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ぼくを殺して、ぼくを生きる。

どうも。活動休止が決まってしまったruggirlという虫の息のバンドを切り盛りしています。木之元です。みんなに心配かけてしまったので、一応報告の義務があるような気がして近況と休止に至った経緯を綴ろうと思う。

君たちが読むには少々グロテスクだ。心して読め。

2年前の春頃に大学を辞めたぼくは、バンドで生計を立てるようになろうと夢見て志した。
もっとも、自分の好きな事を仕事にしようなんて、愚か極まりない発想に至ったのはおそらくとても
疲れていたからだろう。或いはレジェンドバンドのせいか。

夢をでっかく語るほどリスクは伴う。
理解はしているのにリスクは避けながらもでっかく少年のように言ってたかったのだ。

もちろん、今みんながぼくを「1年前に始まったバンド、ruggirlのギターボーカル」として認知しているということは、それ以前のバンドはピクリとも手応えがなかったということだ。実際そう。

当時はぼくはギターで作詞作曲をして、ドラムコーラスとして活動していた。バンド名は教えない。
黒歴史だからだ。調べても意味ないぞ。
該当する記事やポストは全て消した。

そのときは、お客さんと呼べる人は1人もいなかった。今も変わらないようなもんだが、「好き」だなんて言ってくれる君みたいな奇天烈なファンは1人もいなかったのだ。

だから、ぼくは客のことなんて1ミリも考えなかったし、好きに書いていた。

本当に無茶苦茶だったと思う。
構成とかも酷いもんだ。はは(苦笑)
そのバンドが立ち行かなくなって、当然のように
解散するのだが、悲しみの中すぐさま次のバンドの準備を始めた。それがruggirlである(その前に色々あったが、長くなるから割愛)。

当初、3ピースバンドとして活動していた頃は
世の中に何の音源もビデオも上げておらず、
ただ惰性で活動していた。ただ何となくバンドやってたらモラトリアムが貰えるような気がした。
間違ってますけどね。わかってますけどね。

そして「このままではいけない」と思って制作を始めようと思った途端に突然1人になった。
もちろん「このままではいけない」ってのは大正解なので、ぼくはすぐに1人でRECに取りかかり、
「計算と衝動」と「恋して愛してノイローゼ」のMVを制作した。もちろんそのときも客はゼロだったので、曲やビデオは好き勝手やった。

すると、思ってた以上に色んな人が見てくれて思った以上に好評だった。

やっとすこーしだけ報われたような気がした。
今だってお客さんは少ないけれど、君が観てくれているおかげで楽しくやっている。
バンドは活休が決まった今も楽しい。

ぼくは、本当に何もできない人間で、
時間は守れない、日常生活だってよく物をなくす、
忘れ物をする、仕事もできなけりゃ、大学も続けられなかった。本当にバンドしかできないのだ。

そんなバンドしかできないぼくの事を「好き」って言って金を払ってくれる人が出てきたのだ。
そんな君には、自分のできる事でお返しをしてやりたい。できることなんてバンドしかないのだから、もちろん曲やライブで返そうと思った。

君がどうしたら喜ぶかを意識してバンドをしようと思ったのだ。

君が好きって思えるような曲、
パフォーマンス、たくさん考えた。
自分でも嫌になる程、気が遠くなるほど考えた。
電子書籍で「顧客を満足させるビジネス」みたいな本まで読んでみた。クソ役に立たなかったケド。

たくさん考えたのだが、皆思い出して欲しい。

ぼく、バンド以外何もできないの。

君たちお客さんのことを考えて活動するってのは、
ぼくの「バンド」の範囲からは外れていたようで、速攻で立ち行かなくなった。

流石は何やってもダメな男。例にも違わず考え事にも向いていなかった。ほら、これを書いてる今も携帯電話を手から滑らせて画面のフィルムを割ってしまった。筋金入りだ。

ぼくはギターを持って「曲を書くぞ。」と思うと、スラスラと話すように曲が書けるタチなのだが、
色んなことを考えた途端に、コード一つ鳴らしても何のメロディも言葉も思い付かなかったのだ。
色んなことを考えた途端に、ライブに対するやる気が1ミリも無くなってしまったのだ。

「おっと、これはいけないな、」と思い、
「できるまで粘ろう」と曲を書いてみるも2、3日ほどできなかった。かなり心折れていたと思う。

ちょうどそのときに彼女と喧嘩をしてしまったのだ。それが引き金となって、ぼくの将来のこと、
彼女の将来のこと、ぼくが彼女にしてもらった事、ぼくが彼女にしてあげられる事、結婚したいこと、
ぼくの将来の生活についてまで、深く考えてしまった。

ぼくは今曲も作れない、やる気もない。

(そもそも体調が良くなく、うつ気味で何も手についていなかったという前提があるが)そう思った途端に、自分の存在意義というか、自分がバンドをしている価値が全く見えなくなったのだ。

人からの引用やサンプリングも多いし、「ぼくが自由に書いた曲が好きだなんてそんなわけないだろ!自分に嘘つくな!そんなにぼくのこと好きって言うならビートルズ聴けばいいじゃん、清士朗さんって呼びたいなら忌野清志郎の名前でも呼べばいいじゃん。」と思うようになってしまった。

「ぼくは彼女と結婚したいから就職してみようと思うし、バンドに対してやる気がないままお金払ってもらうのは申し訳ないから辞めるね〜。」と凄い勢いで考えてしまったのだ。もちろん、就職なんてできるはずないのに。間違っているのに。

そう思ってしまうと行動はもう早い。

「ruggirlは現在決まっているライブを持ちまして活動終了いたします」

決まってるライブはこなそうとしている冷静さが、またアンバランスで笑える。いや、笑えない。

もちろん色んな人に心配されたし、考え直す様に言われた。正直今はやりたい事たくさんあるが、まだやる気というか自分がバンドを続けて、評価されたとてそれを受け入れられるような自尊心はない。

メンバーと演奏をしているときとメンバーと顔を合わせているとき以外はずっと辛い。もう何が辛いのかよく分かんなくなっている。寝れないし、寝たら起き上がれないし。腹は減っても食欲もないし。
もう、このままこんな感じで死んでいくような気がした。している。

そんな状態のぼくに、師匠(ツアーの大阪、名古屋、ファイナルでギターを弾いた和田清司郎の通称)は

「お前が誰にも求められずに勝手にバンドを初めて、お前が書きたいものを書いて好いてくれたんだから、お前はずっとゴールにいたのだ。お客さんを喜ばせようと思う事自体が求められていないのではないのか。好きに書けばいい。ビートルズだってそうだろう。曲書きたいライブしたくないからってライブしてないじゃないか。自由でいいのだ。」

と言ってくれた。まさにその通りだと思った。
ぼくは、ずっと好きに曲を書いてきたし、好きにライブをやっていた。ぼくが唯一できるバンドってのはそういうもんだろう。

「とりあえず、今は次に繋がる何かやりたいことを考えてワクワクするまで待とう。ぼくはタイからインドへの旅に出るから。」と言われた。変な男だ。

ハッとした。自分が精神的に参っていたことと自由にすればいいということを師匠と他メンバーと話す事で自覚し、「今は他メンバーの判断を信じよう。」と思ったのが活動休止の所以だ。

要するに、躁うつのうつ状態のときに深く考え過ぎたせいで全てのやる気がなくなってしまったのだ。

本当にこの一文に詰まっている。これから先、いつまで何をしようかなんてのはぼんやりとしか考えておらず、具体的な事は何も決まってない。ごめん。

ただ、いつもぼくを助けてくれる上田一誠、師匠のことを考えると今おめおめと辞めるなんてことできない。絶対にまた何かしらで戻ってくること、ぼくが決めたruggirlの終わりまでは絶対にやめたりしないことを約束しよう。

ぼくは、絶対にまたぼくと君の想像の範疇を超えてみせたい。絶対にぼくはまた、君の目の前でこれまでのぼくを殺してみせるよ。

じゃあ、それも約束しよう。その3つだけ。ゆびきりげんまんね。嘘ついたら、針千本でもハリセンボンでも針万本でも飲むよ。

最後にぼくの敬愛する師匠の話して終わるね。

【師匠は高校生のときに大阪から日本を自転車で縦断しようと友人と試みていた(友人はロードバイク、師匠はママチャリ)。その際に、友達に「和田、そこ右。」と言われると何故か左曲がり、「そこ左。」と言われると右に曲がっていた。腹を立てた友人が何故そのようなことをするか問いただすと、「え、お箸を持つ方が右じゃないの?」と左利きだった師匠が答えたらしい。高校生まで左右盲だったのだ。信じられない。】

ほな。ばいばい。また会う日までお元気で。
愛してるよ。愛してね。

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