見出し画像

ロックンロールとマゾヒズム

どーも。あけましておめでとう。
日に日に外は寒くなっていっておりますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。ruggirl 木之元です。

最近、友達とBOØWYの話になり、「最近のロックンロールはナヨナヨしている」という意見に対して上手く返す言葉がなくだんまりしてしまった。

僕なりに今のロックンロールに対する見解がまとまったので言えなかった感覚を今ここでいつも通りダラダラと講釈垂れようと思う。

若干21歳の子供に毛が生えた大人が語る事なので、間違った事や尖った思想は許してほしい。

まず、

ロックンロールは不良であるべきではない。

ロックンロールというのは黒人音楽、いわゆるブルースを祖として発展していった。らしい。詳しい事はロックンロール博士に聞いてくれ。

そんなブルースという音楽は元々、奴隷として連れてこられたアフリカンアメリカンの憂鬱な気分や、悲しい出来事、反戦感情や怒りを歌っていた。
「僕たちの辛い日常を助けてくれ」という風な鬱屈としたものであった。

それを白人化した者がチャックベリーである。
かの有名なジョニー・B・グッドなどは悲しい歌詞というよりは冴えない田舎のギター弾き少年のことを歌っていたりした。

まぁ、決してヒエラルキーの上にいる者を歌ってはいない。

それから皆が大好きなThe Beatlesも「こんな誠実な僕を愛しておくれよ。」とか「君の手を僕が握りたい。」とかあんなに顔もカッコいいのにモテない僕たちの事を歌ってくれていた。「労働者に金払え。」とも歌っていたし、やはり弱者の味方であった。

だがしかし、日本のバンドブームに限っては違う。

BOØWYに尾崎豊にどいつもこいつも好きな娘傷付けて「オマエ」って呼んだり、バイク盗んだり、校舎の窓ガラス割ったり。

ことわっておくが、僕はBOØWYも尾崎豊もキライではない。むしろ好きだ。

きっと尾崎豊も氷室京介も何となくこの世界に対する違和感や憂鬱な気持ちや不信感を抱いていたし、その表現としてバイク盗んだんだろう。焦燥的で衝動的。ロックンロールと言えるだろう。

でも、バイク盗まれて徒歩で帰ったやつの味方は誰がするんだ?

僕の理想の、あくまで僕の理想のロックンロールと比べるとあまりに暴力的でグレすぎだ。
スクールカースト最上位のミュージシャンが天下を取ってしまったが故にいじめられっ子の味方をする者がごっそりいなくなってしまった。
というかそれが主流になってしまった。

僕ならバイクでコンビニとか行って帰ろうとして徒歩だったら号泣しながら帰路に着くと思う。
やるせなさ10000%である。

僕なら好きな娘が傷付けられてBOØWYみたいなバンドマンに取られたら本当に二度と恋愛なんて出来ないくらい落ち込んでしまうと思う。
やるせなさ1000000%である。

「君たちのやるせなさを僕らいじめられっ子に押し付けるんじゃないよ」という気持ちである。

そして時は流れ平成中期から後期にかけて、
ポツポツと"僕ら"の鬱屈とした感情ややるせなさを歌ってくれるバンドが出てくるようになった。

懐古的ロックンロールの王政復古である。

と、勝手に思っているがこういうのに詳しい大人の方どうなんですか。
長い事味方のいなかった弱虫たちにロックバンドがまた味方をしてくれるようになった。
そして何となく今、それが主流になってきた気がする。だが一度ヤンキーによるロックンロールが主流になってしまった為、どうしても今と昔で比べられてしまう。

最近のロックンロールはナヨナヨしている。

とこういうことになってしまうのだ。
違う。ロックンロールはずっとナヨナヨしていた。
ずっと、「僕を愛してもらってもいいですか。」と言っていたし、ずっと辛い目にあってきた。
僕らロックンローラーはもっと辛い間に合って虐げられるべきなのだ。

きっとそれが芸の肥やしである。

女性にはしっかり跪いて愛を伝え全て捧げるし、
虐げられた同じような人種のために歌うのだ。
ケチョンケチョンにされた後、自分達を自ら肯定するために紡いだメロディや歌詞が国宝級であるときにこそ興奮が生まれるのだ。

これはある種のマゾヒズムであると僕は思う。

苦しめられ続け、現実を受け入れるためにその現実を愛すのだ。その手段としてブルース、ないしはロックンロールが存在していると思う。

僕はロックンローラーであり、マゾヒストであると自覚しているので、苦境や困難や憂鬱は嫌いではない。寧ろ好ましい。もっと苦しみたいのである。
もっと恋愛でボコボコにされたいし、もっと跪きたい。もっと自分の弱い所を歌い続けたいし、もっと愛してみたいと思う。
ロックンロールはかくあるべきと思う。(個人差あり)

ロックンロールとは、僕の中で負け犬の遠吠えであってほしいとずっとずっと願っている。
ロックンローラーの仕事は、上手い演奏をすることでも、酒を飲むことでも、女性と遊ぶ事でもない。人よりもたくさん酷い目に遭う事だ。

ヤンキーも経験するような辛い事、
僕らいじめられっ子が経験する辛い事、
全部全部味わい尽くす事だ。

それを歌にすることが、
僕の理想のロックンロール像である。
窓ガラス割りたくなる気持ちも、
愛する彼女に不器用に接してしまう気持ちも、
お弁当を勝手に食べられたりした僕の気持ちも、
災害で亡くなった奴の気持ちも、
全部を込める事が僕らの仕事である。

そう思うとまだ苦しみ足りないだろう。
そう思うとまだあの娘に服従できてないだろう。

小学生の頃好きな娘にちょっかいをかけたときに思い切りビンタされたり、中学生の頃挨拶の代わりに肩を殴られたり、躁うつを患い大学を辞めたり、
今の彼女に頭が上がらない僕は、

もっと欲しい。もっと支配されたい。

それがきっとロックシーンを覆すようなメロディや歌詞になるのだ。
それがきっと部屋から出られない少年少女に届き、彼らを救うのだ。
世界の生きづらさをもっと楽しもうじゃないか。
我々はもっと欲しがるべきではなかろうか。
マゾヒスティックになるべきではなかろうか。

君はどうだ?

僕は本当の意味で、いつかロックンロールの王政復古を起こしてみせたいと思う。
どうか君にもわかって欲しい。

今日のところはこれくらいで。
長くなってごめんね。それじゃあね。またね。

いいなと思ったら応援しよう!