全にして個、個にして全、個は孤であらず。

面本賽は、食らったのだ。あの神を。

食うには困らず、悪食は極まれり

面本賽は、神に挑むときに無策で挑むような男ではなかった。確かな策を練り、どこまでも自分のテリトリーに引きずりこみ、理論と希望と可能性を誰よりも重んじ、悪態をつきながらも先を読む。そんな男であった。思考を止めず、頭を、回して回して回し続けてようやく戦えるような、『無能』な男であった。

だが、この男は今ここに、無策で乗り込んできている。もちろん、神に干渉できるように手順を踏み、死神と相対し渡りをつけ、ここに来る道のりも戦いの時のために練られたものであることには間違いはない。

だが、甘すぎる。

以前の彼ならば、君たちが知るであろう面本賽という男であれば。きっとそんなことはなかっただろう。過去の彼がこんな自分を見たら嘲笑し、見下し、煽っていたであろう。その位にこの行動は杜撰で感情的であった。

彼は欲望のままに神を喰らいに来ているのだ。
それがあたかも自分の理想であったかのように。喰らいに来ているのだ。
自分の運命を信じて疑わず、喰らいに来ているのだ。

それが、汚染された欲望とも知らず。

喰らう喰らうと喚くのは

今暴れている面本賽の手元には、「悪食の包丁」、「暴食の包丁」と呼ばれるアーティファクトが存在している。通常の人間であれば、この包丁を持っただけで発狂してしまうようなものだ。

このアーティファクトは本人が言うように、「どんなものでも切ってしまえば食い物になる」包丁だ。本人はこれを、「物理、性質変化の異常」を示す武器だと認識している。

だが本質はそこではない。この包丁、いや。面本賽の持つ七つの武器全ては、「司る欲望を無理やり強化し、エネルギーとする」力を有している。怠惰、憤怒、色欲、強欲、嫉妬、傲慢。この感情に当てはまるものを皆さんはよく見ているのではないか?

面倒くさがりで、「あーあ、キレちゃった」とよく言い、女性に対してのスタンスはオープンで、何もかもに手を伸ばし、上を向いては羨ましがり、態度は尊大である。そんな彼を知っているはずだ。

では、食欲は?

彼の口から、聞いたことがないだろうか。「ああ、今日飯食ってねえよ。」や、「今日の飯はZONeで済ました!」など、食に無頓着なところが多くみられてはいなかっただろうか。彼の食生活は、明らかにいいものではなかったはずだ。

そんな彼が、「司る欲望を無理やり強化し、エネルギーとする」「通常の人間なら発狂する」ような代物に、「普通の人間より明らかに弱い部分を強制的に改変されてしまった」としたら?

答えは明白だ。ねじ曲がってしまう。

彼の精神は、他の感情の力によって抑制されていたとは言え、緩やかに、しかし間違いなく着実にねじ曲がっていた。そうして生まれた彼の自分の理解できないものとの戦い方が、「怪異喰らい」だったのである。

神も仏も胃に入れれば同じ

ねじ曲がった彼は、明らかに狂気と絶望に堕ちた顔で包丁を振るい神を喰らっていく。自分の肉が削げたなら、相手の肉を食って補填する。自分の骨が折れたなら、相手の骨をかみ砕いて補填する。彼が一番嫌いな、純粋な物量押し。効率も関係ないような一心不乱の獣の戦いだった。

喰らい砕かれ喰らいつくす。彼は感情のままに、非効率的に、凄惨に神を殺しにかかっている。骨の髄まで喰らいきる。この身が朽ち果てようが喰らいキル。喰らう、クラう、喰ラう、喰ラウクラウクラウクラウ ───────。

はたと、気づいたときには。目の前には何もなかった。

足りなかった。

満足できると思ったのに。

足りない。
足りない。
力が、空腹が、収まらない。

なら、喰らいに行けばいいのだ。神が死神になったように。

どうせ人間ではなくなったのだ。いまさら何を怖がるというんだ。

自分が災厄になってしまえb─────『賽。』

……声が聞こえた。

胃袋を掴むのは男を落とす手段である

「随分と、醜くなってしまったんじゃない?私、そんな趣味の悪い男に引っかかった覚え、ないのだけれど。」

長く聞きなれた声だ。自分の主人だった女。人とは違う時間を生きてきた
次元をも超える能力を持った、魔女。
気丈に振舞っているが、声が震えている。恐れや、畏怖なのだろう。

「いまサラ何の用ダ魔女、契約は成就シた。もウオニ前と俺主従の契約ハ存在しナイ。失セロ。」

吐き出した声は、俺がすべてを諦めるには十分だった。もう、ヒトの発声もままならなくなってきている。もう、人間には。戻れない。

「まだ、契約は終わってないと思うのだけれど。私は、あなたを戻したかもしれないけれど、対価の『魔道究明に関する協力』はまだもらってない。」

「……アア゛?」

何を、言っている。契約は確かに。

「あなたは、まだ契約に縛られないといけないの。異形の神なんかと契約した覚えはないけれど、面本賽と私は、主従関係のほかに、利益と対価の契約もしていた。」

「そん、な、もの」

存在している。確かに、その契約は存在していて。

「いいえ、あなたにとって契約とはルールだったはず。あなたはすべてにおいて逃げ道をふさぐ道具の一つに契約書を持ち出す。あなた自身が契約を何より重んじてる証拠。そして、魔女との契約は、『人間だった面本賽との契約だった」ことをこの契約書が証明している!」

「う、あ????」

自分が、今までの中で、一番名を書くのをためらい、決意をもって書いた、あの契約書。それが、今、俺の中から、何かを。

「あなたは、人間をやめる前に私と契約した。その先どんな変質をしようと、ただの人間のあなたに刻み込んだ魔女との契約は深く魂に刻み込まれた!契約をその魂が破棄することはできない!」

「………ろ。」

痛い。苦しい。熱い。

「暴食の異分子に、捻じ曲げられた精神は私の契約により回復が可能。そういう術式だって私には簡単に編めるの!私は、魔女の契約の権利を行使することができる!」

「……やめろ!」

引きずりだされる、俺が、あきらめたものが、俺が。手放したほうが楽だったものなのに。

「面本賽は、どういうものであるかの定義なんて、そんなものどうだっていいの!『面本賽は人であり神である』これが私の見てきたすべて。貴方みたいな人間の進化に心から喜べるような、そんな人間臭いあなたが人じゃないわけない!」

「ヤメロオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!!」

どうして、いつもあきらめさせてくれないんだ。お前は。

「魔女の債権を行使するわ!『あなたにはまだ付き合ってもらわないといけない研究がたくさんあるの!さっさと戻ってきなさい!』」

契約書が光り輝く。あの痛みは消え、飢えも、渇きも、意識も薄れていく。

「……あなたに学んだのよ。理論と理屈で、欲しいものを得る方法。」

最後に聞いたその声が、ひどく、温かかった。

人神

目覚めたときには、いつもの姿に戻っていた。頭はいまだぼやけている。

「あら、お目覚め?いい夢は見れた?」

「……おかげさまで、今しがた悪夢になったとこだ。」

「美人をめちゃくちゃにした挙句膝枕させといてよく言うわね?」

「勝手にてめえがしたんだろうが!!!」

ふふ、といつも通りの笑いに、こっちも気が緩む。気づけば笑っていた。

「……はは、大層な無理しやがる。あきらめたと思ってたぜ。」

「勝手にあきらめていたのはそっちでしょう?」

「それは、そう、だが。」

「それに、欲望には忠実なのが大事なんでしょう?私はあなたから教わったその考え方を実践しただけよ。」

「はぁ?何言ってんだお前、こんなのに今そんな価値はないし、魔女の色恋ならお断りだぞ。まだやりたいことが残ってんだ。」

「何言ってるのよ。人から神になったきわめて特殊なケースよ?こんなの信仰と契約しないともったいないでしょう?魔術にも神は存在するのよ?」

「……いつからそんな口が回るようになったんだお前。」

「誰かの喋りをいつも見てるからかしらね?」

「……あんがとよ。」

「!!…………ふふふふふ!今日は私がご馳走を作らなきゃ!」

「それはいらない」

「なんでそんなこと言うのぉ!?」

そして、人から神に成った男と、人から魔女に為った女は……

ここからを語るのは、また次の機会に。

なにはともあれ、結果は変わらないのだから。

面本賽は、食らったのだ。あの神を。

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