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【私の街歩き1】三百坂~小石川伝通院

東京都文京区小石川 三百坂

東京都文京区には色々な坂がありますが、今回はその中で『三百坂』という変わった名前の坂を紹介したいと思います!

『三百坂』写真
『三百坂』
「江戸志」によると、松平播磨守の屋敷から少し離れた所にある坂である。
松平家では、新しく召し抱えた「徒の者」を屋敷のしきたりで、早く、しかも性格に役に立つ者かどうかを試すのにこの坂を利用したという。
主君が登城のとき、玄関で目見えさせ、後衣服を改め、この坂で供の列加わらせた。もし坂を過ぎるまでに追いつけなかったときは、遅刻の罰金として三百文を出させた。
「三百坂」紹介文より

手塚治虫の『陽だまりの樹』の冒頭にもこの坂が紹介されています。

手塚治虫『陽だまりの樹」より
手塚治虫『陽だまりの樹」より

マンガでは坂の勾配が誇張されている気がしますが😅

ちなみに江戸時代末期に作られた江戸古地図を確認すると、そこに手塚治虫の曾祖父が住んでいた事も確認出来ます。(青丸の箇所)
先程挙げた『陽だまりの樹』は、別の機会で紹介しようと思いますが、
ここに手塚治虫の曾祖父が住んでいた事から、作品の舞台として採用されたのでしょう。

この『三百坂』の隣に小石川伝通院があります。
伝通院は新選組の前身でもある浪士組が結成された場所でもあり、ここに後の新選組の中心メンバーになる近藤勇・土方歳三・沖田総司らが集まったと言われています。

小石川伝通院写真
小石川伝通院写真

文京区周辺は、江戸時代から続く歴史ある街でもあり、由緒ある土地が多いという事・東京大空襲の被害も少なかった為、現在も歴史的な建造物が多く残っています。
ゼヒ文京区に訪れて歴史を感じてみては如何でしょうか?😊

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