等身大でない、海外進出ノート ー追記①
※できた小説(予告編)はこちらです。
前段
こちらではっきり書いている通り、自分のした留学は失敗だったと思っている。
そこでは「恥ずかしい」から書かないと書いたのだが、要は「書かない方が良いこと」が殆どで、仮に一つや二つ書けることがあったとしてもそれに付随する100個や200個の事柄からは =ムダ感= が迸り出るのが目に見えているわけだ。
だからやっぱり書きません。
しかし「○○ノート」の筆者としては、少なくとも最低限の素性位は明かしたい。謎が多すぎても困るからだ。
そこで少し難しいのだが留学のアレコレの代わりに勉強について書く。
勉強は物事の成否自体にそもそも無関係であるというのが表向きの理由だが、これについては相当なページ数を割かないと説明のしようが無いと思う。
なので説明は端折ります!!!(既視感)
要は勉強の話以外、海の外にまつわる話で語るに値するものは無い。
そういうことだ。
船、船、船
船に関係のある学位は一つも取っていない。
それは事実なのだが、勉強には何故か常に船が関係していたのも又事実だ。子供の頃図書館にいたのは「船(植民地時代の帆船など)の断面図解」が見たかったからだし、本を読むこと自体が苦手な自分がその魅力に気付いたのは真夏に部屋で一人で「ロビンソン・クルーソー」を読んでいる時、蝉の声が頁に貼り付いているのを感じて以来だ。
北米で地面に足が着いたと感じたのは、例の「奴隷船の断面図」を課外活動の博物館で実際に見た時からだ。それは確かに肌の色が違う同級生が格段に増えた、別の北米の地で確実に重力として感じられた。
コスモポリタンである彼の地ではよくフェリーに乗ったが、横では機関砲を搭載した警備ボートが並走していることがあった。
学位を取る段になっても体はどこかに揺れていた。
おれが乗っているのは、車ではなくて船なのだ!
図書館へ毎日往復し、発泡スチロールに入ったコーヒー(らしきもの)を飲み干し、週末毎、小さな市場でケイジャンライスを食べたりするおれの乗るのは隣人のトラックではない、船なのだ!
波間に揺れる船、船、船!
これが勉強の話だと、誰が理解するのだろうか。
読んで頂きありがとうございました。カメ人
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