不幸中の「幸い」にすがる友人を見て
不幸中の幸いってつまりどっちだと思いますか?
大半の人は「不幸」だと答えるのではないかと思います。闇の中の光は闇全体を照らすことはなく、全体で見たら闇であることには変わりない、みたいなイメージでしょうか。
しかし、SNSなどを見るに、どうもそれが自分に降りかかるとなぜか解釈が変わる人が多いようです。もうちょっというと、不幸中の幸いの中に「幸せ」を見出している人が一定数いるように思います。
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なんでこんなことを考えるようになったかというと、私の友人Aに何回も恋人と付き合っては別れを繰り返している友達がいて、Aがどうしても彼から離れることができないというのを半年くらいずっと聞いていたからです。
Aの彼氏は、聞いてる限りですが少しサイコパスっぽい一面があり、それにAは何回も傷つけられている。でも彼と一緒にいると本当に楽しく、離れるたびに戻ってしまうとのこと。
彼は浮気もしたし、他の女性といる間だけはAと別れ、そしてまた戻ってくる。客観的に見たらAはその彼氏と絶対一緒にいるべきではないし、本人もそれは十分に理解しています。
それでも、彼と一緒に過ごす時間の中に何にも代え難い幸福があるのは確かでしょう。不幸が100%ならAは今すぐでも別れるはずですから。
これが「幸福中の不幸」であれば、その不幸を含めて彼を好きになることが「愛する」ということなのでしょうからAにとってハッピーエンドです。「愛するというのはその人の欠点を含めて受け入れること」という一文をどこかで見ましたが本当にその通りだと思います。
しかし、Aが今いるのは「不幸中の幸い」であり、その「幸い」にすがっています。A自身が彼氏が原因で鬱になり、休職したと最近連絡が来ました。これはさすがにAが幸せの中にいるとは思えません。
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これがざっくり、『不幸中の幸いの中に「幸せ」を見出している人がいる』と僕が思うようになった理由です。
ここで大事なのが「幸せ」が相対的に定義される、ということです。不幸の中に「幸せ」があることにより、その輝きがより一層強調され、そこに中毒性を感じてしまう。これが一番厄介な幸福そのものの性質であり、もはや自身が不幸になってでも欲する人がいる理由でしょう。
しかし何度でも強調しますが、不幸の中に「幸せ」を見出しそれにすがっている人は結局不幸だということ。なんなら不幸しかない人より危険なんじゃないかって思います。不幸しかない人は幸福な状況を求めて自身のいる沼そのものから脱出しようとしますが、不幸中の幸いにすがっている人は沼の中で宝を探すことに必死になり沼そのものから脱出しようとは思わないからです。
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さて、ここまで不幸中の幸せにすがる人についてざっくり解説してきましたが、ではAはどうするべきなのでしょうか。もちろん他人がどうこう言って変わるものではないと思いますが、僕が思う方法を書いておきます。
それは、まず自身が不幸に陥っているということをしっかり認識すること、そして自分が知っている幸せの種類を増やすことです。
前者はどういうことなのかというと、まず自身が幸福ではなく幸福を探している不幸に陥っているということをしっかり認識すること。そしてその不幸がどうして不幸なのか、一筋の光が闇の中でしか光たり得ないのか、を理性で理解することです。
Aの場合なぜ不幸なのか、彼がAの性格をよく批判することや頼ることができないからでしょう。
そしてAにとっての光が闇の中でしか光たり得ないのかについて。Aにとって多分彼は一緒にいて楽で本当に楽しい瞬間があるそうです。でもそれは、彼だからなのでしょうか。彼のサイコパスっぽい性格のおかげでその瞬間が成り立っているのでしょうか。もちろん彼女しかわからないでしょうが、そのように楽しい瞬間を提供してくれる人は他にもたくさんいるように思います。恋人に限らず友人や趣味仲間などもそれにあたるでしょう。
そして後者の自分が知っている幸せの種類を増やすことについて。今回は恋愛の話をしていますが、他にも彼女が追い求めるべき幸福はたくさん転がっているはずです。人間関係だけでなく、仕事や趣味、こうやってnoteを書くことの中にも幸せが眠っているかもしれません。
幸せの厄介なところは光と表現されることが多いにも関わらず、一度体験したことあるものしか光と認識できないところです。その光の種類を増やすことで、「こっちでもいいんだ」と思い沼から脱出することができるのではないかと思います。
ここまで読んで、Aがそれを幸せと認識するならそれは幸せだ、他人が口出しすべきことではない。と思う方もたくさんいると思います。
もちろんその沼にいることが心地良いと思うなら、それは本当にいいことだと思うし沼のぬちゃぬちゃ具合を楽しむ人もいるのでしょう。
しかし、多くの人は沼から抜け出したいはずです。理性ではわかっているけど気持ちが追いつかない。そんな巨大な気持ちに対して理性という武器で立ち向かうためのヒントみたいなもののつもりです。
最後に。
不幸の上に立つ幸福より、幸福の中でさらなる幸福を見出すことの方がよっぽど幸せなのであーる。
100円で救える命があります。