもう少し高性能のカメラを持っていたならば、何倍にも楽しめたのではないかと少し後悔した。
3. 北朝鮮を「味わう」
北朝鮮レストラン ~柳京飯店~
通称「北レス」として知られる。外貨獲得を目的として、中国・ベトナムなど共産圏を中心に展開されている北朝鮮国営のレストランで、特に丹東はその数の多さで知られている。今回は繁華街の中でも最大級の「柳京酒店」で昼食をとることにした。ちなみに柳京とは平壌の旧称である。
訪れた時は昼ごはんには早めの時間帯 (11:00) だったので、店内は閑散としていた。いや、この言葉には語弊があるかもしれない ――― ただ単に人がいないというよりは、このご時世の中で廃業でもしたのかと一瞬勘違いするほど、外から見れば内装が荒れているのだ。大規模宴会に使うであろう真新しい椅子はビニール袋に入ったままで窓際に放置されているし、店内の一部はその広さを持て余して半ば倉庫のようになっていた。
本当に国の威信をかけて営業しているのか不安になる状況だが、そんなことより今回のお目当て・北朝鮮料理である。おそるおそる店内に入ると、チマチョゴリを着た20代ぐらいの女性が出迎えてくれた。なるほど前評判通りかなりの美貌で、片言の英語で頑張って接客してくれるほど、サービス精神も旺盛な方だった。どこから来たのか聞かれ「日本」と答えても、特に嫌な顔はされることなかった(韓国人は門前払いを食らうことがあるらしい)。
メニューは定食形式で、入口に書いてあるリストの中で好きな料理を選ぶ形式だ。迷わず平壌冷麺と大同江ビールを頼むと、中華料理屋よろしく回転テーブルが備え付けられている窓際のテーブル席に案内された。
さて席につくと、さっそく大同江ビールが運ばれてきた。我々外国人の通常飲める品種はいわゆる「大同江ビール②」だが、今回もそれが提供された。それ以外にも「①」や黒ビールなどの種類があるらしいが、今のところ中国国内における取扱店は確認できていない。
キンキンに冷えた500mlの中瓶にはたしかに "MADE IN DPRK (= Democratic People's Republic of Korea)" の文字があり、栓を抜けば芳醇な麦芽のにおいが広がる。いざ飲んでみると口当たりは柔らかく、後味もすっきりとした至高の味を楽しむことができた。訪問後に飲んでみた(お世辞にもおいしいとは言えない)韓国ビールの味を考えてみると、確かに「朝鮮半島で一番」と評されるだけある。ビールが苦手な人にも飲みやすい味ではないだろうか。
さらにメインディッシュ・平壌冷麺が出てくれば、このビールの風味はその黒みがかったあっさり麺のうまみとトッピングのピリ辛風味でさらに引き立つ。ぜひお試しあれ。
今回のお代は65元(ビール30元 + 冷麺35元)。ビールが想像以上に高価だったが、サービスの充実度を考えると非常に安い。部屋からは中朝友誼橋を望むことができて、雰囲気もばっちりだ。「北レス」訪問初心者としてはディナーに再訪して、朝鮮舞踊のショーを見てみたいものである。
読者各位の訪問に際しては、決済方法にだけ注意してほしい。どうやら経済制裁のせいで海外発行のカードはWeChatや支付宝を経由してでも使えないらしく、筆者の三井住友銀聯カードも支払い拒否の憂き目を見た。お代がかなり安かったため現金払いで切り抜けたが、グループの場合など多額の決済をする際は特に気を付けたい。
大同江ビール・朝鮮たばこ
先述した大同江ビール、および北朝鮮のたばこは大規模に輸入されているらしく、お土産品として街中の商店でも売られている。ビールの相場は通常15元で、飲食店で提供されるものよりずっと安い。缶ビールタイプもあるようだが、目が節穴で見つけることができなかった。
タバコは種類にもよるが概ね10元~25元ほどで、大同江②しかないビールに対し種類は結構豊富である。街中で露店をみかけることもよくあるがだいたい価格が高く、店で買った方が手ごろな値段だ。自分はタバコを吸わないが、興味本位でポピュラーなのは何かと聞いてみると、「7.27」と答えが返ってきた。銘柄名の意味は朝鮮戦争の停戦日(北朝鮮では「祖国解放戦争勝利記念日」。なぜか「停戦」という事実から目を背けている)で、後で調べてみるとこのタバコは軍の高官によってよく吸われているものらしい。
4. 訪問にあたっての注意
ビザについて
ビザについては従前にある程度書いているので、ここであまり説明することはない。別に入国する国境がどこか判然とさえしていれば、行先がどうであれビザセンターでは一切突っ込まれないことだけお伝えしておく。
また丹東市は遼寧省に位置しているため、瀋陽桃仙国際空港 (SHE)・大連周水子国際空港 (DLC)・大連港のいずれかを使い入国し第三国へ出国すれば、中国政府による144時間以内滞在におけるトランジットビザの免除を受け訪問することができる (2024年11月現在)。
ただしこれら国境管理に関する情報は変更されることがしばしばであり、読者自身で現在の情報を確認することを推奨する。
北朝鮮関連製品の持ち帰りについて
「北朝鮮みやげ」という言葉は確かに魅力的だ。大同江ビールは非常においしいし、好きな人にはタバコやその他お土産品を持っていきたくなる気持ちもわかる。しかし、日本に持ち込もうとしたあかつきには洒落にならない事態が待ち構えているかもしれない、ということは自覚しておこう。日本に帰国する際、原則として北朝鮮で産出されたものを携帯してはいけないのである。
現在、および今後の北朝鮮観光情勢
5. 雑感
ついに例の国を拝むことができたが、鴨緑江のむこうにはやはり国境という距離の割には巨大な「壁」があった。どうせ見るからにはやはり内情を知りたいし、入国だけでもいいから願わくばやってみたい。そのあかつきにはまたこの街にお世話になるであろうことを考えながら、丹東をあとにした。
先述したように北朝鮮観光受け入れの再開、および中国のノービザ観光が復活するという昨今の噂こそあるが、今できる限りのこととして、今後は図們や集安など丹東より北にある中朝国境の都市にさらなる訪問をしてみたい。
また飽き足らず、9月に訪問した中国の記事を書いてしまった。海外への訪問欲が高まりつつあるこのごろ、次はどこに行こうか。