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おんがくと、すてきなじんせい

ruggirlという団体の首謀者、ギターボーカル木之元です。こんにちは。大阪、名古屋、東京、大阪とツアーを終えて落ち着いてきました。

ツアーとかリリースとかひと段落すると、
曲を作ったり、物思いに耽ったりする。
あとは昔の事を思い出したり。

なんだか、バンドを始めようとしていた高校生の
若かりし頃の木之元清士朗少年を思い出した。

当時の私といえば、勉強以外になにもできるものがなくて、好きなバンドを追っかけること以外の趣味は全くと言って良いほど興味がなかった。

と、いうか楽器も弾けないのに小学校の文集では
「バンドマンになりたい」って書いてた。
熱量だけは人よりあったので、そのまま高校生になったという次第だ。

高校生になって、義務教育が終わると高校受験からの解放でとてつもなく音楽に対する意欲が掻き立てられた。その結果、若干15歳の木之元少年はこう思ったのである。

これからバンドやるんだから、この世の音楽全部聴いて誰より音楽に詳しくならなきゃダメじゃね?

そんなことできるはずない。今ではわかる。
当時は行き帰りで大体1時間と40分くらい通学にかかっていたので、知らないバンドのアルバムを大体、2〜3枚聴いていた。
そんな生活を1年くらい続けて山ほど知らないバンドの知らないアルバムを毎日聴いて、
自分の好みを知っていったり、評論家を気取ったりしていた。本当に痛くて当時の自分に会えるのなら抱きしめてやりたい。

もちろん、この世の全ての音楽を聴くという目標は挫折することになる。

挫折の原因となったのは皆さんご存知だろうか、
「ピンク・フロイド」というバンドだ。
彼らのアルバムに「狂気」というものがある。
当時の私はメロディ至上主義(結構今も)、
メロディがキャッチーであるとなんでもいいと思っていた。だがピンク・フロイドは全く違ったのだ。

あまりに前衛的で、3曲目「On the run」まだ聴いて「Time」が聴けなくてそのアルバムを諦めてしまったのだ。「ぼくはこの世の音楽全てを聴くことはできないな。」とすぐに悟った。それから3年ほどして、「原子心母」というアルバムを聴いてピンク・フロイドを克服するのだが、克服までに3年かかったほど当時のぼくには刺激が強過ぎて、理解できなかった。

高校の音楽オタクみたいな面をしていた恥ずかしいぼくの鼻をピンク・フロイドは見事にへし折ったのである。

その後も、色んなアルバムを聴こうとイエスというバンドを聴いたりもしたのだが、
これもやはり「危機」というアルバムが1枚聴けず、
ぼくの毎日知らないバンドをたくさん聴く生活はあまりに呆気なく幕を閉じた。

それからは偏愛的に音楽を聴くようになり、
コンテンポラリーな生活、マキシマム ザ ホルモン、
Beatles、ハヌマーン、バズマザーズ、忌野清志郎、
UNISON SQUARE GARDENなどばかりをずっとずっと聴く生活をしていた。

UNISON SQUARE GARDENは特にひどく、
提供曲を含めて、田淵智也が作曲した曲しか聴けなかった時期がある。

その時期にメロディの作り方を勉強していたおかげで、メロディは今でもキャッチーでアニソンぽいものに惹かれる。

挫折してしまったが故に、反動で一つのバンドしか聴けなくなったのだ。

そんな挫折も偏愛も今のぼくの音楽センスの礎になっているから後悔などはしていないが、どうしてももっと勉強していたならどんな曲を書いただろうかということを思う。

「ぼくはこの世の音楽の全てを聴けるし、全てに良さを見つけられる」と自惚れていたのが全ての原因だ。これからバンドをしたい君にもひとつ言っておく。「全ての音楽を聴く!」って無謀なことをしようとするのはぼくは全く止めないしいい事だと思うが、お前は全ての音楽を聴けない。時間もそうだし、聴けない音楽って絶対あるのだ。

THE SHAGGSをアルバム通して2周聴いて気が狂わなかったら君はどんな音楽でも聴けるだろう。
パッチテストしてみるといい。

どうか自惚れないでおくれ。そして色んな音楽これからもぼくと聴こうよ。

あと、最後に言えるのは

ピンク・フロイドには気をつけろ。

それだけさ。おやすみなさい。

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