等身大でない、○○ノート(「素性」編)

等身大でない、夢を叶える○○ノートです。

今回は「素性」をお伝え致します。

・・・

・・・

某国公館に勤める、日本人です!はぁ、はぁ(きんに君風


・・・

以上。
、、、ではなく、自分の素性だけでなく、このノートの「素性」、つまり執筆前提もお伝えしたく思っています。※前記は事実です、念の為。

実は二本目から「〜〜ノート」として夢について詳しく書き始めたかったのですが、執筆前提の説明が無いと書けば書くほど意味不明になってゆく(後述)恐れがあったため、ワンクッション挟みました。

その前提とは、、

夢はいっぱいある(きんに君スタイル

「等身大でない」ゆえんでもあります。

「一生モノ」の夢が9つ以上ある(事前にある程度数えています)。

例えば…

「映画館を建てる」

「土地を買う」

「SF小説を書く」

どれも簡単に叶うようなものではない。

また「映画館を建てる」と「土地を買う」の様にお互いにオーバーラップしうるものもある。

それは、このノートが「夢が叶うまでの過程の記録」とは少し違うものであるからだ。

記録ならば、「映画館」と「土地」は一緒にした方が執筆も楽、現実的に考えても備忘録に使えて便利であり、おまけに起業録として面白い読み物にもなるだろう。

また逆に考えれば、仮にこのノートが記録ならば「映画館」と「土地」を分けながらも、互いに交差させながら語ること自体が「遊んでいる」と取られる可能性もある。

飽くまでもしこのノートが記録ならば、です。

ここで「SF小説」が関係してくる。

SFという点は今一旦脇に置いておいて、これは「小説」つまり純粋な「読み物」としての「ノート」であると考えてみる。

ここが重要です。(塾講師風

(やったことneéけど)

このノートは、「ドキュメンタリー」ではなく「ファンタジー」なのです。

この前提を書いておかないと、まず読者の方々が困る。情報収集を期待される方の期待を裏切り続けることになるからだ。

又自分も仮にその辺りの認識が中途半端だと、前例(※)があるように、失敗の原因となる。

※「ゲームを英日翻訳視点で配信しよう」と目論んだが、勝算もなくその広大な作品のゲームファイルに手を出したりして記事の一本目から情報量に圧倒され(笑)、そのまま成すすべなく詰んだ。

まとめるとこのノート(notes)は、

様々な「夢」の話を、記録性を無視或いは度外視して、数多く語るノート

ということになる。

では、次回より夢の話を書き始めようと思います。

読んで頂きありがとうございました。

カメ人






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?