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“ えん ”が ひろがる


僕は昔から、なぜだか、同音異義語が好きだ。
一つの言葉にいろいろな意味が含まれることに魅力を感じるらしい。
理由はよくわからないけど、好きなものは好きだから、 らしい としておくことにする。

たくさん同音異義語は存在するが、その中でもサッカー選手をする上で大切にしている二つの「えん」のひろがり、について紹介したい。

もちろん、この平仮名には漢字が当てはまり、一つは「」、もう一方は「」である。


◎円をひろげる

サッカー選手には、様々な能力が求められる。
必要な能力を羅列していけばキリがないが、多くの項目があるとされる。

仮に全ての能力を数値化できたとし(定性的なものもあるのであくまで仮定)、レーダーチャートで表すならば、多角形になる。例えば、以下のようなカタチになる。

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また、サッカー選手は大きく分けて2つのタイプに分かれると思う。

①何か突出した特徴・技術がある。
②突出した特徴・技術は無いが、平均的にこなすことができる。

もちろんプロの世界には①のタイプが多いことは間違いない。また、上のカテゴリーにいけばいくほど、基本の能力値が高く(≒基本の円が大きい)、その上で突出した武器を持っている。

だが、僕の場合、どちらかというと②のタイプに近い。(正直なところ、Q.得意なプレーは何ですか?の質問が一番怖いです。)

②のタイプを上のレーダーチャートで表すならば、項目が増え、各項目の数値もほぼ横ばいだとすれば、以下のように、「円」のカタチに近づくことになる。

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サッカー選手として生き残るためには、①のタイプを目指して、突出した特徴をつくることに時間を割くことも一つの手だ。

しかし、②のタイプだと認めた上で少しずつ自分の小さな円をひろげていくアプローチも手段としては有りだと思う。どっちのタイプを目指すかも正解はないはずである。

もちろん、苦手なこともあって平均より低い部分もあるため、こんなにキレイな円にはならない。それでも、自分がサッカーと向き合う意識として、少しずつできることを増やし、自分の円を外に外にと、ひろげていく作業は忘れず継続していきたい。


◎縁がひろがる

サッカーをはじめてから、1年以上同じメンバーで闘かったことはない。学生時代は上の学年が抜け、次の年には新しく下の学年が入学してくる。プロになれば、毎年、誰かがチームを去り、また新しい選手が入ってくる。この流れは避けられようのないこと。

これだけ多くのサッカー選手がいる中で、同じチームで一緒にプレーする確率を考えると不思議な繋がりを感じざるを得ない。

サッカー界に限って言えば、続ければ続けるだけ、チームメイトが増えていくことになる。毎年、新しい出会いに応じてどんどん人間関係がひろがっていく。

ここで大事なことは、自分が意識的に繋がりをつくりにいっている というよりは、自然に巡り合わせとして、関係がひろがっていくことにある。自分が意図して作ろうとするものは「人脈」というイメージ、しかし、意図せずできた人間関係の繋がりのことを「」のイメージとして捉えている。

サッカーの世界では、生き抜いていく方法として、意図的に人脈を増やしていくことも大事だが、自然と人間関係がひろがっていく「」、こちらの繋がりも同じように大切にしたい。


以上、二つの「えん」について触れた。

振り返ってみれば、自分自身の小さかった円も新しいサッカーの概念を知ったり、苦い経験をしたりすることによって、徐々に着実とひろがりを見せてきている。

いまのチームでサッカーができているのも、何かの縁の力が働いた結果だと思う。これからも、日々の生活で今までの繋がりを大切にしながら、この縁がまたどこかへ運んでくれる日を楽しみにしながらプレーしたい。


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追記(2021.1.6)

“広く何でもやれる会社と、狭くひとつのことしかやれない会社のどちらが可能性があるだろうか”
小倉昌男「小倉昌男の経営学」より

クロネコヤマトの生みの親である小倉昌男さんの「経営学」を読んだ。先日書いた「円を広げる」ことの通ずる部分があったので追記したい。会社も個人事業主であるサッカー選手も考え方の方向性は同じではないか。自分はどんなタイプで、なにが得意で、どこが主戦場で、どこが勝負所なのか意識すべきではないか、と考えさせられる内容だった。

サッカーをサッカーから考えるのも大事だけど、他の一見違うようなものからヒントを得て考えることも同じように大切だと思う。両方のアプローチでサッカーを考えていきたい。

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小笠原 佳祐
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