母を通して見つけた自分の「お母さん」像
今年5月に人生初めての妊娠・出産を終え、私は晴れて「お母さん」となった。それは嬉しい出来事なはずなのに、いざ人から「お母さん」「ママ」と呼ばれると、なぜか「お母さんと呼ばないで!」という大きな拒絶感が襲ってきた。
「お母さん」「ママ」(「ママ」は「お母さん」を表面的に柔らかくしたものだと解釈している)と呼ばれることに対して、私は2つの感情を抱いていた。1つ目に、「お母さん」と呼ばれることで、お母さんに対して世間が勝手に押し付けるあらゆる責任や義務をしっかり果たさないといけない、という重圧感。2つ目に、 私の呼称が自分の名前から〇〇のお母さんと変わったことで、自分がまるで人生の主人公ではなくなってしまったような、そんな悲しさである。しかし、私が「お母さん」になりたくない1番の理由は、私の母が原因なのだろう。
私たちは親から多くのことを学び、自分の理想を確立していく。親のこういうところを尊敬しているから自分も真似る、という肯定的な学びと、親のこういうところが嫌いだから自分は絶対に同じことはしない、という否定的な学び。多くの人は、どちらかというと後者の否定的な学びから自分論を形成するのだと思う。私の理想の「お母さん」像も、母が反面教師となり生まれた。
母は、子供の幸せが自分の幸せだと言い切る"素晴らしいお母さん"だった。私が喜びそうな、頼んだこと・頼んでないことを何でも率先してやってのけた。例えば、私の時間確保が第一だと言って、家の手伝い(食後食器を運んだり、お皿を洗ったり)はほとんどさせてもらえなかった。「〇〇は何もしなくていいから好きなことをしていいよ」と言われ続けた。それが母の愛情の示し方だと理解しつつ、でも母から少しも信用されていないんだ、自分はいつまで経っても「ゲスト」なのだと悲しくなった。
また、母の幸せの多くは私依存だった。母が私に与えたものを、私が喜んで受け取ると母は喜び、それを拒むと母はとても悲しんだ。1度、母が買ってきてくれた「じゃがりこ」がとても美味しく、それを伝えたことがあった。するとその日から毎日のおやつがじゃがりこになり、気づけば私はじゃがりこが大嫌いになっていた。母は人に惜しみなく与えるくせに、人から受け取ることは驚くほど下手だった。私は母に何度もあげようとして断られるたび、とても悲しくなった。
大学を卒業し英語圏で生活していた時、英語では年齢に関係なく皆が「友達」になれることにとても驚いた。1:1の会話において、そこには「I」と「You」しか存在しない。英語圏での親子がよく、お互いのことを「Best friends」と表現していることにも衝撃を受けた。親子においても「I」と「You」なのだ。日本語(少なくとも私の家族)では、母は「お母さん」子どもは「〇〇(子の名前)」であり、「さん」がつく「お母さん」と子どもの上下関係が対等になることはない。
留学後、私と母も英語圏の人々のように友達の関係になれないだろうか?という希望を抱き、その想いを母にぶつけてみた。成人して数年が経ち、私は母に一人の人として見てもらいたかった。母からの返答はこうだった。「私たち親と子の関係は今後も変わらない、〇〇はどこまでいっても私の子どもだ」と。
母は今でも私と話す時、意図的に「お母さんは」と始める。だから私は息子と話す時、意図的に「私は」と始める。私はいつまでも「私」でありたいし、息子と友達のような関係を築いていきたい。