趣味や学びに年齢は無関係だし、お金よりワクワクが大切じゃないかなって話
友人の知人が、30代前半にして格闘技を習い始めたようで、その日々の成果を日々インスタに上げている。
友人はその人を見て、「確かに凄いけど、いい歳して何をやっているんだろう。もっと他にやることあるでしょ。その時間で副業でもすればいいのに」と嘲笑していた。
でも私はその言葉に同調する事は出来なかった。というより、強く憤りを覚えてしまい、なにも返事をしなかった。今は、あの時きちんと反論しておけば良かったなと後悔している。だからここに書き示しておく。
何歳だろうと何かに挑戦することや努力する事は大切だってことを、どうも趣味の無い人はなかなか理解が出来ないみたいだから。
そもそもその行為がお金になるかどうかだけで判断するなんて、私はナンセンスの極みだと思う。
もちろんお金は大切だが、お金よりも好きなことをする時間の方が私はもっと大切だと思っている。
よくよく考えてみて欲しい。お金は所詮いろんなものと交換できるチケットでしかない。
なにを交換するかは人それぞれだけど、生活に必要なもの以外は結局心がワクワクするものに使うということに収束すると思っている。
ということは、心がワクワクする事が自分で出来るのであれば、それはお金を稼ぐよりも手っ取り早く幸せというゴールにたどり着くじゃないか。
心がワクワクするものがとても高価なもので、お金を稼がなければ買えないようなものであるならお金を稼ぐ事はその好きなもの・事を手に入れる事に直結するから、お金を稼ぐ事に時間を割く事はもちろん推奨されるだろう。
でも、この彼のようにお金では買えない自分のスキルを求めるのであれば、お金よりもスキルの習得を優先するのは当然では無いだろうか。
最低限の生活ができるお金を稼ぎさえしていれば、その他の時間は自分の好きな事に費やすのがもっとも充実した人生の送り方だと私は思う。
お金の先にあるものも結局はワクワクを手に入れるための何かでしかないのだから、お金を稼がなくてもワクワクが手に入るのであればそれはお金を稼ぐよりも優先したほうがいいのではないかと思うのは間違っているだろうか?
そして、人の努力を無駄だと笑う人には正直がっかりしてしまう。
強くなることが無駄だと、金にならない勉強が無駄だと、楽器を演奏できるようになることが無駄だと、絵を描く事は無駄だと、そうやっていろんな事を無駄で切り捨てた先に残るのはロボットのような生活だけではないだろうか。
そして好きな事をするのに遅過ぎるなんて事は無いのだ。ありきたりだが、今日が人生で一番若い日なのだから。
何かに興味を持つっていうのは、むしろ若い頃よりもいろんな知識を持ち始めた大人になってからの方が機会が多いと思うのだ。
幼い頃は興味のなかった物事の良さを大人になってから理解して学びたくなるということは誰にだって多かれ少なかれあるだろう。
大人になってから自分の意思で行う習い事はあまりにも充実して楽しい時間じゃあないか。
それを嘲笑する権利など誰にもない。
「いい歳して…」という言葉は、楽しんでいる人に使っていい言葉では無いのだ。その言葉を使っていいのは、その人があまりにも子供のような理不尽な行動を取り誰かを傷つけた時だけだ。楽しんでる人を嘲笑するときに使う言葉じゃないんだ。
年齢を重ねるほどに自由がなくなるなんて悲し過ぎる世界じゃないか。使い方を間違えた瞬間、あまりにも酷い呪いの言葉になってしまっているのに使用している本人達も気づかない。そしてその言葉はいずれ自分に返ってきてしまうとも知らず使用しているんだから苦しいものだ…。
本来、知見が広がれば見える世界も感じる世界も広がるのだから、大人になってからの方がたくさんやりたい事は増えるのが本来の流れとしてあるべきなんじゃないか。
「大人」は黙って働いて金を稼ぐためだけに生きる存在とみなされ過ぎていないか?
大人だって人間だ。何歳だって学ぶ権利はある。何歳になっても新しい事をして趣味を持つ権利がある。
だからそうやって人の首を絞めるような言葉を私は人に使いたくないし、頑張っている人を年齢問わず応援したいし、自分達よりも若い世代にはこんな悲しい言葉の使い方をされない世界に生きて欲しいなと切に思う。
世界はより良くなっていると、ファクトフルネスという大ヒット本で読んだ。
ならば自分も、世界をより良くする一員に加わりたい。こういう悲しい価値観が少しでも無くなって欲しい。
そういう思いも込めて、私はこれからも言葉と考えを発信していきたいなと改めて感じた出来事だった。