嫌いではないが なぜか会いたくない義母の話…
まさか、「海」をテーマに 義母のことを書くとは思いもしなかった。でも書くことにする。
なぜ「海」で「義母」か。
これのせいだ。
この記事にある通り、これを書いたあとに「海のはじまり」最終回をみたのだ。
みた人なら分かるだろう。愛する自分の息子の、祖父母たちを思い出さずにはいられなかった。
そして、素敵なドラマなのに、毎週楽しみにみてきたのに、最後の最後になんだかザワっと微妙な気分になったのだ。
微妙な気分とは 義母のことを考えたからだ。
義母とはもう5年以上会っていない。
結婚当初は仲良くしていた。義母は再婚をして義実家ではなく新しい夫さんと別の地域に住んでいる。だから盆・正月には会わないが、たまに新しい夫さんも一緒に2夫婦で会っていた。
しかし、息子が生まれたときに、義母と夫にボタンのかけ違いがあり、私は巻き込まれた。完全なる巻き込まれ事故だ。夫が忙しく連絡をしなかっただけだ。
なのに なぜか私がめちゃくちゃ嫌われ、母の日のプレゼントが送り返されてきたりした。
可愛かった息子の態度が変わったのも、可愛い孫に会えないのも、ぜんぶ私のせいだと思ったようだった。悲しかった。
かろうじて夫が私の味方をしてくれたのは救いだった。まあ味方も何も、私には関係ない親子ゲンカなのだが。
目黒蓮も若林正恭も関係ない。
義母と夫の問題だ。
しばらく会わなかった。会いたくなかった。
とはいえ、優しい私は 息子が幼稚園の年齢になったころに、夫に働きかけ、息子を連れて会いに行った。義母にもなんとなく謝られ、私もなんとなく許し、以降もたまに会ったり 息子の写真を送ったりした。
コロナ禍や息子の不登校などもあり、また疎遠になった。息子のことを義母には相談したくない。
義母と私は「違う」と思ってしまう。
あの一件を許せてないのだろうか。いや、その前から「親子の距離感」の感覚が違うと思っていた。親子関係だけではなく、「人との距離感」が違う。一緒にいて疲れるタイプだった。
思えば、私の夫は すぐに誰とでも仲良くなれるタイプだ。私にはないそこが魅力で夫と結婚した。でもそんなタイプは身近に一人でいいのかもしれない。夫だけで充分だ。
義母のことは嫌いではない。夫の母親だし 息子の祖母だ。義母がいなかったら今の私の家族はない。感謝もしている。活発で明るく魅力的な人だとも思っている。
でも、あまり会いたくない。なぜか好きとは言えない。もう息子も大きくなったのだから、夫と息子で会いに行けばいい。親孝行は夫がしたいならしたらい。
家族でも他人でも、合う合わないはある。義母の思い描く理想の義娘にはなれない。
今の自分の気持ちを素直に書いてみた。結局許せていないのか。夫の母親なだけで私の母親なわけではないからか。
まあ、いつか 会いたくなったら会おうと思う。
うん、それでいい。
こうして書いてみて、自身の息子との距離感を意識したいと思った。たしかに海のはじまりは尊く繋がれてきたものだ。でも海は海でしかない。海は誰のものではない海のものだ。
もしまた「海」がテーマの時があったら、次は海で過ごした楽しい思い出を書きたい。私は海か山かときかれたら「山」派ではあるのだが…。