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【雑感】四次元ポケットでもあれば違うのでしょうけども。

大和郡山市にある県立民俗博物館が、収蔵品を保管する施設の問題から、今月16日から展示の一時休止を決めたことについて、山下知事は収蔵する資料が多すぎるとしたうえで「明確なルールを決めたうえで、価値のあるものは残して廃棄することも検討する」と述べました。

出典:「県立民俗博物館 山下知事“保存資料の廃棄も検討”」
(「NHK NEWS WEB」2024年7月10日)

県民から寄贈された資料などが膨らみ、本館の収蔵スペースだけでは足りず、旧高田東高校や旧郡山土木事務所の空いているスペースに仮置きしている。

会見で山下氏は、「物を保管するのはコストがかかるので、見合うだけの価値があるものしか引き取るべきではなかった」とし、「文化財に指定されていない資料を保管し続ける意味はどこにあるのかという議論から始めなければいけない」と述べた。

出典:「奈良県立民俗博物館展示室休止へ スペース足りず資料廃棄処分検討「保管はコストかかる」」
(『産経新聞』2024年7月10日)

個人的には、大枠としては真っ当なご判断と思います。四次元ポケットでもあれば保管スペースを気にすることも無いでしょうけど、現実的にはそうもいかず。保管場所、空調等を踏まえるとやはり維持するコストはかかるわけで、どこかで線引きをしないといけないのは避けては通れないよなぁ、と。

かといって、その線引きが「文化財かどうか」というのはやや教条的すぎる気もしますし、引き取る時点でそれに見合うだけの価値があるかどうかの選別を即座にできるわけでもないでしょうから、実際に選別をするであろう学芸員のリソースなども含めた体制構築が必要となると思います、、といったケアはきちんと想定されてるのかなぁ、とか考えていたら、、

昨年10月ごろ、校舎の取り壊しに伴い残された物品を整理していた際、ロッカー内で新聞紙にくるまれた大量の変色した植物を職員が発見。職員はそれが標本と認識せず、持ち主不明のため業者に処分を依頼した。

研究会によると、標本は故・岩田重夫氏が昭和25~62年に県南部を中心に採集した「岩田コレクション」と呼ばれるもの。この標本にしか県内産の標本がないものもあり、県版レッドデータブックの作成などに役立ってきたという。貴重な標本の散逸を防ぐため平成13年につくる会が県に寄贈し、同年から県立大で保管されていた。

出典:「植物標本「岩田コレクション」、奈良県立大が誤廃棄 変色した植物を標本と認識せず」
(『産経新聞』2024年7月22日)

さすがにこれはちょっと、、しかも同じ奈良県内で。こういうのを防ぐための体制・方策を整えてほしいところです。寄贈時の経緯や記録など、受入側でどう扱っていたのか、その辺りの「奈良県立大学」の体制がどうであったのかは気になります。

事務方で終わらせていたのか、どこぞの研究室などにぶら下げる形で確認していたのか。奈良県立大学は公立とはいえ単科大学のようですし、学芸員養成課程等は無く、博物館機能も持ち合わせてなさそうでもありますが、、さて。

とか思っていたら、同じ奈良県にある私立の「奈良大学」には博物館があるのですね。複数学部を持っていて大学院もあり、それこそ学芸員養成課程もあるようですし、こちらに寄贈したほうがよかったのではないかと、素人ながらに。

そういえば学生の頃、学芸員資格を取るための博物館実習にて、博物館というよりは地場の郷土資料館みたいなところでお世話になりましたが、史料・資料の保存にはスペース等も含めて苦心されていたのを思い出しました。

個人的には、ある程度はデジタルアーカイブとして圧縮していくのが妥当かなぁ、なんて風にも思っています、、それこそ文化財云々以前の汎用性の高い日常品などはむしろ。

そういやこちらは余談ですが、同じく学生の頃に「歴代の天皇陵を発掘できないのはおかしい、考古学のためにも全面的に開放するべき、しないのは後ろ暗いからだとか放言」していたヒトがいたな、、自分のお墓も同じように扱われたいのかなと疑問に感じた覚えがありますが、まぁ、懐かしい。

そういった意味では、そのヒトも人の営み(歴史)を尊重、理解できないタイプだったのかなぁ、、と、今回のパリ五輪の開会式での身勝手過ぎたヤカラ達を思い返しながら。

結局、サティが流れた辺りが個人的には開会式のピークだったなぁ、、閉会式はどんな感じになるんですかね、さてさて。

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