feeling drawing#5
心が荒れてしまうとペンが持てない。
手に持つことは出来るが、線がぶれたりインクが落ちたり良いことは無い。
「感情をそのままぶるけるっ!」・・無理である
画面を汚してしまったらそれで終わりのやり直し。
絵に懸けてきたテンションやら感情も萎えてしまうので再開が困難である。
そんな時に出会ったのが、キャンドルというモノだった。
「炎には癒しのリズムと言われる1/fの揺らぎがある」
癒し?揺らぎ?
全く縁遠いものだと思っていた。
癒し自体良く分からない人間だと思っていたのでそのような言葉は敬遠してきたのであるが、そのキャンドル作家さん自体が今まで会った人物の中で変わった印象をもった。
「どうしよう・・話が合う」
カウンセリングを一度受けた事があるけれど、カウンセラーの先生が言って欲しい事や持っていきたい話の着地点を意識して話してしまっている自分に気付いて途中でやめてしまった。
人と話すときは細心の注意をはらって話す様になってしまったていたので、時間を忘れて話すという事自体が久しぶりだった。その作家さんはFacebookで私の作品を偶然見て個展に来てくれたらしい。
私はキャンドルよりまずその人に興味があって、その人の催事に足を運んでみた。
それが記事によく出てくるキャンドル作家の小池 安雲さんである。
今では「癒し」や「揺らぎ」に気を張る事はなくなった。言葉で言われれば警戒して今でも【疲れ果てている人】だったかもしれないが、その姿だけで証明されれば素直になるしかない。
「人の手から生まれたものは、その人となりを表す」
そのキャンドルの炎や溶け姿に人間味を感じて知らずよく灯すようになった。炎を見ていると自分の抱えている気持ちと話し合うようになり、以前より感覚が鋭利になったような気がするが悪いものでは無いように思う。
荒れた精神を沈める時に灯す様になり、制作にも真摯に向かえるようになり変わったところで睡眠の質が良くなった(個人の感想です)
「チルヒトヒラ」
この作品は冒頭での写真のキャンドル。
花弁の一枚一枚が炎で溶かされ優美な姿に描いたものである。
【時蕾】と名付けられたキャンドルは蕾から花開いてゆくように溶けてゆく。炎の優しい印象を残したいと描いたものが「トモシビ」という作品になった。
猜疑心は何処へやら・・
今は無くてはならないものになってしまった。
燃え尽きた後も良い姿なモノが多い。
その上に不意に次のキャンドルを置いてみると、なにか良い構図が浮かんでイメージを膨らませたのが「目覚め」という作品である。
数年前にはこのような絵を描けるとは思わなかった。
年をとって丸くなったのか・・でもそれだけでは説明しずらい。
人との縁は不思議なもので、キャンドルは未知なものである。
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