2021年11月読んだ本まとめ
本を読んだら「感想を書く」と自分に課す。
考察でも概要まとめでもなく、ただ感想を書いて載っけただけでも「凄い!」と褒めてくれる友人がいる。ありがたい。自己肯定感の担保としても今年中はやり切ろう。
父(著者の森岡さん)から娘さんに向けて、就活や転職、生きていく上で大切なことがまとめられた本。就活をしたことがある人ならわかると思うが、「軸」とか正直よくわからないし、初めはどうやって業種や会社を選んでいいかわからない。夢がはっきりとしていて進むべき方向がわかっている人間はそもそもそんなことで悩んでいない。なので、僕のような道がまだわからない段階の人は読んでみると参考になる本だと思う。しばらくの間積読になっていたから、なんで読もうとして買ったのかは忘れてしまったけど、読んでみて「就活のときに読みたかった」と思ったのは間違いない。
いわゆるビジネス書と呼ばれる本は「資本主義の世界でどうしたら成功できるか」が書かれている本である。それらの多くは誰かが成功したパターンが書いてあることが多い。しかし、この本は違う。題名からもわかるように苦しかったとき、つまり失敗談を元に書かれている。成功は偶然や運の要素もあり参考になることが比較的少ない。それよりもなぜ失敗したのかを教えてくれる方が読む人にとってはタメになる。それに加えて身内に話す前提(父→娘)で書かれているため信憑性もある。娘に失敗して欲しい父親などいるはずがないからだ。組織で動くという括りで言えば、ビジネスもサッカーも構造は同じであり、この本から自分の経験とリンクする部分を照らし合わせながらまとめていきたい。
◎好きなことを見つける
就活のときに自己分析というものがある。天邪鬼だった僕は一般的な就活本に書いてあるような方法ではしたくなかった。そして非効率極まりない方法を選んだ。それは本を読んで自分に響いた箇所をメモしていき、その中から共通項を帰納的に導き出すというもの。エゲツないほど時間がかかるし、選ぶ本によっては正しく自己分析なんてできない可能性があった。それでも何とか行き着いた先が、稲盛和夫さんの本に出てきた「利他」というワード。それは今でも自分の根幹だと信じているので結果オーライなのだがお勧めはしない。
そんな周りくどいやり方ではなく森岡さんは効果的かつ効率的な方法を提示してくれている。それは「好きな行為(動詞)」をあげること。好きなコト(名詞)ではなく、好きな動詞「〜する」である。僕の場合、「書く」「考える」「議論する」といったものがパッと思いつく。それらを50〜100個書き出し、 ①Thinking ②Communication ③Leadership の3つのタイプに動詞を振り分ける。それらの動作をメインとする職業が例として挙げられていて、僕の場合は①のタイプの動詞が多かった。①Thinking のタイプは知的好奇心が刺激されることに満足感を感じ、知的労働の難易度と濃度が強い職業が合いやすいとのこと。例としては、ファイナンス・コンサル・研究職・各種の士業・アナリスト・マーケティングだそうだ。漠然と業種や企業を調べるよりは少しでも自分にあった場所を調べた方がいい。ぜひお勧めしたい。
◎苦しい経験から学んだエッセンス
タイトルからも分かるように、この本は森岡さん自身が逆境に立たされたときにどのような学びを得たかについて書かれた本だ。いくつもの金言なる言葉が載っていたが、一番響いたのは「結果を出さないと誰も守れない」だ。当たり前の言葉なのだが、どんな高尚な思想があろうと素晴らしいアイディアを持っていようとどれだけ責任感があろうと結果を出してない人間の言葉は響かない。身をもって知ったからこそこの言葉は僕に響いてくる。サッカーの世界であれば試合に出ている選手、結果を出している選手が正義。それは変わりようのない真実であり変えられない。変える必要もない。だからこそチーム内での発言力も高まるし、もし仮に間違ったことを言っていたとしても正解っぽく聞こえてしまう。言われた側がどう捉えるかは個人の自由だが、それに反論したいならば結果を出していなければならない。結果をだし対等に意見を言いあえる関係だからこそ相手にも響くし説得力も出てくる。まずは結果を出して大切にするべき自分の意見や立場を守らなければならない。また、誰かがミスを被られようとしているとする。助けることが良いかどうかは別問題として、助けたいと思って行動したときに自分が結果を残していなければ自分も論破されて撃沈してしまう。チームメイト一人助けることができない。何はともあれ自分が今置かれている場所の既存の枠組みにおけるルールを把握した上で、結果とされるものを残すことが大事だ。もし評価形態や評価されている結果に対して現状不満があるのなら行動を起こさなければならない。森岡さんもトドメを刺すかのように次のような言葉を並べている。
覚えておいてほしい。評価者の情状酌量に身を委ねる情けない自分ならば、評価は最悪で当然なのだ。ある程度の公平さを保つ組織にいるならば、「数字(=結果)」を持っていないと、どんな理由があっても評価においては無防備で弱いのは当たり前。もし結果に関係なくお気に入りを評価してくれる組織ならば話は違うだろうがそんな会社にいることの方が長いキャリアのためには大問題。それは成長できない有害な組織だから、そんな会社ならむしろ早くクビになって辞めた方がいい。
『ビジョナリー・カンパニー 時代を超える生存の原則』と『ビジョナリー・カンパニー 2 飛躍の法則』は読んだことがある。特に、後者はプロ入り後すぐ、2019シーズンのキャンプ中に読んでいたので記憶に残っている。ベテランの方たちと同じ部屋の中で読むのが気まずくてロビーで読んでいた。そのあと、同部屋の先輩が部屋で読みなよと優しく言ってくれて、さらに毎朝「昨日その本から学んだこと何?」と声をかけてくれてアウトプットを手伝ってくれた。なかでも、「ビジョナリーカンパニーは自分たちの性格・存在意義・達成すべきことをはっきりさせているので自社の厳しい基準に合わない社員や合わせようとしない社員が働ける余地は少なくなる傾向あり。」という文章は印象深く、そのように理念に熱狂できる会社があれば働いてみたいと思っていた。それは今でも変わらないが、それに見合う会社で働くには自分がふさわしいかどうかという問題があり、まずは仲間に入れてもらえるかどうかの問題もある。ただ、働けるチャンスとタイミング回ってきたときに自分がその組織に対して多くのメリットで貢献したいし、そのためにも本書を読もうと思った。周りの多くの方も手にとっていたし、実際に読んだ方がいいとも勧めてもらったので優先順位を上げて読むことにした。
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大学に入ってすぐは、部員全員で行う全体ミーティングに圧倒された。目的と目標の違いなんてパッと聞かれても答えられないし、手段の目的化とか形骸化なんて言葉が上級生の間で行き交っていて全く会話についていけなかった。そこからある程度語彙の勉強はしたので、本書の中で出てくる、ビジョン→戦略→戦術 の流れはわかるようになった。ただ、言葉を覚えただけでは全く意味がないのは当たり前で、うまくつかいこなせる、組織に浸透させられて初めて意味がある。会社を作ったこともないし、これからも作る予定はないが、もし会社を作るとしたら、やりたいことが見つかった後にはこういったところの整備を進めていかなければならないと思う。ビジョンもミッションもなくて、目的に対する戦略も戦術もない組織が生き残れるわけがない。ない、と言い切れるのはサッカーの世界であってもビジョンを達成する組織という意味では同じだからだ。クラブとして目指すべきものがなくて、監督も目指すべきものがなければどこを向いて歩いたら良いかわかるはずがない。前提としてそのようなクラブはないので、そのあとの段階としてはそのビジョンの鮮明さや、戦略・戦術の良し悪しで勝敗やクラブの行末が決まってくることになる。もちろん運もあるが、それは一時的なものであって、何も考えずに手に入れた「成功」は長続きしない。それもサッカーの世界で幾度となくみてきたつもりだ。1シーズン調子が良くてめちゃくちゃ活躍する選手は確かにいる。それで次のステップを手にする選手もいる。でも、果たしてその選手が長続きしているかには疑問符がつく。残っているいきの長い選手や監督、クラブほどきっちり明確になっていると思う。組織の理念までは触れることはできないので、だからこそ個人レベルで定義できるところはしなければならない。ビジョンではなく違う言い方をすれば「大義」になるだろう。もう少し噛み砕けば、「人生で挑戦すべき課題」となる。その個人レベルで挑戦すべき課題のベクトルと組織が目指す課題のベクトルはなるべく同じ方向がいい。大きさが違うのはまだ何とかなるが、ベクトルの向きが違うのであれば、自分のベクトルの向きを曲げるか、自分がその組織から去って同じベクトルの向きの組織を探すか、の2択しかない。一旦立ち止まってここらへんもブラッシュアップしなければならないので、しっかり練っていきたい。
ブレイディみかこさんの文章が好きだ。はじめて読んだのはこの本の第一弾である『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』だった。日本人である著者とイギリス人のもとに生まれた”ぼく”のイギリスでの生活を通して、日本人として生まれた自分自身のアイデンティティは何なのか?と考えるきっかけになった。そもそも僕はアイデンティティと呼ばれるものは1つしかない、1つに収斂されていくべきだという固定概念を持っていた。核となる大事な部分が自分の内側奥深くにあると思っていた。そんな幻想を抱いていたが、著者の息子である ”ぼく” が学校で様々な背景を持つ子供たちと触れ合う中で、出てきた言葉に納得させられた。
よく考えてみれば、誰だってアイデンティティが1つしかないってことはないはず。どれか1つを選べとか、そのうちのどれを名乗ったかでやたら揉めたりする世の中になってきたのは確かである。サッカーをプレーしている少年たちにとっても、東欧人の血を引いている子や、何代か遡ればインド系の先祖もいる子、アイルランド人の子だっているに違いない。裕福な家の子、そうでもない家の子、両親揃っている子、シングルマザーやシングルファザーの子もいる。分断とは、そのどれか1つを他者の身にまとわせ、自分の方が上にいるのだと思えるアイデンティティを選んで身にまとう時に起こるのかもしれない。
この文章に触れて、僕らは文脈によって "アイデンティティ" なるものを都合よく使い分けている、他人にまとわせてしまっているのではないか、と危機感が芽生えた。無意識に人を傷つけてしまう。それほど怖いものはない。また、使い分けていることは、複数あることを示唆している。それが題名や終盤に出てくる色の表現に繋がっているのではないかと思う。内容はもちろんのこと、センス抜群の題名や時代性もあいまってここまでヒットしたのだろう。前置きが長くなったが、今回はその第二弾が出ていたのでまた新しい発見を求めて読んだ。
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読み終わって思うのは、息子の成長が著しい。こんなに考えられる子どもがいるのか!と思わせられるほどの成長っぷり。思春期に入り、親であるブレイディみかこさんには学校で起こったことを全て話すことが無くなったらしい。僕にも身に覚えがある。話は聞いて欲しいけど、概要をかいつまんで話して解決策になるヒントを身近な人から貰えないだろうかと探っていた。僕の場合、自分の都合がいいようにかいつまんでいたので親からは見透かされていてあまり相手をしてもらえなかったんだけど笑。 それでも自分の振る舞いは正しかったのか、自分だけが悪かったのか、とグレーゾーンに対して大人世代と話す環境は大事。そう思うと、”ぼく”の環境は羨ましい。子どものときに親以外の素敵な大人に会えるかどうかで人生が変わる。僕の場合は学校の先生だった。授業の内容はさっぱり覚えていないけれど、給食の時間に色々と話したことは今でも覚えている。スポーツ選手になる人には「人差し指より薬指が長い」と言われた。そんなわけあるかい!ってツッコんでたけど、実際多いみたいです。すみません。笑
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”ぼく”が学校でバンドに入っていていくつか曲名が挙げられていた。YouTubeで流して聴いてみたけど、なんかこれが頭に残った。キーボード?の音がバック・トゥー・ザ・フューチャーに出てきそうな感じ!
あとはビートルズを歌詞を見ながら聴きたい。実家にいるときはよく車でビートルズが流れていた。あとはボブ・マーリーとエリック・クラプトン。
大学時代は茨城に住んでいた。「つくばエクスプレス」という特急列車?のおかげで東京はわりかし近いと感じていた。45分を近いと思うかは個人の主観なので他人の意見は聞きたくない。地方出身者の「東京」への憧れはハンパない(と思う)。テレビで見ていた世界が急に現実世界に現れて、夢かと困惑するレベルである。授業と部活でほとんどOFFなんてものはなかったのだが、有名どころだけは回ってきたつもりだ。だからこそ、作品の中で出てくる地名になんとかついていくことが出来る。位置関係はいまだにわからないけれど。
又吉さんには直接あったことがある。高校に橋本環奈とピースがやってきて高校生と対決するみたいな番組だったと思う。なんなら一緒に大喜利をやらされたことがある。確か全部カットされたんだけどね。笑
最近ずっと又吉さんのYouTubeを観ている。気にしすぎるところや内向的な性格が同じだからか共感の嵐。又吉さんに似たようなものを感じる人はぜひ観て欲しい。あとは近大の卒業式でのスピーチ。「誰にでも青春の中でダメな時期はある。でも人が死なない限り、それはバッドエンドじゃなくて途中なのだ。」のくだり。