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真面目になりたい。


 おかんの涙を見てから真剣に変わらないと駄目だと思った。

 そして親父も帰ってきてから、勉強もするようになった。

 テスト前になると、僕はクラスで一番頭のいい男の子(ゆうき)の自宅に電話をして、分かるまで教えて貰っていた。

 頭がほんとうに悪く、通信簿もほぼオール
1に近い感じで2がちょっとある感じだった。

 唯一、得意な科目は体育と国語だった。作文とかは学年で一番枚数を書いていた。内容とクオリティは全然だったと思いますけど、作文とかになると夢中になっていました。

 体育は、スポーツでサッカーをしていましたので、得意科目でした。学校の体育はサボっていたので成績は悪かったです。

 後、暗記力は自分でもあったと思います。
 一番苦手な科目は数学でした。数学だけは、全く分かりませんでした。

 クラスの頭いい子に迷惑掛かるぐらい家に電話をしてました。今では懐かしい思い出です。

 よくその子から言われていました。
「自分の勉強が全く出来ないと」。

 僕のせいでその子の成績がもしかしたら下がっていたかもしれません。

 そしてそれから問題を起こすことなく、授業もちゃんと出て少しずつ頑張っていました。

 ただ社会のテストで暗記する事が多く、難しい時は、カンペを作って靴下に入れて、テストが始まると靴下から出してカンニングをしてました。

 数学はカンペとか作っても無意味なので、苦労してました。

僕も中学3年生になり、友達と、どこの高校に行くとか行かないとかの話しが飛び交うようになっていました。
 
その前に、おかんと僕と先生で三者面談があり、先生から重い言葉を言われました。


 続く。

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