制作日記:色彩心理と制作
色が分かららない人
「なんで、色を使わないの?」
個展時に問われた事がある。
ペン画でも色を付けている作家さんは多い。
「自分の作品には色を付けたほうがいいのかな?」と問われてから制作時に何度もやってみようとしたが無理だった。
頭に浮かぶイメージが白黒が多い事もある。
言い方に語弊があるかもしれないが「色が分からない」と言ったほうがいい。視力的に色が分からないわけではない。
画材店でもお客さんの絵に合う色の額とマットを選ぶ仕事をしていたし、カラーコーディネーター3級を一応持っているので、他人より少し細かく識別できるほうだと思う。
思い出す例えは、同時期に個展に足を運んでいただいたアーティストさんの言葉である。
「卯月さんは色を感覚で認識しているのではないか?」
ペン画で描き込みをする際に意識するのは、描くモノの質量だったりする。
樹皮を描く際には、自身で触った感覚を思い出して厚さを描く。
花びらを描く際にも触った感触を思い出す。
その時は「触れた感覚で色を認識しているのか、変わってるな」と自身を振り返ったものだ。
しかし、ここ最近はそれだけではないのでは思う様になった。
「自分の作品は日記のようなものである」という事を過去作品を振り返り気付いた今日この頃・・色に対する認識の仕方も自分の気持ちの感覚で記憶しているかもと思いついた。
仕事として色を扱う時と制作として色を扱う時
自分は色の感覚のスイッチが変わるのではなのか?
という推測に行き着いた。
ペン画制作のままであったら気づかなかった事
再び油絵を描いてみようと思いついた時「イメージに色が着きだした」
色を感覚としてとらえようと思ったきっかけは、最近学びだした
色彩心理学である。
色彩心理学「楽しいという感覚は胸がじんわりする感覚」
今年初旬に描きたいものが浮かばなくなり、過去作品を見直し自身を振り返る事をしてきた1年間。
自分でも驚いたが喜怒哀楽の「喜」「楽」が良く分かっていない事だった。
何を楽しいと思うのか?
楽をしたいというのはどういうことなのか?
どういう事で自分は喜ぶのか?
「楽に生活がしたい」と話した時に「卯月さんにとって何が楽なのか」具体的な事を問われた時に全く答えられないことに驚いた。
接客業や介護職を経験し、物心ついた頃から他人の気持ちを察して場が収まる会話をしてきたからなのか職業や自己防衛の為の会話は雄弁だ。
しかし、自分の本心を自身に問うと途端に言葉が無くなってしまう。
数回セッションをしているが頭が真っ白になる事が良くある。
そんなことに気付いてから、自分を知る為の勉強をしようと決めた。
これから先の為に〈自身を知ろう〉という目標のもと現在、色彩心理学を学んでいる。講師はセッションでお世話になっている小池安雲さんである。
学んでいる中で感動したのだけれど・・
「私にとって楽しいとは胸がじんわり熱くなる感覚らしい」
太陽のような夕日のようなそんな感覚だ
「私にとってやりたかった事柄を判断するのは、胸が高鳴る事らしい」
赤い炎のようなそんな感覚
まだ受けて間もないが、感情の感覚を色として認識し学ぶ色彩心理は私にとって良い効果を生んだというのは今の実感である。
現在は次回の制作である油絵の下書きをしているが、しっかりイメージでは色が着いている。
油絵に対しては過去に後悔があり制作することに思うところは少しあるのだが、やりたい事を無下にすることはもうしたくはない。
思い出した気持ちと色の感覚を大事に、いままで出来ていなかったものを取り戻したい。
そう思いながら日々過ごしている。
小池安雲さんセッションにつての記事
「深い森」リターンズ
油絵を描こうと思いついた時に浮かんだのは「初個展 深い森」で描いた対の絵だった。
「いまさら?」とは思ったが実際に下書きをしてみるとその当時の作品をそのまま描く事ではなく、変化が見れる下書きになった。
思考に翻弄されて欲しいものを諦めてしまっていたものが、現在では何かを得ようとして模索している思いがある。
自身を振り返る現在
過去作品も変化を見せるのか?
とりあえず、今は思いついたイメージを大事にしたいと思っています。
油絵と距離を置いた話
「深い森」掲載
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