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「豊かな社会がもたらしたもの」を意識する


意識して「人の長所を見る」ことは、きっと大切なことなのだろうな、と何となく思っていた。


児童精神科医である佐々木正美氏の「子どもたちへのまなざし」を読んで、なるほどそうかと思ったことがある。

人間というのは、どこに住んでいても、どういう人種であっても、どこの国の人であっても、そういうこととは無関係に、物質的、経済的に豊かな社会に住んでいる人間ほど外罰的になる、あるいは他罰的になるということです。

もちろん個人差がありいろんな人がいるが、人間の本来の特性だそうだ。

物質的、経済的に豊かになると、いやなことは人のせいにする傾向があるらしいのだ。

なんだか、とても頷ける。

人間には、過密社会に住めば住むほど、人間関係を希薄にしていく、よそよそしくしていくという特徴があるのだそうです。(中略)
近所の人たちとの人間関係がわずらわしくなる、地域社会との深いつきあいを、しらずしらずのうちにさけて、マイペースで孤立的に生きたくなるという面が強くなってくるそうです。


私自身、田舎から都会に来て、明らかに人間関係が希薄になった。

一人が好きだからとか、子育て中心だからとか、自分で色々分かったように言うが、無意識に人付き合いを避けているように思うのだ。

たぶん良くないなと思いながら、息子としか話さない日ばかりを過ごしている。

さらに、豊かさと過密というのが、いっしょに合わさりますと、こういうことも指摘されています。人間というのはそういう環境に住めば住むほど、目の前にいる人にたいして、その相手の人の長所よりも、短所のほうを敏感に感じやすくなるのです。(中略)その人のもっているいい点よりは、いやな点の方に、私たちの感受性を徐々にするどくしてしまうそうです。


私、無意識でいると夫や息子のいやなところばかりが目についてしまい、何故か一人でイライラすることが増えた気がするのだ。

これは更年期だから、だけではないなと思うのだ。


この本は、26年前の1998年に発行されているが、今まさに、直接触れ合っていないところで、人の短所だけを責め立て、それはダメなことだとまた責め立てる、みたいなことが多く起きている。

放っておくと、この先もそのような人が無意識に増えていってしまうということだろう。


息子が、今の子どもたちが、幸せに社会を生きていけるように、私が出来ることはしたい。微力であることは承知だが。


人のせいにせず、人を責めず、人の長所を見て、まずは夫と息子と穏やかな時間をなるべく多く過ごしたい。

そして機会があれば、お隣さんに醤油を借りに行くのはムリだとしても、同じマンションの住人に挨拶プラスαの会話をしてみたり、暫く会っていない誰かをお茶に誘ってみたりしたい。

人間にとっていちばんたいせつな、人といっしょにくつろぐ、やすらげるということが少なくなったと思いませんか。その結果、大人や若者だけでなく、子どもたちが人を信頼して、ゆったりとした気持ちで育っていく環境が失われていると思うのです。そのことの重要さを、もういちど考えていく必要があると思うのです。みなさん、いかがでしょうか。

「子どもたちへのまなざし」佐々木正美


安心できる大人、信頼できる大人、になりたい。

今よりもう少し意識して日々暮らしていこう。










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