シルクロードの山越え 〜 イルケシュタム
「シルクロード」のルートを陸路でたどる人々は、どのようにして中国と中央アジアを行き来するのだろうか。
一番メジャーなルートはカザフスタンを経由するルートだろう。霍尔果斯(コルガス)国境は「一帯一路」構想における大動脈でもあるし、阿拉山口 (Dzungarian Gate) を経由するルートは歴史的背景もある。これらの国境は近年のインフラ投資の成果か、烏魯木斉から鉄道をはじめアクセスもよく、その通過難易度は比較的低い。
一方で、中国・カシュガルを経由しキルギスへと抜けるルートもある。現在はイルケシュタム峠・トルガルト峠の2ルートが共用されており、カザフスタン経由のルートほど整備されてはいないものの物流の要衝としていまだ現役である。
2024年9月3日 (火)、私たち (20歳大学生2人・日本国籍) はそのうちのひとつ・イルケシュタム峠をオシュからカシュガルに向けて越えた。
この旅程をとるにあたり多くの下調べをしたが、この工程には多くの苦労を費やした。日本語情報は驚くほどに乏しく (Google検索に十数件ひっかかる程度) 、特にキルギスから中国へ抜ける際の情報は、外国語のものを含め非常に少ない。
かなり長文のレポートとはなるが、これが未来の旅人の道標になれば、このうえ嬉しいことはない。
《必読・注意事項》
この情報は、2024年9月現在の情報をもって書かれています。この記事の情報、特に国境の運営に関する情報は変動しやすく、予告なしに変更される場合があります。この記事に記載されている内容について、筆者はその責任を負いません。
イルケシュタム峠周辺は、日本の外務省による海外危険情報においてレベル1 (渡航注意・中国側) やレベル2 (不要不急の渡航自粛・キルギス側) が発表されている地域にあたります。上記を踏まえ、渡航は自己責任でお願いいたします。
1. オシュ
2024年9月2日 (月)
キルギス時間 13:00 (GMT +6)
キルギス共和国第二の都市・オシュ。前夜をブハラからウズベキスタン東部の街・アンディジャンまでの夜行列車で過ごした私たちは、街から5kmほど離れた国境に降り立った。
到着してすぐ、SIMカードや両替の手筈を整える。キルギスにおけるこれらのサービスは、基本的にぼったくってこないようだ (これはアルマトイ→ビシュケクの移動でもそうである) 。筆者はこの旅の前にキルギスに1回入国しており、SIMカードの差し替えと少額(10ドル分)の両替で済んだ。
ただし国境付近の両替屋は、他国と比べたしかにあからさまなぼったくりはしないものの、レートは多少悪い。やはり多くの額を両替する際には、市中の両替屋の方に利がある (ちなみに、キルギスの市中には両替屋が結構ある) 。
その後向かったのは、国境のチェックポイントから徒歩10分ほどのバスターミナル (今後区別のため「新バスターミナル」と呼ぶ)。正直なところオシュに泊まって何があるかといえばほとんど何もないので、当日中に行けるところまで行ってしまおうという考えだった。
建物に入ろうとするとマルシュの運転手らしき老人が歩いてきたので、「Иркеш-там (イルケシュタム) 」や「Сарыташ (サリタシュ) 」「Кашгар (カシュガル) 」という文言を見せて、これらに向かうバスやマルシュがないか聞いてみる。すると彼は首を振り一言「街に行けばあるよ」とのこと (意訳) 。
おそらく事前の下調べで存在を確認していた「Старый Автовокзал (旧バスターミナル)」というところではないだろうかと見当をつけ、Yandexを調達し向かってみることにした。
新旧バスターミナルの間は4-5kmほどだが、街路が狭くなおかつ一方通行が多いため、思ったより時間がかかる。また中心街を横断する通りは常に渋滞が激しく、そのさなかに立地する旧バスターミナルへのアクセスは困難を極める。結局のところ20-30分ほどを費やしたが、無事に旧バスターミナル (らしき場所) に到着した。
.......完全に駐車場にしか見えない。
Yandexや2gisはたしかに、この周辺を旧バスターミナルだと言い張っている。しかし止まっているのはビシュケク行きのマルシュ1台 (写真右、黄色の貼り紙の車) だけで、あとは乗合タクシー。サリタシュ行きは乗合タクシーでこそあったものの、マルシュのものはなかった。
ちなみに旧バスターミナルは立体交差の高架下に位置しているが、一方で高架を走る (旧バスターミナルを通らない) マルシュも多く存在する。街の東側にもう一つバスターミナルがある (Конечная Автовокзал) ということでそこにも立ち寄ってみたが、そこは別の行き先のマルシュ (310番) が集まるターミナルだった。やはり、サリタシュ行きは旧バスターミナルからの発車らしい。
そうこうしている間に、時計は16時半を回っていた。旧バスターミナルに戻りラグマンを貪りながら途方に暮れていた私たちは、ついにオシュに投宿することを決めた。明日の朝一番にサリタシュやイルケシュタムに向かうマルシュや乗合タクシーがあれば、そこで乗ってしまおうという算段である。
ちなみにオシュ市街の代表的な観光地は、このレーニン像である。どうやら高さで言えば中央アジア最大らしく、その姿には妙な威厳がある。対岸になびく紅のキルギス国旗と合わせて撮影すれば、ソ連時代の雰囲気が蘇ってくるようだ。
2. イルケシュタムに向けて
2024年9月3日 (火)
キルギス時間 6:30
同行者ともども寝坊した。本当は5:30ごろから旧ターミナルでマルシュルートカを探す予定だったのだが、起きた時には6:30。絶望的である。
慌てて旧バスターミナルに向かったが、着いた頃にはもう7時をまわっていた。昨日と同じように、ビシュケク行きのマルシュが1台止まっている以外に特筆することはない。一つ違うことがあるとすれば、朝なので人が滅多に通らないことだろうか。
高架下で談笑していたマルシュの運転手に、サリタシュ行きの乗り場はどこか聞いてみる。どうやらターミナルから路地を一本入ったところにあるらしいが (写真) 、そこには何も止まっていなかった。
わずかな望みをかけて、新ターミナルへと赴く。ターミナル内の切符売り場で話を聞くと、サリタシュ行きはやはり旧ターミナルの方だという。時間がないためビシュケク行きがあればそちらの方に方向転換しようとしたのだが、すでに出発しているとのこと (7:00発 1000ソム) だった。万事休すか。
イルケシュタム方面のマルシュが見当たらない中、3日後にウルムチから北京までの列車 (人気列車のため、チケットを取り直すことが非常に難しい) に乗ることを考えると、撤退の2文字が頭に浮かんだ。しかし諦めるにはまだ早いと思った私たちは、旧ターミナルでもう一度トライしてみることにした。
さてYandexを駆りもう一度旧ターミナルに戻ると、前日と同じような賑わいが戻っていた。相変わらずサリタシュ方面のマルシュはいなかったが、同方面に行こうとする乗合タクシーのドライバーたちはどこか暇を持て余しているようだった。
そのうちの1人に、声をかけてみる。このときの頭の中ではネットの情報から得た相場として100ドルだとか、9000ソムという数字が浮かんでいた (当初のソースはcaravanistan) 。
しかし彼の話を聞くと、拍子抜けしてしまった。なにせサリタシュまでは2人で5000ソム (8,500円) 、イルケシュタムまでは同じく7000ソム (12,000円) だという。思わず言い値で行きそうになったのだが、そこは我慢。4000-5000ソムほどに値切ろうとしたがそこは相手が上手で、もともとそこに集まっていたドライバーの人の圧にも負けて、6500ソム (11,000円) で押し切られてしまった。
ちなみにこれがこの旅1番の後悔である。言い値の時点で相場より安い値段とは言え、ドライバーには彼らが幾分か代金を吹っかけてきている前提で応対しなければならない。かなり高い授業料だった。
それはさておきタクシーに乗り込む。当時は手持ちのソムが少なくほとんどドルしか持っていなかったため、両替屋に立ち寄りある程度ソムを確保した。ドライバーはガソリンスタンドに寄って燃料を確保し、遥かイルケシュタムに向けて出発。
30分ほどすると車はオシュの街を抜け、一面の草原を進む。片側1車線にしては妙に幅の広い道路上にはたまに遊牧民がおり、10分に1回ぐらい羊や牛に揉まれながら車は進む。
走っていると、時折道端で手を挙げている人がいる。これらの多くは地元の人で、どうやら自宅近辺から至近の大きな街 (グルチャ・サリタシュ etc...) まで、毎度車を見つけて乗せてもらっているようだ。今回乗って来た人々の目的地はグルチャが1名と、イルケシュタムが2名 (!?) だった。
草地の中をひたすら走ると、オシュから1時間半ほどでグルチャに、さらに1時間半走るとサリタシュに到着する。ドライバーも疲れたのか、ここで少しタバコ休憩をとるようだ。
サリタシュは、2つの国際ルートをつなぐ交通の要衝として栄えている。上の画像は村唯一の交差点で、これを左にまっすぐ行けばイルケシュタム、同じく右へ行けばサリモゴルやタジキスタンとの国境へと到達できる。
小休止中に、イルケシュタムへ行く老婆と話す機会があった。どうやらそこに何らかの拠点があるようで、国境の空き時間 (これは事前情報と少し違った ー「余録」参照) や周辺の情報について教えてくれた。
サリタシュを出発すると、そこから先はほとんど人の住まない土地である。ここまで草原や放牧地が広がっていた大地は荒み、なんの気配すらも感じられない。今まで近かった山々は遠くなり、その冠には万年雪が見えるようになる。
ちなみにこのあたりの標高は富士山と同じぐらいか、それよりも高い。道路における最高地点は3790mだった (私調べ) 。
そんな道を1時間ひた走ると、いきなりキルギスの国旗と緑のプレハブが見えてくる。これは国境地帯に入るための検問で、パスポートまたはIDを衛兵に提示しなければならない。
逆に言えば、この検問所はその (必要書類の確認) ためだけに存在するものである。検問を1分で通過した私たちは、その先へと進む。一応この制限エリアの中にもヌラとイルケシュタムの2つの集落があり、特にヌラは国境から数キロの地点にある比較的大きめの集落で、Google Mapによればゲストハウスも存在するという。
そんな検問所から20分ほど走ると、急にトラックの長い列が現れた。車は構わず進むが、2分ぐらいすると道自体が大きな柵に阻まれ、同乗者は車を降りていった。
そう、これがイルケシュタム国境である。
3. 国境地帯
キルギス側
0:45 PM イルケシュタム国境
多くの旅人たちがこの国境に着いてまずやることは、「待つこと」だろう。キルギス側・中国側ともに昼休憩が存在し、それはどうやら11時から14時 (キルギス時間) の長きに及んでいるようだ。
国境警備隊の兵士たちはかなりフレンドリーで、昼休みを持て余して言葉の全く通じない私たちにも話しかけてくれるほどだ。
先述したようにトラックが列をなして開門を待っているこの国境は、同時にドライバーの重要な休憩地点でもある。フェンスの直前にはレストランがあり、そこで両替をすることもできる。国境から北に少し離れたところには売店やカフェも存在し、確認はできなかったが簡易的な宿もあるそうだ。なお、なぜかトイレはどこに行っても見当たらなかった。
そんな1時間あまりの長閑な待ち時間はあっという間に終わり、規定の時間から少し遅れて門が開いた。
(ここから先は中国国境を出るまで撮影禁止)
キルギスのイミグレは、柵を入って左側 (道路の北) の谷底にある。出入国審査が一体となった構造で、英語のわかる審査官2人がどちらの審査も迅速にこなしていた。
ここで訊かれた質問は、今までどのような行程で旅行してきたかということだけ。キルギス入国に使った国境について話すとそれだけでご満悦のようで、出国審査は2分程度で終わった。
緩衝地帯
イミグレの建物を出ると、そこは国家間の緩衝地帯だ。「普通」の国境ならば100-200m、長くても1kmには満たないこのエリアだが、この国境では道のりにして2-3km、徒歩で45分もかかる。我々徒歩旅行者は重い荷物を抱えながら中国イミグレまで歩くか、短い距離にもかかわらずヒッチハイクをしなければならない。私たちはそこまで時間に追われていなかったので、迷うことなく前者を選択した。
中国までの道は、サリタシュからイルケシュタムまでのもの以上に荒漠としていた。草原はいつしか消え去り、半分砂漠と化している。道路は時折未舗装で、私たちはトラックの巻き上げる土煙にまみれながら進まなくてはならない。
中国・キルギスの(本物の)国境は、かなり高い丘の上にある。キルギス側から越える際には、結構な体力を消耗することを覚悟しておこう。
中国側
中国のイミグレは、トラックの検査エリアと出入国管理エリアの2つにに分かれている。入国する場合は先に前者を通るのだが、徒歩の場合はもちろん用がないためその建物をスルーすることになる。検査エリアは下図のように脇道に逸れる形となっているので、徒歩旅行者はひたすら直進する。
その先にはバリケードがあり、係員が1人座って待機していた。パスポートを提示し通過してよいかと聞くと、「少し待て」とのこと。指示に従い5分ほど待つと、イミグレエリアまでの徒歩旅行者向け無料乗合タクシーがやってきた。どうやらこのエリアでは、文字通り車両の検査しかやらないようだ。
車はほどなくして、入国審査場の目前に停車した。秘境には似合わない巨大な建物の中に入って入国カードを書き終えると、立ち会っていた入国審査官により早速別室送りを喰らった。これは先駆者たちのほとんどが通った道なので覚悟こそしていたが、その唐突さには少しばかり面食らった。
ここで送られた部屋は、イミグレの事務室のような空間だった。ローカウンターに案内され、所持していたバックパック・サブバッグの内部をほぼ全て開封された。書物(本や地図)はその内容の一部を記録され(写真に撮られ)、スマホの写真フォルダはカメラロールすべてを閲覧された。過去に中国入国歴がなかった私は問題なさそうだったが、過去に入国歴がある場合は注意が必要だろう。なお非表示フォルダや「既に削除された写真」フォルダは検閲されなかったため、何か怪しい画像がある場合はあらかじめそこに入れておくことをおすすめする。
このような手荷物検査を通過すると、やっと入国審査にたどりつくことができる。これ自体は入国カードに記載された内容の確認(滞在先・入国目的)のみで済み、案外簡単に入国スタンプを得ることができた。キルギスを出国してからおよそ2時間、これにてめでたく中国入国成功である。
4. カシュガルまで
時差 GMT +6(キルギス時間) → GMT +8(北京時間)
2024年9月3日 18:00(北京時間)
陸路国境にはだいたい国境を挟む貿易で栄える「国境の町」がある。しかしこの国境の特異な点はそれがないこと、そして人里からも100km以上離れた地点にあるということである。前情報ではここから140km先の集落・ウルグチャット(烏恰)まで国境警備隊の手配する乗合タクシーがあり、それにより徒歩旅行者の利便を図っているとのことだったが、イミグレを出てもそれが見当たらない。この施設の前にあるのは軽便なパーキングエリアと1軒の料理屋、そしてSIMカードを討っている売店だけである。
ちょうど国境警備隊の係員が通りかかったので乗合タクシーの有無に聞いてみると、「ないよ」との返事。まさかないわけないだろう、と何度も聞いてみるが、かたくなに「ない」との返事だった。
困るのはこちらである。すっかりネット上の情報を信じ楽勝ムードでいただけに、突然ヒッチハイクやシェアタク探しを強いられるのは予想外だった。とりあえずパーキングエリアに止まっていたトラックの運転士何人かに声をかけヒッチハイクを試みるも、中国語をほとんど話せない謎の旅行者はすっかり相手にされず、撃沈するばかりだった。
途方に暮れてパーキングエリアの出口で親指を立て続けていると、英語の話せる税関職員が走って私のもとにやってきた。ずっとヒッチハイクを試みていた私をみかねてやってきたらしく、「ここからヒッチハイクするのはかなり難しい」と前置きしつつ、ウルグチャットまでは乗合バスがあるという旨を伝えられた。この旅で、これほどにうれしいことはあっただろうか。
とりあえず彼女の言われるままイミグレの建物に戻り待合室兼税関らしきスペースに入ると、なんと徒歩で渡ってきたらしい中国人旅行者2名がいた。うち一人は英語を少し話せるので聞いてみると、どうやらこの先カシュガルまで行くらしく、同じ乗合タクシーに乗るようだ。彼らがいなければそれが出ることはなかったかもしれない。
ウルグチャットへ
ここから私たちを人里まで運んでくれる9人乗りの車は、国境の閉まる直前(19:40)ごろにやってきた。どうやら国境の受付締切ギリギリにやってきた人もついでに運ぼうとする魂胆らしく、実際に謎の老人1人が乗ってきた。一人当たりの料金は国籍関係なく150元で、WeChatやアリペイでの支払いもできるようだった。
そして20時ちょうどに、徒歩旅行者5人を乗せた車はイミグレの建物前を離れた。まずは人里を目指して、車は130km/hぐらいまで加速し先を急ぐ。あまりの疲労と眠気に、私の意識はここでダウンしてしまった。
目を覚ますと、料金所らしき謎のゲートの前で車が止まった。ここでは車の内部の検査と乗客の検問があるらしく、ドライバー以外の全員が降車し身分証(パスポート)の提示を要求された。一方で特段荷物や所持品の検査はなく、我々はすぐに解放された。どうやらこのゲートが人里と国境地帯を分かつものになっているらしく、車はほどなくしてウルグチャットのイミグレ施設にたどり着いた。国境からここまで1時間40分。正直なところ、高速道路上ではそこまで飛ばさなくても変わらなかったのではないかと思った。
いざカシュガル
ウルグチャットのイミグレはかなり壮大な建物だが、なんらかの手続きをしている気配はなく、内部に人はいなかった。前情報では出入国審査を一手に引き受けているとのことだったが、現在は何もやっていないか、あるいはトラックの検査業務が主になっているようである。旅行者5人はこのような廃墟寸前の建物の前に抛り出されたわけだが、当然そのような客をあてにするタクシーもない。私たち日本人2人は中国人3人をあてにして、どうにかカシュガルまで移動しようと決めた。
まず彼らが試してみたのは、地元のタクシーを呼んで値段交渉をすることである。ほどなくして中型タクシーが2台来てドライバーと話を進めていたが、途中で決裂したらしく話し合いが怒鳴りあいに変化していた。どうやらカシュガルまでの価格が1台120元(2,400円)というところで交渉が膠着しているようで、しばらくするとドライバーたちは業を煮やしたのかいなくなっていた。5人で割って48元(960円)は日本人にとっては安いものだが、相場は1人20元(400円)のようである。
そのようなことをしているとすっかり日は落ちて、3枚着の自分が肌寒く感じるぐらいの寒さがやってきた。誰もいないイミグレはなぜか煌々とライトアップされており、遠くに見えるウルグチャットの街も同じように光っていた。
このまま20-30分ほど待っていると、中国人のうち1人が中型タクシーを相場通りの値段で手配してくれた。イミグレのあるゾーンまで迎えには来れないらしく街の中心部まで10分ほど歩くと、お目当ての車が停まっていた。ついに宿のある町まで行けるんだと感じると、かつてないほどにほっとした記憶がある。
ところでウルグチャットからカシュガルまでは高速道路が敷設されているが、途中で何回か検問がある。高速道路上のパーキングエリアのようなスペースに入り、両側の扉を開け車内の検査を受ける方式だ。これが何回も続くため、この車ではあまり眠ることができなかった。
2時間ほどして、私たちはカシュガルの中心部で突如降ろされた。どうやらこのタクシーはイルケシュタム国境の締切ギリギリにやってきた老人によって手配されていたらしく、ここから先は自分の金で行け、ということらしい。代金は約束通り1人20元だったが、少し複雑な気持ちである。
2024年9月4日 01:30(北京時間)
中国・新疆ウイグル自治区 カシュガル着
雑感
かくして、私たちの中国 ― キルギス国境越えは無事に成功した。この日はなかなかハードな一日で、翌日は1日カシュガルで遊ぶ予定であったがほとんどを寝て過ごすほどであった。この行程は一連の旅行のハイライトになるほど思い出深いものではあるが、同時に体力をほぼすべて使い果たすほどダメージが大きいことは心に留めておきたい。
余録
データ
この章では、ネット上で集めた各種情報を整理し、列挙している。この先新しい情報があれば、都度更新していくつもりだ。
イルケシュタム峠 (Irkeshtam/Erkeshtam Pass) は、キルギスと中国の国境にまたがる標高約2800mの峠である。キリル文字での表記は2通りあり、文献によりИркеш-тамであったりЭркеш-тамだったりする。新聞記事やSNSでの情報では後者の方をよく見かけるが、現地人の発音を聞く限りは前者が優勢だった。
2002年に外国人に開放されたこの国境への到達は、乗合タクシーやヒッチハイクを使わなければ極めて難しい。峠を挟む形で隣り合う都市、オシュ (Osh / Ош)・カシュガル (Kashgar / 喀什) の双方から道のりにして200kmあまり (車で5〜6時間) 離れており、両都市間の行き来には間違いなく1日が費やされる。また国境には開門時間と昼休みが設定されており、それを逃すと国境や周辺集落での待機を余儀なくされる。
国境の空き時間は、Caravanistan上によれば以下の通り (北京時間はキルギス時間に+2時間) 。一方で、地元住民 (キルギス人のお婆さん、2章参照) による情報では08:00-17:00となっており、食い違いが生じている。
2019年の情報 (リンク) では、オシュ〜サリタシュ (Sary-Tash) 〜イルケシュタムにおいてマルシュルートカが運行されているようだった。特にオシュからサリタシュに関してはマルシュルートカが多発しているようで、別の情報を参照するに30分に1本ともあった。
サリタシュ行きマルシュの最終目的地はSary Mogolというそうで、Google Map上にはその乗り場のピンが登録されている。
オシュからの交通手段について、Caravanistan上ではカシュガルまでのバス (毎週木曜日発) とShamuratという人物による乗合タクシーの斡旋が挙げられている (これらの初出は同サイト上のForumにおける、ある旅行者による記述である)。マルシュルートカの情報は、確認できる限りではない。
Hitchwikiの情報によれば、サリタシュ〜イルケシュタムをヒッチハイクする際、心付けとして払う金額の相場は300ソム (510円) であるという。
https://hitchwiki.org/en/index.php?title=Irkeshtam_border_crossing&mobileaction=toggle_view_desktop
中国側国境〜ウルグチャット (烏恰) のタクシー代については、従前 (コロナ禍前の多くの報告) では100元だったようだが、近日は200元との報告が時折見受けられる。インフレにより値上がりしたのだろうか、それとも人がいなければ車代が値上がりするのだろうか。
ウルグチャットからカシュガルまでは、文献の多くを見る限り中心部からの乗合タクシーが主流のようだ。相場は1台100〜150元ほど。
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