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落ちる夢


落ちる夢を見た。
底の見えない暗闇の中、ゆっくりと浮遊するように落ちてゆく。
つかまるものは青白い肢体。
黒髪を漂わせ空を泳ぐ女の肢体を引き寄せる。
独りでいるのは怖い。
不安で身体が崩れそうだ。
指が食い込むほどその肢体に縋りつき、掴んだところから崩れては落ちてゆく。
皮も骨も干乾びて、さながら老木のように深淵に漂い落ちてゆく。
崩れる蝶の群れを端に見て、女の顔を覗き見れば。
笑っているのか、泣いているのか。
ただ、ただ笑っている。
俺を置いて逝くな
落ちるなら、何処までも一緒に

梅雨の午睡

耳障りな雨音で目を覚ました。
眉間の奥が疼き、鈍い痛みで頭が重い。
梅雨の時期は調子が悪い。
曇り空で気が滅入り、強い雨音で神経を逆なでされる。
そこに強風と高い気温と湿度が重なれば、身体の重さに身動きが取れない。
最近では「低気圧症」という名前がついてくれた。
学生の頃は仮病などとなじられたり怒られたりもしたが、名前がついてくれたことで幾らか落ち込む事はなくなった。
苦しいのに誰も理解してくれない・・さらに「嘘だ」と陰口をたたかれれば自分の存在なんかこの世の最底辺であると、孤立感に苛まれたものだ。
しかし、名前が付いたからと言って特別休暇がもらえる訳でもない。
今日は運よく休みだったと考えるべきか?
休みなのに一日無駄にしてしまったと思うのか?
その選択如何で一日の過ごし方が変わるのだが・・
今はこの頭の鈍痛のせいでうまく考えがまとまらない。
曇りガラスのその先に、槍のような豪雨の中で緑が色濃く目に入った。
このアパートを選んだのも、緑が多い公園の隣だったからと言っていい。
緑は人の心を落ち着かせるというが、私はそれが顕著に出る。
幼い頃に法事に集まった親戚の多さに目眩がして、寺に向かう車の中で臥せっていた事がある。家に残っていたかったのだが、独りで家に残すのが心もとないと両親に連れていかれたのだった。
その寺は松の木が多く植えられていて、読経の声を聞きながら柱にもたれかかり数分で不思議と歩けるようになる。
今思うと法事というイベントと知らない人間と多く顔を合わせたというストレスから具合が悪くなったと思うのだが、年の離れた姉に「仮病だ」と言われてから自分の感覚と他人の違いを朧げに感じるようになった。
家にいても、家を離れても緑の多い場所を好むようになった。
ストレスは薬では治りづらい。頭痛の痛みは鎮痛剤で抑えることは出来るが、その元の心の疲れは自分で治すしかないのだ。
なので今日も雨が入ってこない程の隙間で窓を開ける。
赤い傘を差している。
槍のように降りしきる雨の新緑の下に不似合いな色が目についた。
昼に近い午前の頃は誰もいない公園なのに、今日に限って赤い傘を差した誰かが立っている。
緑と傘の赤さが鮮やか過ぎて目に悪い。
背の高い枯れ枝のような印象だった。
傘で頭が隠れ年までは分からないが、余り若くない男性の腕。
その色白い腕が不快でもあった。
嫌な感じがする・・その勘は幼少よりよく当たった。
当たりすぎるほど他人には異様に感じたのか、あまり声に出しては言わなくなったけれど・・
豪雨の中で赤い傘を差してただ、木の下に立っているその姿が異様に感じた。
数年前に世界的に発生した感染症の影響でリモートワークが正当化されては来たが、それにしても・・どうも・・おかしな構図に感じる。
その木と多少距離があるが、あまり他人を凝視するのは気分が悪い。
不快感を抱えたまま薬を飲みなおして横になろうと、窓を閉める。
外と中とを遮る瞬間に赤い傘の男が振り返った気がした。
青白い不快な笑い顔。
見てもいないが、そんな印象だけが網膜に残り上手く寝付けなかった。

白昼夢

今年の梅雨は長くなると職場で耳にした。
何時もより雨が長いのに、梅雨入り宣言が遅かったことは疑問に思う。
梅雨の晴れ間は、茹だるような暑さだ。
まだ夏休みは先だというのに、焼けるような暑さと肌にこびりつく湿度が不快で仕方がない。
幼い頃より天候の急変が当たり前のようになった現在は、生き辛さを感じずにはいられない。
建物内の快適さと外の寒暖差で目が眩む。
少し日陰を選びながら、いつもより遠回りをして家路を急ぐ。
遠くにいた入道雲が風に煽られ足が早くなっている。朝干した洗濯物が心配だ。
アパートに近い坂道に差し掛かると、赤い傘が視界に入った。
雨の日の傘男が差した赤。
近所だとは思ったが、こんなにも近いとは気が滅入る。
平屋の一戸建て、あまり新しくない壁の燻み。
植えられた植木も伸び放題で、見ようによっては廃墟にも見える。
傘の赤さが不自然に感じるほどだ。
別の道を帰ろうと向きを変えた時に、窓の隙間から白いものが見えた。
女性の腕がひとつ。
青白い、陶器のような手のひらが窓から覗いている。男の手ではない、明らかに女性の手だ。
真昼の暑さの中で、その白さは夢を見ているかのように綺麗に感じる。
その手が手招くようにヒラヒラと風に揺れる木の葉のように揺らめいて・・
下校途中の子供達の声で目が覚める。
他人の家を凝視していた恥ずかしさに、急いでその場を離れた。

悪い夢

人を手に掛ける夢を見た。
或いは、その場面を目撃した夢かもしれない。

動悸がおさまらず、嫌な汗をかいた。
人を殺す、殺される夢は吉兆であると前に調べた時に知りはしたがあまり気分はよくない。
変化の兆しというが、物事の変化とは気分の悪さを生み出すものなのか。
廃墟にその白い手はよく映えていた。
朧げな記憶の中でその色だけは鮮明に覚えている。
青白い夜の闇の中で廃墟の一室に重なる男女。
女に覆いかぶさる男の肩にそっと・・その白い手が触れている。
小刻みに震える肩には不似合いな優雅な輪郭のそれは、愛しいものを撫でるようにゆっくりと蠢いている。
足が竦んで動けない。
その光景が余りにも異様で、綺麗に思えてその場から動けない。
男の腕の間から覗いた顔がこちらを見て笑った。

時刻は6時。
雨天の薄曇りの中では、午前か午後かはっきりしない。
記憶を辿れば、早朝より頭痛が酷く仕事を休んみ寝ていたと思う。
余りの痛さに薬を飲んでからしばらく苦しんだのを憶えている。
またあいにくの雨天。
悪夢を見た気分の悪さとリアルな感覚にどうしようもなく窓を開けたくなった。気温の高い日の豪雨は不快でしかない。
外の空気を肺に入れて吐き出した時に、傘男が立っていた銀杏の木が目に入る。そこに異物な赤い色が無いだけで安心できた。
そういえば、最近になって傘男を見かけてない事に気がつく。
傘男の異様な姿と、晴れ間に見た女の白い手。
夢は記憶の整頓をする、という事を何かの本で読んだ事がある。
印象に残っていたものが夢という記憶の処理中に偶然混ざったのだろう。
そう思いたい、そう思う事にする。
水を飲もうと窓から離れた時、遠くでサイレンの音が聞こえた。

夢の痕跡


7月の終わりに梅雨明け宣言が出てくれた。
梅雨の不快さは薄まってきたが、夏の暑さが身に染みる。
坂道の家にもう赤い傘は無い。
人の住まない本当の廃墟になってしまった。
通りすがりの近所の人に聞いてみると、夫婦の二人住まいだったらしい。
身体の弱い奥さんとそれを献身的に世話する夫。
ただすれ違う夫は日に日に痩せていったと、その人は目を伏せた。
空気の良い場所に越したのか、施設に共に入ったのか。
いつの間にかその家は売りに出されていた。
こんなに近くに住んでいるのに、何度も通りかかる機会があったのに・・
悪い印象と夢のせいで意識的に避けていた事もあったけれど、あまりにもあっけない。
あの悪い感じは何だったのか、悪夢の意味は何だったのか?
解決のない疑問だけが頭に残る。
アパートを過ぎ、緑の深い公園に入ってみた。
銀杏の木が青々と葉を揺らし夏の日差しを地面に映している。
ちょうどこの場所に立っていた。
赤い傘を差して。
今思うと奥さんの傘だったかもしれない。
あの豪雨の中で何を思ってこの銀杏の木を見ていたのか?
もしかしたら、降りしきる雨と明けない曇り空を見ていたのかもしれない。
それはとてつもなく感傷的な考えだ。
銀杏の木の奥は雑草が密集していて何があるのかよく見えない。
背の高い葉に隠れてその奥は昼間なのに夜のようだ。
あの悪夢を不意に思い出す。
見ない方が良い気がする、そんな気がしてならない。
勘はよく当たる方だ。
茂みの緑に紛れる赤。
根元から折られた、泥にまみれた赤い傘に気付く事はないだろう。

生ぬるい風が耳をかすめた。
もう直ぐ、8月である。


「深淵」2021年制作

あとがき

この話は自作の「深淵」という作品からイメージした短編である。
7月にnoteで画集の四作目を制作しようと過去の作品を見返した時に目についた。
木霊・倒木・流木と木をテーマにした作品を描いている中で、人生に翻弄される男女を描いたのが流木。この作品の制作時に「人生に翻弄され崩れ落ちる男女のイメージ」が浮かび制作したのがこの作品だった。
言葉に出来ない感覚や感情がある。
それを絵という言葉のないイメージで制作した。
しかし、その作品を見るとその時の感覚が昨日ように思い出される。
不快感に孤立感
悪夢の感覚に飛び起きたその息の荒さまで鮮明に・・
ここ最近見た夢で、最悪な感覚を残す夢だった。
夢占いなどは余り信じない方ではあるが、悪い夢ほど明るい兆しを願うモノである。

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#創作大賞2023

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卯月螢 /心の風景を描く「心象画」
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