<第4回>キャリア開発なんて、「行きあたりばったり」でいい。 ~ モヤモヤ社員は、自分に用意されているキャリア人生を楽しんでみては?
前回(第3回)では、モヤモヤ社員が自分のキャリア開発を考えるときに、「自分は何をしたいのだろう?」と、真っすぐに考えすぎるより、過去の自分のキャリアや現在のキャリアについて、色々と思いを巡らせることから始めることの方が良い、と書きました。
大学教員をやっている私自身(学内では就職委員という仕事もしています)、就活に臨む学生たちに、「保護者や大人から、『お前は何をしたいのか?』と聞かれても、適当に答えておけばいいんだよ」といつも言っています。
今の世の中、「したいこと」がないと、何かいけないように言われてしまう風潮があるのではないでしょうか?そもそも周りを見渡してみて、本当に自分がやりたい仕事をやっている人の比率は一体何割なのか、考えてみましょう。また、もし自分がやりたい仕事に就けている人がいたとして、しかしそれで幸せなのかというと、必ずしもそうでない場合も多いようです。「好きなことを仕事にすると辛い」とも言われています。
「人生をかけるような、本当にやりたいことのある人」はそれをやればいいのはもちろんです。苦難を重ねがらも、自分の夢に一歩ずつ近づいていくことに充実感を覚えるでしょう。
しかし、「人生をかけるような、やりたいことが明確な人」の数は多分少数で、実際には、むしろ「何を」(What)仕事にするのかよりも「どう」(How)仕事をしているのかを重視する人の方がウエイトが高いように思います。
ましてや、就活生を始めとして、社会や会社や仕事というものについての情報に限りのある場合は、(もちろん何をしたいのかをずっと考え続けていくことは、それなりに有益ですが、)「ないとやりたいことがないといけない」と思い込むのは考えものです。
私の例でいえば、「自分が本当にやりたいことらしいこと」について最初に口に出したのは、1回目の転職後の失業時代のことです。何と、それは人生の折り返し地点をとうに過ぎた、48歳の頃、1度目の転職先を辞めて次の仕事を探している時のことでした。
大学のサッカー部の同期で、大学の寮(その寮は「駒場寮」という名前と同時に、「東京で一番汚い寮」ということで有名でした)でも同じ3人部屋で一緒に生活し、卒業後も互いに刺激を与え合ったH君という友人(やはり当時起業した会社があまり上手くいっていなかった)から、互いに今後の身の振り方を話していたときに、「お前は、今後に人生で一体何をやりたいんだ?」と問われたときのことだと記憶しています。
そのとき絞り出すように浮かんできたことは・・・「教育」という2文字です。
「教育」という2文字が浮かんできたときのことは、もう15年以上も前のことなので詳しく覚えているわけではないのですが、それまでは、「経営改革、事業再生など、変革していくこと・・・英語では「ターンアラウンド」と自分では呼んでいます・・・を自分の得意技とし、ずっと変革、改革をライフワークのようにやってきたのに、H君から改めて問われたと唐突に「教育」という言葉出てきたというわけなのです。
多分小学校の卒業文集で「将来の希望」として「プロ野球選手」という当時つきなみだった職業に併記するように「教師」と書いたこと、最初の会社で自分が社内勉強会を長い間主宰し続け(最初22年間いた会社の現社長は、取締役の末席から若くして社長になったのですが、私が始めた勉強会のメンバーでもありました・・・ちょっと自慢ですね(笑))たことを始め、常に後進の育成に心を砕いてきたことなどが潜在意識の中にあり、自分でも自覚症状なしに「教育」という言葉を絞り出して、そして、その言葉に自分自身が驚いたということだったのではないかと思います。
ところで、かつてワタミのCEOが時代の寵児としてもてはやされたときに、「10年後、20年後の自分のなりたい姿から逆算して、着々とキャリアを積み上げてきた」というような文章を書いていたのを読んで違和感を感じたことがありました。私は、このCEOの考えを完全に否定するわけではないのですが、そんな計画的な人生が送れるなんて素直に「凄いな」とは思うものの、あまり共感もできず、「そんなことって稀だよね」という印象の方が強かったことを覚えています。
そのときは自分自身がアップダウンの極めて激しい、そして短い期間での転職を繰り返していた、ロードムービーのような時期にあたり、自省の気持ちや、少し反発の気持ちも合わさった中での違和感だったようにも思います。
しかし、還暦も随分前に過ぎ、改めて「キャリア」というものを考えたときに思うのは・・・
「そんな、予め自分で想定した人生をそのまま歩いていくなんて、不可能だし、ましてや『面白くないんじゃないか」ということです。
スケジュールに沿った旅行なんて退屈だし、予定調和に充ちた映画やテレビドラマなんて、見る価値もないではないですか。人生はハプニングの連続で、だからこそ、面白いのではないでしょうか。
キャリア開発も全く同じで、その場しのぎの繰り返しによって、知らないうちに築かれていくのではないかと私は思います。
高村光太郎の「道程」という詩に、
僕の前に道はない
僕の後ろに道はできる
という有名なことばあります。
結果はどうあれ、自分が「その場その場で判断して」(要するに、その場しのぎということ)、人生を生きていくプロセスこそが尊いのであって、それが人生の醍醐味、そしてそれは「キャリア開発」にも当てはまるのではないでしょうか?
自分のキャリアにモヤモヤしている人は、「自分は一体何をやりたいのか?」と常に自分に問い続けることは必要ですが(稀に思いつくこともあるので・・・)、過去と自分を見つめ直し、「軽はずみ」に自分のキャリアに関するストーリーを作れば良いのではないでしょうか。
あるいは、運命論者ならこう考えてもいいでしょう・・・「自分に用意されている人生は一体どんな人生なんだろう」とロードムービーを観る感覚でワクワクしてみるのです。
ただ大事なことは、ワクワク想像してお仕舞いにしないことです。今の時代、とにかく行動してみて、一杯失敗して学んだ人が勝つ時代です。何でも良いのです。「行動」してみれば、それをきっかけにして何かが始まることでしょう。
人生100年時代を世の中に有名にした名著「ライフシフト」で言う所の、「エクスプローラー」ですね。とにかく、行動しながら模索する・・・それこそが今後の成長へと繋がるのではないでしょうか。
追記:ところで、前述のH君は、私が「教育」と言ったその直後に、ある著名な研究所の研究員を経て、自らのライフワークである「スポーツビジネス」に関する研究所を設立、併せて大学教授に就任し、スポーツに関して社会を啓蒙・教育していくスクールも立ち上げ、近年では「スポーツマンシップ教育」に注力し、社会に大きな影響を与えました。が、残念ながら志半ば、3年前に天国に召されていきました。
H君のスケールの大きさに比べ、私自身は世間の片隅で生きてきた市井の人間に過ぎませんが、彼と同様に「エクスプローラー」として21世紀をこれまで生き、「スポーツ」「改革」「教育」といった共通のテーマにおいてシンクロしながら、なお生き永らえているものとして、私自身自分の目の前に拡がっていくロードムービーを楽しみながら、有意義に過ごしていかなければいけないな、と考える今日この頃です。
<ターンアラウンド研究所https://www.turnaround.tokyo/ 小寺昇二>
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?