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それならこんな話をしてみては56

札幌で荼毘に付された沙也加さん。

芸能人に興味がなかったが今回はため息が出るほど残念な出来事である。

夕方テレビをつけたらお父様お母様の会見。

そこまでさせる必要があるのだろうか?

たった今、収骨しましたと言わんばかりの斎場で会見。

たった今。

斎場での会見。

まだ温かく温度があるはず。

沙也加さんの温もりを抱いたまま会見をさせる。

「神田正輝、松田聖子憔悴の中の会見」

憔悴当たり前だ。

そんなに面白い事か?

有名人が亡くなった事はお祭り騒ぎなのか?

フラッシュの数が悍ましく感じた。

「声を振り絞る」とはあのようなことを言うのだと思った。

母である聖子さんは挨拶で深々と頭を下げ、上げることすら苦痛なほど重かっただろうに。

ご両親はまだ受け入れられていないご様子。

こうして書くこともマスコミに加担しているのだろうか...

それであればこのあたりにしておかなくてはならない。

しばらくはマスコミがうるさいのは仕方ないことだろう。

彼らは喉元だがご両親にとっては一生である。

日本は逸材を失い、マスコミはフィルムと時間をを失うだけだ。

有名人には「ご冥福をお祈りします」と言うのに、関西のクリニックの放火で亡くなった方には犯人の事だけ。

これって違和感感じてもいいのでは。