キャンプ小説 『孤独な森の中で』第2章:予期せぬ出会い
ソロキャンプから戻って1ヶ月が経った頃、佐藤雄一は再び山奥のキャンプ場を訪れていた。今回は3泊4日の予定だ。前回の経験を活かし、テント設営も火起こしもスムーズにこなす。
「やっぱり、ここに来ると心が落ち着くな」
雄一は深呼吸をしながら、周囲の景色を眺めた。秋から冬へと移り変わる季節、木々の葉は色づき始め、空気は澄んでいた。
2日目の朝、雄一は近くの山への登山を計画していた。地図とコンパスを確認し、水と食料を用意する。
「よし、行こう」
意気揚々と出発した雄一だったが、2時間ほど歩いたところで突然の霧に包まれた。
「まずいな...」
視界が悪くなり、方向感覚も曖昧になる。地図を見ても現在地が分からない。不安が胸をよぎる中、雄一は冷静さを保とうと深呼吸を繰り返した。
そんな時、霧の向こうから人影が見えた。
「誰かいますか?」雄一が声をかける。
「あら、迷子かい?」
優しそうな老人の声が返ってきた。
霧が晴れるように、老人の姿がはっきりと見えてきた。山岳ガイドのような出で立ちの、70代くらいの男性だ。
「田中です。ここらの山をよく歩いているんですよ」
老人は自己紹介すると、雄一に水を差し出した。
「ありがとうございます。佐藤と申します。本当に助かりました」
雄一は感謝しながら水を受け取った。
田中さんの案内で、二人は安全なルートを下山し始めた。道中、田中さんは山の自然や歴史について語ってくれた。
「この山にはね、昔から不思議な言い伝えがあるんだよ」
「どんな言い伝えですか?」雄一は興味津々で尋ねた。
「霧の中で迷った人を、山の精が助けてくれるっていうんだ。でも、その代わりに何かを置いていかなきゃいけないらしい」
雄一は思わず周囲を見回した。霧は既に晴れていたが、何か不思議な雰囲気を感じる。
キャンプ場に戻ると、田中さんは雄一を自分のテントに招いた。
「お礼に夕食でもどうかな」
雄一は喜んで申し出を受けた。
田中さんのテントは、長年の経験が感じられる居心地の良い空間だった。壁には山の写真が飾られ、様々な道具が整然と並んでいる。
「田中さんは、よくここに来るんですか?」
「ああ、もう40年以上になるかな。最初は家族と来ていたんだが...」
田中さんの表情が少し曇った。
夕食を作りながら、田中さんは自分の人生を語り始めた。会社勤めをしながら、休日は家族でキャンプを楽しんでいたこと。しかし、仕事に没頭するうちに家族との時間が減っていったこと。そして、妻に先立たれ、子供たちとも疎遠になってしまったこと。
「だから今は、この山が私の家族みたいなものさ」
田中さんは少し寂しそうに笑った。
雄一は自分の姿を重ね合わせ、胸が締め付けられる思いがした。
「僕も...同じ道を歩んでいるのかもしれません」
食事をしながら、二人は自然保護の話題で盛り上がった。田中さんは、長年の登山経験から、山の環境の変化を肌で感じているという。
「我々人間が自然を壊しているんだ。でも、まだ間に合う。一人一人が意識を変えれば、きっと...」
夜が更けていく中、雄一は自分の人生について深く考えていた。仕事と家族のバランス、自然との向き合い方、そして自分自身の生き方。
翌朝、田中さんと別れる時が来た。
「本当にありがとうございました。色々なことを教えていただいて...」
「いやいや、私こそ楽しかったよ。若い人と話せて、元気をもらったよ」
別れ際、田中さんは雄一にこう言った。
「大切なものを見失わないでくれ。そして、時々山に来るんだ。山はいつでも君を待っている」
雄一は深く頭を下げた。目に涙が浮かんでいるのを感じた。
その後の2日間、雄一は田中さんとの出会いを振り返りながら、静かに過ごした。キャンプ場を去る日、雄一は小さな石を拾い、ポケットに入れた。
「何かを置いていくんじゃなくて、大切なものを持ち帰ろう」
都会に戻った雄一は、まず家族に電話をかけた。
「みんな、今度の休みにキャンプに行かないか」
家族の驚いた声が聞こえる。
「実は、山で素敵な出会いがあってね...」
雄一は、田中さんとの出会いと、そこから学んだことを家族に話し始めた。電話の向こうで、家族の温かい反応を感じながら、雄一は新たな決意を胸に抱いた。仕事も大切だが、それ以上に大切なものがあること。そして、自然と共に生きることの素晴らしさを、これからは家族と分かち合っていこうと。
ポケットの中の小さな石が、雄一の新たな人生の始まりを見守っているかのようだった。